生野銀山『見どころ』開坑1200年の歴史【アクセス・駐車場】

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今回紹介するのは、兵庫県朝来市生野町にある『生野銀山』です。

戦国時代から近代にかけて、この地に開かれていた日本でも有数の『銀山』となります。

生野銀山』は、平安時代初期となる807年に開坑と伝えられているのですが、正確な詳細は不明となりますが、1200年余りの歴史を持つと言います。

織田信長公』をはじめ『豊臣秀吉公』や『徳川家康公』の直轄を経て、明治政府が初めて日本の鉱業となる『鉱山』や『製鉱所』の近代化を確立するための直轄鉱山となりました。

生野銀山』は、その名のとおり『』を中心に採掘され、戦国時代より時の権力者は直轄地として、現在の新潟県佐渡市(越後)にある『佐渡金山』や島根県大田市(石見)にある『石見銀山』と共に、重要な財政の基盤を担ってきました。

明治22年(1889年)に宮内省所管の『皇室財産』となり、明治29年(1896年)に『三菱合資会社』に払下げられ、国内有数の『大鉱山』となりましたが、昭和48年(1973年)の3月22日に『資源減少』による鉱石の品質の悪化や、坑道自体が長くなり『採掘コスト』が増加し、地下深部の坑道を掘削中に岩盤の一部が,突然『破裂・突出』する現象となる『山ハネ』により、採掘が危険となったことから『閉山』することとなり『1200年』と言う、長い歴史に幕を閉じたと言います。

翌年の1974年に『史跡・生野銀山』という名称で『(株)シルバー生野』が『テーマパーク』として開業し『のみの跡』も生々しい『坑道巡り』を楽しめるほか『鉱山資料館』では、貴重な鉱物がたくさん展示されています。

2007年に『近代化産業遺産』および『日本の地質百選』に選定されています。

そんな、長い歴史を持つ『生野銀山』の紹介となります。

準備が整いましたら『生野銀山』の散策スタートです。

 

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生野銀山『見どころ』開坑1200年の歴史【アクセス・駐車場】

今回は、兵庫県朝来市生野町にある『生野銀山』に向けて車を走らせています。

暑い夏が終わりを告げると、次第に肌寒さを感じ始め、各地で緑鮮やかだった『青もみじ』が、徐々に紅く色付きはじめてくると「今年はどこの紅葉を楽しもうか?」と、自然と心が弾んできます。

しかし、多くの方で混み合う名所は「ちょっと、苦手!」というあなたにお勧めのスポットとなります。

それが『(株)シルバー生野』が、1974年より開業している『テーマパーク』となる『史跡・生野銀山』です。

標高709.66mの『金香瀬山(かながせやま)』を背景に従えた『生野銀山』は、緑豊かな風景が魅力のひとつとなります。

紅葉』の『名所』という訳では無いので、それほど沢山の方が訪れることも無いので、1日かけてメインとなる『坑道』の散策を楽しみながら『紅葉』も楽しめるかと思います。

生野銀山』を訪れるにあたり『アクセス』に関して簡単に紹介しておきます。

 

『生野銀山』へは『マイカー』利用がお勧め!

生野銀山』へは『無料』の『大型駐車場』がありますので『マイカー』を利用して行くのが基本的にはお勧めとなります。

尚『公共交通機関』を利用しても行けますので、簡単に紹介します。

JR播但線の『生野駅』からの紹介となりますが『神姫グリーンバス』で『生野銀山口』の停留所で下車して、約600mの徒歩となりますが10分もあれば行くことが出来ます。

生野銀山の正門前です。

生野銀山の正門前です!

尚、JR播但線の『生野駅』から徒歩でも行くことは可能ですが、約3.8kmの道のりは全体的に若干の上りとなるので、50分ぐらいはかかるかと思います。

神姫グリーンバス』の本数は意外と少なく『平日』には9本ぐらいありますが『土・日・祝日』に関しては、4本ぐらいしか出てませんのでお気を付けください!

