今回紹介するのは、大阪府堺市堺区大浜北町にある「大浜公園」の「見どころ紹介」です。
「大浜公園」は、明治12年となる1879年に「堺市営」で開園した最も古い公園となるのですが、幕末期の「砲台跡」を中心として、整備されたことに始まります。
1891年には、現在の大阪府堺市堺区協和町の出身の「阪田三吉」と「関根金次郎」が、将棋の対局を行った「一力楼」と称される、料亭があった場所として知られ、その対局で「阪田三吉」は惨敗し、このことでプロの道を決意したとされるのですが、その後、眺望を売りものとして「和風・洋風」の、観光料理旅館が相次いで開業され、行楽地として人気を集めました。
1903年には「第5回内国勧業博覧会」の「第2会場」に選定され、世界に誇る東洋一の水族館として「巨大水槽」を呼びものとする「堺水族館」が開設されたのですが、水族館は博覧会終了後に堺市営となり「東洋一の水族館!」とも称されたのですが、その後集客数減少により、1961年の9月に閉鎖されました。
1913年には、立地を利用して海水を使った「大浜潮湯」が開業され、食堂をはじめ、劇場や遊技場も完備し、関西有数のレジャー地として、大いに賑わったと言います。
1934年には「室戸台風」によって「大浜公園」の全域が壊滅し、その後1944年2月に「大浜潮湯」が閉鎖、1952年の「大浜パーク」を開園するも、1953年頃までとなり、1958年8月に「堺泉北臨海工業地帯」の、埋め立て造成に伴い「大浜海水浴場」が閉鎖することになり、1961年9月には、再び「第二室戸台風」によって、甚大な被害を受けて「水族館」が閉鎖したのですが、動物園舎も「猿島」を残して「廃園」となりました。
現在では、1971年9月に開館された「大浜体育館」をはじめ、1981年9月に開場された「大浜公園相撲場」さらに、2009年6月には「猿島」を撤去すると同時に、新たな「猿飼育舎」を設置し、あとは「野球場・屋外プール・テニスコート・蘇鉄山」などがあるのですが、基本的には「スポーツ・レクリエーションの場」として、利用されています。
そんな、目まぐるしく変わり続ける「大浜公園」の、現在の見どころの紹介となります。
準備が整いましたら「大浜公園」の、散策スタートです。
大浜公園~見どころ紹介【アクセス・駐車場】
今回は、大阪府堺市堺区大浜北町にある「大浜公園」を訪れ、園内の見どころをぐるりと回るため「マイカー」に乗り込み、アクセルを踏み込みます。
「大浜公園」には、古い歴史があり「堺市営」としては、最も古い公園となるのですが、現在に至るまでには、さまざまに変化し続けてきた経緯があります。
大阪在住の管理人ですから「大浜公園」までは、20分もあれば到着できます。
まず初めに「大浜公園」を訪れるための「アクセス」と「駐車場」について、簡単に紹介しておきます。
大浜公園へのアクセスは良好です!
「大浜公園」を、訪れるための「アクセス」に関しては「公共交通機関」を利用しても「マイカー」を利用しても、比較的簡単に行くことができます。
まず初めに「公共交通機関」を、利用して行く場合ですが「最寄り駅」となるのは「「南海本線」の「堺駅」ですが「大浜公園」までは、南西へ600mほどですので、普通に歩いても約10分で行くことができます。
以前までは「堺駅」から「バス」に乗れば、ほぼ歩く必要なく行けたのですが、路線が廃止されたことで「大浜公園」までは、歩く必要があるのですが「堺駅」は、大きな駅となりますので「タクシー」でしたら多く待機していますので、そちらを利用すれば、1kmほどですので、5分で行くことができます。
続いては「マイカー」を、利用して行く場合ですが、すぐ近くに「阪神高速4号湾岸線」の「大浜IC」があり「西宮方面」及び「泉佐野方面」からは、同じインターチェンジを降りるのですが、降りたらそのまま「府道195号線」に入り、道なりに走り進めて行った先の、3つ目の信号となる「大浜北町」の交差点の、すぐ手前の筋を左折します。