マイカー』を利用の場合には『播但連絡道路』を『和田山方面』から走ってきた場合『生野ランプ』で降り『姫路方面』からの場合には『生野北第一ランプ』を降りることになりますが、いずれにしても『国道312号線』から『国道429号線』を経由して『生野銀山』の『駐車場』に向かうことになりますが、約5km前後となり10分もあれは到着できます。

駐車場』は『無料』となり、乗用車でしたら210台収容可能な『大型駐車場』ですので、よほどのことが無い限り満車になることは無いと思われます。

 

『生野銀山』の『見どころ』のひとつ『菊の門柱』

管理人は、今回は『マイカー』を利用して訪れたのですが、朝8時30分で一番手の到着となり、開園時刻の9時まであいだに周辺の散策をしました。

生野銀山』の入り口に『見どころ』が集まり、その中のひとつが『菊の門柱』となります。

正門となる菊の門柱です。

正門となる菊の門柱です!

明治に入り、長い幕府の『天領時代』が終わりを告げ、政府の『直轄鉱山』となった『生野銀山』は、近代化が急速に進みました。

左右に設けられた『菊の紋』の入った『門柱』は、明治9年(1876年)に、生野製鋼所の『正門』として設置されたのですが、当時の責任者としてフランスから招かれて来た『ジャン・フランソア・コアニェ氏』が、工場の『正門』として『築造』したもので、昭和52年に現在の位置に移設したものです。

我が国において、法令上明確な『国章』は定められていませんが『菊の紋』と言えば、事実上では『日本の国章』となり、鎌倉時代には『後鳥羽上皇』がことのほか『』を好んで、自らの『』として愛用しました。

その後『後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇』が、自らの『』として継承したことで、伝統的にも『天皇』の『紋章』として使用するのが当たり前となり、今日でも『皇室』が事実上の『家紋』として使用しています。

そのため『十六八重表菊』が、慣例として『国章』に準じた扱いを受けています。

そんな『菊の紋』が付いた『門柱』の横にも『見どころ』のひとつで、これまた『ジャン・フランソア・コアニェ氏』が建造したと言う『赤煉瓦(あかれんが)建物』の『残骸』があります。

赤煉瓦建物の選鉱所建家の残骸です。

赤煉瓦建物の選鉱所建家の残骸です!

ジャン・フランソア・コアニェ氏』が、当時の技術の粋を集めて建造した最新鋭の工場の『選鉱所建家』の一部を保存したものとなります。

明治4年~6年頃に建てられ、昭和61年11月に老朽化のため解体撤去されたものですが、主な材料の『赤煉瓦』は『生野』の地で作られ、その『煉瓦』の接着には『しっくい』が使われています。

 

『生野銀山』で全国的に話題となった『1円電車』

菊の門柱』の右手側の広いスペースに、かつてマスコミ等で全国的に紹介されて話題呼んだという『電車』の展示物が置かれており『見どころ』のひとつとなるので行って見ることにします。

鉱石輸送車であった『1円電車』です。

鉱石輸送車であった『1円電車』です!

錫(すず)の鉱山』"明延(あけのべ)"の『1円電車』で話題を呼んだのですが、昭和4年に、養父郡大屋町にある『明延鉱山』と、朝来郡朝来町の『神子畑選鉱場(みこばたせんこうしょ)』までの6.1kmのあいだに『鉱石輸送』のための『名神電車』として開通しました。

昭和20年になると、この『鉱石輸送車』に『従業員』と、その『家族』の交通の便を図るため、初めて『客車』が連結された形となったものが、ここに展示されている電車です。

最初の料金が50銭で、昭和27年に『1円』に改定され『明延鉱山』が『閉山』となり『名神電車』が廃止となった昭和62年3月までの長期間にわたり『1円』と言う料金を据え置きのままで走り続けたことが有名になりました。

本来は『1円電車』の『客車』は『3輌』あったのですが『明延鉱山』の兄弟鉱山であった『生野銀山』の地には『あおば号』を移し、残りの2輌のうち『くろがね号』は『大屋町明延』の地に残り『わかば号』は『朝来町内』に置かれ、それぞれの地で、観光の目玉として一役買うことになったと言います。

そんな『1円電車』が展示されているさらに奥にある『広場』には、日本の彫刻家の『牛尾哲三氏』の『見どころ』のひとつとなる『彫刻』が、たくさん並んでいます。

日本の彫刻家の牛尾哲三氏の彫刻です。

日本の彫刻家の牛尾哲三氏の彫刻です!

いくつも置かれた不思議な形の『彫刻』は、1993年に開催された第15回『現代日本彫刻展』に出展され『京都国立近代美術館賞』に選ばれたものや、1997年に開催された第17回『現代日本彫刻展』の時の作品『-大地からのおくりもの-林-』ではないかと思われる『無限ループ』となる『メビウスの輪』の『彫刻』なども置かれています。

大変見ごたえのある『彫刻』が多数置かれていますので、お見逃しの無いように・・・

 

『生野銀山』の『紅葉』は見ごたえあり!

駐車場』周辺の『見どころ』を回っているあいだに時間がたち、9時前となりましたので『入場券売り場』に向かいたいと思いますが、本日は平日となり、現時点では管理人のみの来場となり、その他に止まっている車は職員さんのものと思われます。

生野代官所と書かれた入り口です。

生野代官所と書かれた入り口です!

坑道』へと続いて行く、入り口の門に『生野代官所』と表示してあるのですが、これは観光用に作られたもので『奉行所・代官所』と言うのは『織田信長公』や『豊臣秀吉公』および『江戸幕府』により置かれ『生野銀山』を管理したのですが、実際の『奉行所・代官所』は、現在の兵庫県朝来市生野町口銀谷の『生野小学校』付近にあったと言います。

雰囲気を楽しむための『生野代官所』の門をくぐり抜けて中に入ると『坑道』へと続く遊歩道は、とてもきれいに整備されており、遊歩道を取り囲むように、木々が立ち並び『紅葉』もきれいに色付いています。

徳川時代の末期の手掘りの洞窟です。

徳川時代の末期の手掘りの洞窟です!

歩き出すとすぐに右手側に『見どころ』のひとつの『生野銀山見石』があります。

この『旧抗』は、徳川時代の末期に『手掘り』で彫られた『洞窟』で、奥の部分や入り口付近の岩盤にあけられている無数の穴は『穿岩機(せんがんき)』の試し掘りの跡となります。

洞窟』の最奥に鎮座するのは『鉱業守護の神』となる『金山彦命(かなやまひこのみこと)』を祀った『山神宮』の分社で『太盛山・金香瀬山』の『黄銅鉱』を『見石(みいし)』としてお供えしています。

洞窟』の入り口には『マネキン』が当時の作業の様子を再現しているのですが、この『マネキン』が異常なほどに『リアル』で、見ようによっては、本物に見えるくらいです。

 

『超スーパー地下アイドル』の誕生!『GINZAN BOYZ(ギンザンボーイズ)』

マネキン』の話になりましたので、先に紹介しておきますが『生野銀山』には、2017年7月26日(水)11時開始をもって『超スーパー地下アイドル』が誕生となり、その名を『GINZAN BOYZ(ギンザンボーイズ)』と言い、人気沸騰中の『見どころ』のひとつとなりました。

実際に管理人が『生野銀山』を訪れた日には『ギンザンボーイズ』は結成されていなかったのですが『ニュース番組』で取り上げられているのを見た時に、特に驚くことは無く「なるほどね~!そうきたか!」と思わず共感しました。

何故なら訪れた時に、何十体もの『マネキン』が随所で作業をしているのですが、どの『マネキン』も「パッ!」と出くわすと、一瞬「ゾクッ!」とするほど『本物』のように見え『二度見』さらに『三度見』してしまうほどリアルで恐ろしいものでした。

クオリティー』の高さが半端ないのと、中にはかなりの『イケメン』が混じっているのが特徴的で、実は『本物』の人間も混じっているのでは・・・?と思うほどです!

話題のリアルマネキンGINZAN BOYZ

話題のリアルマネキンGINZAN BOYZ!

マネキン』離れした『マネキン』達には、すでに『名前』が付けられており、写真の左上は『茂野屯衛門(ものとんえもん)』と言い、装いも性格もモノトーンで現場の声を聴き柔軟に対応する姿勢が、労働者たちからも好評価!