その先の突き当りをさらに左折し、すぐにある信号を右折して、再び「府道195号線」に入ったら、左車線の「臨海線方面」を走り進めて行き「大浜公園Ⓟ」の案内看板に従って、信号を左折した先が「大浜公園」の「駐車場」です。
「大浜IC」からは、1.2kmほどですので、約5分で行くことができます。
また「阪神高速1号環状線方面」からですと「阪神高速15号堺線」の「堺IC」を、降りることになりますが、そのまま道なりに走り進めた先の「堺区安井町」の交差点を右折して「国道26号線」に入ります。
あとは道なりに走り進めるだけですが「大浜北町」の交差点を越えて「府道195号線」を経由したら、左車線の「臨海線方面」を走り進め「大浜公園Ⓟ」の案内看板に従って、信号を左折した先が「大浜公園」の「駐車場」です。
こちらからでも、2.6kmほどですので、約8分で行くことができます。
最後に「駐車場」に関してですが「大浜公園」には「有料」の「駐車場」が、2か所用意されています。
1ヶ所目は、メインの「駐車場」で北側にあり、先ほど「マイカー」の、アクセスの到着点として紹介しましたが、もう1ヶ所は園の南側に位置し、基本的には「大浜公園野球場」を利用する際の「駐車場」ですので、よほどのことが無い限り、利用することは無いかと思います。
メインの「P1駐車場」に関しては、265台分の駐車スペースがあり「満車」と言うことは、無いかと思います。
ちなみに「P2野球場駐車場」は、187台分の駐車スペースがあり、2ヶ所合わせると、かなり大きな「駐車場」が、用意されていることになります。
駐車料金に関しては、どちらも同じで、最初の2時間までは、200円となり、以後1時間ごとに100円で、1日の最大料金は、600円となりますので、比較的お安い設定になっています。
利用時間は、朝の7時00分~夜10時00分までとなり、利用時間以外は、出入口が固く閉鎖されますので、十分にお気を付けください。
と、言ったところが「大浜公園」を訪れる為の「アクセス」と「駐車場」の紹介となります。
大浜公園管理事務所で園内マップをGET!
駐車場に車を駐車すると、早速にも園内に入って行きますが「大浜公園」の園内は、大変広くなっており、やみくもに歩くと訳が分からなくなるので、まずは西側にある「メインゲート」に向かい、すぐ近くにある「大浜公園管理事務所」に立ち寄って「園内マップをGET!」するのが良いかと思います。
「大浜公園内」の紹介を進めるにあたり、大きく「3つのエリア」に分けて、紹介していきたいと思うのですが、上記写真より「防災広場エリア」と「中央広場エリア」さらに「大浜公園事務所裏エリア」に分けましたが、まずは「大浜公園」の「メインゲート」に向かいます。
大浜公園管理事務所裏エリアの見どころ!
「大浜公園」の「メインゲート」は、東側に位置します。
まずは「メインゲート」をくぐり、中へ入るのですが、長く伸びるメインストリートが「中央広場」まで続いて行くのですが、歩き出すこと50メートルほどで、左手側の道に入ることで「大浜公園管理事務所」へと進みます。
左手側に進めば、すぐに「大浜公園管理事務所」があり、利用できる営業時間など調べてみましたが、はっきりとしたことが分からなかったのですが、恐らくは夕方17時00分頃までではないかと思います。
先ほども言いましたが、まず立ち寄って「園内マップをGET!」して下さい!
「大浜公園管理事務所」の前には、見どころのひとつ「乙姫橋」が「ド~ン!」とあり、1971年10月に竣工された、古い架け橋となるのですが「大浜公園」を、南側と北側の両地区に分断していた「大阪臨海線」をまたぐための「歩道橋」であったのですが、現在では車道が移設されて、両地区が一体化したため、特別な意味を持たない架け橋となるのですが、かつての面影を残した「大浜公園」の「シンボル」と言っても、良いのではないでしょうか。
「乙姫橋」と言う名称は、かつて園内にあり「堺水族館」の「シンボル」になっていた「龍女神像(りゅうじょしんぞう)」の通称となっていた「乙姫」より、付けられたと言います。
大浜公園にある3つの記念碑!