本人はもっと白黒はっきりつけたいと悩んでいるのだがそれには彼は優しすぎる!』などの『性格』などの『エピソード』まで付けられています。

茂野屯衛門(ものとんえもん)』の横の写真は『銀ちぇる』という10代の子供で、左下の写真の『マネキン』は『生野銀山一の情報通』の『よさぶろう』で、最後は『典型的なエリート公務員で幕府の役人』の『左門(さもん)』となり、個性豊かなメンバーたちが、実に『60マネキン』ぐらい『生野銀山』で働いているそうです。

個性豊かなメンバーが約60マネキンいます。

個性豊かなメンバーが約60マネキン!

1973年に『生野銀山』が『閉山』して以降、彼らの熱き魂は時を止めたままとなり、深さ880メートルにも達する『坑道』の中で長く眠り続けてきたといいます。

そして2017年にして、彼らの鎚音(つちおと)が、いま再びこだまする・・・!

日本の礎(いしずえ)を地下から支えた熱きアイドル『GINZAN BOYZ(ギンザンボーイズ)』のデビューとなりました。

史跡』となった『生野銀山』ですが、ある意味、飾り気がなく、堅苦しささえ感じる『観光地』のイメージが強いため、訪れる人は決して多いとは言えず、貴重な資料や数多くのドラマが人の目に触れず埋もれてしまっています。

そんな悲しい現状を打破するため、この鉱山で働いた『労働者たち』の『マネキン』の姿に注目して結成されたと言うことです。

YouTube』に公開されたデビュー曲となる『ギンギラ銀山パラダイス -GGGZPDS-』で、その様子を垣間見ることができますので、気になる方は一度『YouTube』で見てみてください!

GINZAN BOYZ(ギンザンボーイズ)』の今後の動向が気になるところです!

 

『生野銀山』の見どころ『鉱山資料館』と『吹屋資料館』

坑道』に向けて歩いてると、左右の両方に建物があり、左手側の大きな建物が『鉱山資料館』となり、右手側に建つ小さな建物が『吹屋資料館』となり、いずれも『見どころ』のひとつとなります。

左手側の大きな建物は『鉱山資料館』となり、江戸時代の鉱石を掘り出す作業を再現した15分の1の縮尺の模型が設置されています。

見どころのひとつ鉱山資料館です。

見どころのひとつ鉱山資料館です!

江戸時代後期の地下工場で働く人は、実に210人もいたそうで、服装や用具さらには備品の使い方や作業の様子まで、忠実に再現されたものとなり『蟻の巣状』に分かりやすく作られた模型は見ごたえ十分となります。

807年に『開坑』し『織田信長・豊臣秀吉・徳川幕府』の時代を経て、明治元年には『政府直轄』となり、その後は『皇室財産』にまでなった『大鉱山』となる『生野銀山』の長きにわたる歴史を『パネル展示』などにより紹介しています。

もうひとつの右手側に建つ、建物は『吹屋資料館』となり、こちらもまた『見どころ』のひとつとなります。

見どころのひとつ吹屋資料館です。

見どころのひとつ吹屋資料館です!

昔は『精錬』のことを『吹屋』といい『精錬作業』に従事する人のことを『吹大工』と呼んでいました。

徳川幕府の時代に、幕府に対して献上する『上納銀』を作るために、丹念に、そして辛抱強く『精錬』を繰り返していた『吹大工』たちの『マネキン』が並び、その様子を見ることが出来ます。

吹屋』の作業は『素吹』から始まり『真吹』『南蛮絞』『荒灰吹』『上銀吹』の5つの工程に分かれていました。

そんな5つの工程を行なうのが11体の電動の『マネキン』となり、ボタンを押すことで、各工程ごとの作業の模様をリアルに見ることができ『上納銀』ができるまでの流れが一目でわかります。

と言ったような『見ごたえ』十分な『資料館』が2か所あり『無料』で見ることが出来ます。

 

『生野銀山』の見どころのひとつ『観音岩』

資料館』を出ると、すぐに左手側の岩肌に『見どころ』のひとつとなる『観音様』の横顔が浮かび上がってきたという断崖があります。

見どころのひとつ観音岩です。

見どころのひとつ観音岩です!

長い年月を経て、自然の力で出来あがったものらしく『落石防止』のためとして張った『金網』が幸いして、浮き出てきたものと推測されています。

見る場所や角度が重要となり『坑道』の入口前で『水車』のある池の前に『コイの餌』の『販売機の前』から上を見てください。

岩肌に浮かび上がる観音様の横顔です。

岩肌に浮かび上がる観音様の横顔!

人工的』なものでは無く、自然に浮かび上がったと言うのが『見どころ』となり、言われてみれば「なるほど~」となりますが、言われなければ、なかなかそう見るのも難しい感じですが、写真では、少し分かりずらいかもしれませんが、実際の肉眼で見るともう少し『観音さま』に見えるようにも思えます。

自然と言う底知れぬパワーは、時に思いもよらぬものを作り出すもので、そのひとつとして観賞してください!

 

『生野銀山』の最大の『見どころ』となる『坑道』

生野代官所』の門をくぐり抜けて、既に約1時間が経っており、距離で言うと100m足らず進んだだけとなります。

それほど『生野銀山』の『見どころ』が多いと言うことになり、いよいよ『観光坑道』に入っていきたいと思います。

その前に『金香瀬坑道入り口』の右手側で『金香瀬坑道出口』の左手側となる『断崖絶壁』に立派な『不動滝』があります。

落差15mぐらいはあろう『不動滝』は、水量こそ少ないのですが岩肌を伝うように流れ落ちてくる姿は『インパクト』としては十分に存在感はあります。

また『不動滝』の左手側の岩肌には、小さな『ほこら』が設けられており、中には小さな『滝不動明王』がお祀りされています。

『不動滝』と『観光坑道』入り口!

この『滝不動尊』は『生野銀山』の開山の『織田信長・豊臣時代』から『山神社』と共に『坑内安全』と『鉱業の繁栄』を祈念して祈られてきたと言います。

不動滝』を観賞したあと『金香瀬坑道入り口』より『坑道』へと入っていくのですが『坑道』への入り口は『ジャン・フランソア・コアニェ』による『フランス式』の石組が施されており『アーチ型』の『抗口』には、開坑当時の面影が感じられ、とても味わい深い作りとなっています。

中に入ると、少し空気感が変わり冷たさを感じます。

 

『生野銀山』の見どころ『観光坑道』江戸時代採掘ゾーン!

生野銀山』の『観光坑道』内は、1年を通して気温が一定しており、約13度となり真夏などに訪れると『』を感じ、快適な空間となります。

観光坑道』は、全長が約1kmあり、全体を回るのに40分ぐらいは必要かと思います。

さらに『観光坑道』内は『江戸時代採掘ゾーン』と『近代採掘ゾーン』があり『金香瀬坑道入り口』より入り、まずは『江戸時代採掘ゾーン』から始まり、しばらくの間は機械などを一切使わずに採掘していく姿を『リアルマネキン』を見ながら想像していきます。

江戸時代の『坑道』は、坑内作業者ひとりがやっと通れるほどのもので、岩肌には今も『ノミの跡』が重々しく残っています。

観光坑道内の江戸時代採掘ゾーンです。

観光坑道内の江戸時代採掘ゾーン!

機会が無い時代ですので、狭い『坑道』や、行き止まりの『坑道』では、風通しが悪く『人工的』に風を送り込む『手子(てご)』、すなわち『手助けをする者』がおり、風を送り込む『唐箕(とうみ)』を回し続けています。

堀大工(ほりだいく)』は『ノミ1本』で命がけで鉱脈を探りあてて掘り進み『狸堀(たぬきぼり)』は、技術の未発達な時代に小規模稼行(かこう)の場合に行われた地表の露頭から『鉱石』を追って『無計画』に掘り進む『採鉱法』で、タヌキの『巣穴』に似た不規則な採掘の跡が作られるところからの呼名です。

そんな『ノミ1本』と『金槌(かなづち)』のみで、掘り進めて行く姿を見ることが出来るのが『金香瀬坑道入り口』より入って、まずは直進していき、右に曲がる『分岐点』があるのですが、まっすぐ進めば、それ以降は『近代採掘ゾーン』となり、右に進めば『江戸時代採掘ゾーン』の続きとなり『金香瀬坑道出口』までの300メートルの採掘跡を楽しむことが出来ます。

 

『生野銀山』の見どころ『観光坑道』近代採掘ゾーン!