さて「大浜公園管理事務所」の裏手側に移動しますが、見どころとなる「3つの石碑」があります。
1つ目の石碑は「大阪窯業煉瓦工場之跡」となるのですが、1888年に設立された「大阪窯業株式会社」の「堺分工場」が、明治29年となる1896年に建設され、近代の「土木・建築構造物」が「コンクリート製」に大きく代わるまで、ドイツの「ホフマン式輪窯」にて、大量の「煉瓦(れんが)」を製造していたのですが、その「工場跡地」にあった「記念碑」を、隣接する「大浜公園」に移設したものです。
2つ目の石碑は、30メートルほど離れた場所にあり「明治天皇御駐蹕之跡」となるのですが、1903年に開催された「第5回内国勧業博覧会」の「第2会場」となった「大浜公園」に「明治天皇」が来られたことを示す、記念碑となっています。
もうひとつは、さらに50メートルほど先にあるのですが「擁護璽(ようごじ)」と刻まれた、記念碑となるのですが、嘉永7年(安政元年)となる1854年に発生した「安政南海地震」に関する、記念碑となります。
記念碑の隣には、説明文が設置されているのですが、そこには「安政南海地震」が起きた当時に、堺の人がどのようにして災害に対応したかなどが、刻まれています。
大坂でも2000人近い人達が、命を落したと言いますが、そんな地震と津波の恐ろしさが書かれており、対処法を教訓として伝える、貴重な歴史資料として、2015年3月13日には、堺市が指定する「有形文化財」になったと言います。
戦前に設置されたラジオ塔跡
「擁護璽(ようごじ)」の、記念碑が立てられている右手側に、少し変わったブロック造りの塔が立っているのですが、見どころのひとつとなる「ラジオ塔」です。
「大浜公園管理事務所」の裏手にある「ラジオ塔」は「跡」となり、現在は「中央広場エリア」に「レプリカ」として、同じものが建てられています。
「管理事務所裏」の「ラジオ塔」は、戦前に設置されたものとなるのですが「ラジオ」と言えば、当時では高級品扱いにされており、一般家庭では、なかなか手に入れることができなかったのですが、ラジオ普及の為にとの思いで、公園をはじめとした、公共の場に設置されたものが「ラジオ塔」と言う訳です。
1930年となる昭和5年に、大阪中央放送局が「天王寺公園」に、第1号として「ラジオ塔」を初めて設置し、これを皮切りに、全国に約460基もの「ラジオ塔」が設置されました。
「大浜公園」の「ラジオ塔」は、第1号の「ラジオ塔」の設置から、遅れること3年後の1933年に、設置されたものとなるのですが、今なお現存している「ラジオ塔」のひとつで、全国的にも数少ない貴重なものとなります。
さらに「大浜公園」の「中央広場エリア」に設置された「レプリカ」の「ラジオ塔」は、2011年の4月に、現物の「ラジオ塔」を、忠実に復元した「レプリカ」として「中央広場」に、設置されることになったのですが、当初の計画では、移築しようとしたらしいのですが、老朽化がかなり進んでいたことで、断念したと言います。
新設された「レプリカ」の「ラジオ塔」では、1日に6回「ラジオ体操第1」などのメロディが、自動的に流れると言うことですが、今回は聞くことはありませんでした。
江戸時代末期の石垣が残る南砲台場跡地
続いては、先程紹介した「大阪窯業煉瓦工場之跡」の「記念碑」の前にある道を進めば、見どころのひとつとなる「南砲台場跡・花菖蒲園(はなしょうぶえん)」があります。
外交を求める「外国船」に対して、江戸時代の終わり頃になると、湾岸付近の防備のために、全国各地に「大砲」を備えた土塁が設けられたのですが「大浜公園」のこの場所は「南砲台場跡地」となり、当時使用していた石垣などが、多く残っています。
当時の緊迫した世情の面影を残す、貴重な跡地になっていますが、現在では、6月ごろに花を咲かせる「花菖蒲園」として整備されています。
訪れる時期が合うようでしたら、お見逃しの無いように・・・
一等三角点がある日本一低い山「蘇鉄山」
突然ですが「大浜公園」の中には「山」があります!
「エッ!山?」と思うでしょうが、実際にあります。
とは言っても、標高が6.96メートルの小さな山となり、園内のごく一部分を占めているだけですので、登山口から汗ひとつ流すことなく、30歩ほどで山頂まで登れます。
1879年に「大浜公園」が「堺市営」で、最も古い公園として整備されたのですが、同時に展望のよい「築山(つきやま)」すなわち「人工的に土を積み上げて造られた山」として「蘇鉄山」も整備されました。
その後、1885年に「蘇鉄山」の南東方面に進むこと約300メートルの位置に「御蔭山(おかげやま)」があり、その山頂に「近代地図作成」のためにと、基準点となる「一等三角点」が置かれました。
時が流れた1939年に「御蔭山」は「鉄道」を通すための事業に伴って、切り崩しが決定された時に「一等三角点」を「蘇鉄山」の山頂となる、標高6.84メートル地点に移設されました。
そんな経緯で「蘇鉄山」には「一等三角点」が設置されることになったのですが、山としては「日本一低い山」とはならないのですが「一等三角点が設置されている山!」としては「日本一」の称号を受けたのですが、当時は山名自体は、未登録のままでした。
2000年4月になり、国土地理院によって山名が認定され、正式に「一等三角点が設置されている日本一低い山!」であることを、歌い文句にすることができたと言います。
現在に至っては「蘇鉄山」は、6.97メートルに変わりましたが、依然として「一等三角点が設置されている日本一低い山!」で、あり続けています。
蘇鉄山に関する詳しい記事はコチラをご覧下さい!