観光坑道』は、観賞順路が一様設けられていますが、本来でしたら先程右に曲がりましたが、まずは真っすぐ『近代採掘ゾーン』に入って行き、最奥まで進んでから戻ってきて『分岐点』を出口に向かって『江戸時代採掘ゾーン』を楽しむのが、本来の『観賞ルート』となりますが、どちらでも問題はありません!

管理人のように、まずは『江戸時代採掘ゾーン』を楽しんで『金香瀬坑道出口』より出てから、もう一度10メートルぐらい先にある『金香瀬坑道入り口』から入って、今度は最奥に続く『近代採掘ゾーン』に向かう『ルート』を散策する・・・

散策の仕方は自由となりますので、お好きなように散策してください!

と言うことで、次は『近代採掘ゾーン』に向かいます。

近代採掘ゾーン』に入ると、まず最初は『酒岳堂、生野銀山熟成室』と称して、お酒の『貯蔵庫』となり、ここで熟成させたお酒となる『』を売店にて販売していると言います。

限定品』となるため、訪れた時に在庫があるかどうかは分かりませんが、お好きな方は是非売店にてお買い求めください!

さらに奥へと歩き進めて行くと、採掘方法がかなり近代化していき、機会を使っての採掘に変わっていきます。

服装も、作業着に変わり、ヘルメットやヘッドライトなども装備されています。

観光坑道内の近代採掘ゾーンです。

観光坑道内の近代採掘ゾーン!

穿岩機(せんがんき)』であけられた穴に『ダイナマイト』が詰められて、岩盤を崩す様子も見ることができます。

鉱脈と言うのは、ちょうど1枚の板を立てたような状況で地下から噴出しており、その長さは1km以上にも達するものがあると言います。

そんな『鉱脈』を破砕し、順次『鉱石』を井戸に落としていくと『シュリンケージ』と言う空洞が出来るのですが、柵が設けられていますが、約30メートルぐらいの深さのものを覗き見ることが出来ます。

生野銀山』の『観光坑道』は、約1kmとなるのですが『未公開坑道』まで含めますと、総延長350Kmとなり、地下880mの深さまで達しています。

これは、すなわち東海道新幹線で言うと『新大阪駅』から『静岡駅』近くまでの距離に匹敵することになります。

巻揚機』が設置されていますが、約900メートルの深さから200馬力で一度に2トンの『鉱石』を運び出すことが出来るものとなります。

あとの『見どころ』は三本からなる滝があったり『不動明王』をお祀りした小さな社が鎮座していたりと『近代採掘ゾーン』も見ごたえは十分です。

江戸時代採掘ゾーン』の手掘りから『近代採掘ゾーン』の機械掘りへの変わりようを、同時に体験できる『観光坑道』となりますので、時の流れを肌で感じることが出来るようになっています。

以上で『観光坑道』の散策は終了となりますが、最後に向かうのは『金香瀬旧抗露頭群跡』となる『露天堀跡入り口』へと向かいます。

 

『生野銀山』の『見どころ』のひとつ『金香瀬旧抗露頭群跡』

観光坑道』の散策も終わり、残すところ『金香瀬旧抗露頭群跡』だけとなりましたが『露天堀跡入り口』へは『金香瀬坑道入り口』の横にある階段を歩き進めて行きます。

階段は、なだらかな整備の行き届いたものとなりますが、階段を上りきったところからは山道へと入り、歩き進めると簡単な木の門が設けられており『生野代官金香瀬番所』と書かれています。

露天堀跡の入り口へと続く階段です。

露天堀跡の入り口へと続く階段です!

露頭』とは地中から噴出した鉱脈が地表に現れた部分のことで、昔はこの『露頭』を探し当てたあとに『地中』へ掘り進んだと言います。

金香瀬旧抗露頭群跡』の見学できるのは約600m先までとなり、山道を歩き進めて行くと『紅葉』がきれいに色付いている場所はあるものの、全体的には『落葉』しているようにも思います。

道の両側には、切り立った岩盤が露出しており、岩の表面は、どれも熱水変質を受けて『赤褐色』をしています。

左手側に見えてくる大きな割れ目は『徳川時代』の『採掘跡』で『慶寿の堀切』と呼ばれる『露天掘り跡』となります。

道をはさんだ反対側にも同じような『採掘跡』があって、この方向に鉱脈が伸びていたことが見て分かります。

徳川時代の採掘跡『慶寿の堀切』です。

徳川時代の採掘跡『慶寿の堀切』

さらに生野町指定の『天然記念物』となる『断層と鉱脈』が見られ、わが国でも屈指の大きさを誇る『粘土断層』も見られます。

江戸時代の『抗夫』の平均寿命は20歳くらいと言うことですが、それは既に10歳には『坑内』に入り、採掘作業に就き始め、20歳までには、ほとんどの『抗夫』は坑内の『塵埃』で肺を病んで命を落としていたと言います。

そう言ったことで『ベテラン』と呼ばれる『抗夫』の多くは、これからの未来ある若者だったわけです。

織田信長公』を始めとして『豊臣秀吉公』や『徳川家康公』も、この『生野銀山』を直轄として、財政基盤を整えたといいます。

奈良公園』にある『東大寺』の『奈良の大仏さん』の建造時は、ここから採掘した『』を献上し『大阪城』の築城にも財政的に大きな貢献を果たしたと言います。

生野銀山』では、今でも『』を採掘することは出来るのですが、資源減少による鉱石の品質の悪化や、坑道延長が長くなったことで『採掘コスト』が増加したことや、地下深部の『坑道』を掘削中に岩盤の一部が突然『破裂・突出』する現象となる『山ハネ』などにより、採掘が危険となったことで『閉山』し、1200年と言う長い歴史に幕を閉じたと言います。

今回訪れた『生野銀山』は、歴史的な観点から見ると大変重要であり、多くの方が学ぶべき歴史のひとつであると思いますが『観光地』としては、それほどの知名度が無いのが残念です。

生野銀山』と言うだけで、何か重さと難しさを覚え、足を向けることがなかなか決めきれない感じとなりますが、いざ訪れてみると大変『見どころ』の多い場所となり、大人から小さなお子様まで、楽しめる素晴らしい観光地であったと思います。

新たな取り組みとして結成された『GINZAN BOYZ(ギンザンボーイズ)』も、今後の動向が気になるところですので、ますますの知名度アップを図って、多くの方が訪れるのではないかと思われますので、多くの方が押し寄せる前に、一度訪れておくのもいいかと思います。

 

『生野銀山』のアクセス及び駐車場情報!

【基本情報】

*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。

生野銀山

  • 住所:〒679-3324兵庫県朝来市生野町小野33-5
  • 電話:079-679-2010
  • 入場料:大人 900円/中高生 600円/小学生 400円 *小学生未満無料
  • 時間:4月~10月:午前9:00~午後5:30 (午後4:50)
    11月:午前9:00~午後5:00 (午後4:20)
    12月~2月:午前9:30~午後4:30 (午後3:50)
    3月 :午前9:30~午後5:00 (午後4:20)
  • 定休日:12月~2月の3ヶ月間のみ毎週火曜日 *火曜日が祝日の場合は翌日
  • 駐車場:無料(普通車210台、大型バス10台)
  • アクセス:【公共交通機関】 JR播但線『生野駅』から神姫グリーンバスで『生野銀山口』停留所で下車して徒歩10分
    お車】播但連絡道路を『和田山方面』からの場合『生野ランプ』から国道312号線から国道429号線を経由して4.6km(10分)
    播但連絡道路を『姫路方面』からの場合『生野北第一ランプ』国道312号線から国道429号線を経由して4.9km(10分)

最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。

生野銀山』は、大変『見どころ』が多いのですが、たくさんの方が押し寄せる訳でも無いので、ゆっくりと時間を掛けて見学出来るところがいいと思います。
たくさんの方が訪れるように、新たな取り組みとして結成された『GINZAN BOYZ(ギンザンボーイズ)』の動向も気になるところですので、一度訪れてゆったりとした時間をお過ごしください!

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