蘇鉄山【アクセス・駐車場】一等三角点がある日本一低い山
今回紹介するのは、大阪府堺市堺区大浜北町に位置する「大浜公園内」にある「蘇鉄山」にて行う「ハイキング」です。 大阪湾に面して立つ「蘇鉄山」は、幕末に「黒船来航」に備えて築かれた「お台場(砲台)」があった場所を、明治12年となる1879年に「大浜公園」として整備された時に、展望の良い「築山(つきやま) ...
汗ひとつ流せない簡単な登山でしたが、見事に登りきることができた暁には、登頂した証として「登山認定証」が頂けます。
「登山認定証」が頂ける場所は「南海本線」の「堺駅」の「南口」を出たら、すぐ近くにある「神明神社」となりますので「公共交通機関」を、利用して訪れた方は、帰りに頂けば良いかと思います。
また「マイカー」を、利用して訪れた方ですが「神明神社」は、大変に小さな神社で「駐車場」などはありませんでしたので「メインゲート」を出て、500メートルほど歩いて頂きに行くか、周辺にある「コインパーキング」に入れて、頂きに行くかを、お考え下さい!
「登山認定証」は「神明神社」の鳥居をくぐったらすぐ右手側にある「社務所」の台の上に置かれており、縦が9cmで横幅が13cmとなる、小さな緑の紙ですが、1枚頂くにあたり「50円以上のおこころざし」が必要となるため、お声を掛けるか、不在の場合は「賽銭箱」に、納める形となっています。
「蘇鉄山」に登頂した際は、記念の証として、是非GET!してお帰り下さい!
さて、話を戻しまして「蘇鉄山」に登頂したあとは「大浜公園管理事務所裏エリア」の、最後の見どころとなる「ひょうたん橋」に向かうだけです。
「ひょうたん池」の一面には、恐らく「蓮の葉」ではないかと思われる葉が、隙間なくびっしりと広がっているのですが「蓮」の花期は7月~8月頃となり、白またはピンク色の花を咲かせるのですが、現在は時期が違うため、緑一色の姿となっています。
また「ひょうたん池」の中心に浮かぶ島には、橋で渡ることができます。
島に渡ると、松の木を中心とした、景観がとても優れた空間となるほか、休憩所も設置されていますので、歩き疲れた際の、休憩の場にするのが良いかと思います。
「ひょうたん池」の裏手には「大浜野球場」があり「有料施設」となるので、ここでは「見どころ」として紹介しません!
以上が「大浜公園管理事務所裏エリア」の「見どころ」となり、大半の「見どころ」は、このエリアに集中していますので、ここからは、一気に紹介を進めて行きます。
大浜公園の中央広場エリアの見どころ!
「ひょうたん池」より、少しだけ北方向に歩き進めて行くと、開けた空間が広がるのですが、ここが「中央広場」となり「メインゲート」から、メインストリートを普通に歩き進めて行けば、ここに出てくることになります。
「中央広場エリア」の見どころは、先ほど紹介した「ラジオ塔」の「レプリカ」ですが「楽しみどころ」としては「ラジオ塔」の後方に広がる「市民広場」です。
かなり広大な面積を誇る「市民広場」となるのですが、少年野球で言うなら、角を4面使って試合ができるほどの広さがあります。
普段は、ただの広場ですが、イベント会場も兼ねているため「サマスマ」と称される、堺高石地域で開催される夏まつりのブース開場として「ステージイベント」をはじめ「ダンス発表・吹奏楽」などの市民発表会や「泡すまフェス」通称「泡フェス」さらに「日本・海外飲食」や「日本・海外物販」さらに「堺市・高石市企業PR・体験・地場産業」などが、お昼間に行われるほか、数百のランタンが夜空を舞う、新しい夏の風物詩「サカイランタン」や「JC花火」など、夜も楽しめるイベントが開催されたと言います。
そんな「市民広場」のほか「大浜体育館」と「大浜相撲場」がある「中央広場エリア」となりますが、基本的な「見どころ」としては「ラジオ塔」のみとなります。
大浜公園の防災広場エリアの見どころ!
「中央広場エリア」は、ほぼ素通りとなり、メインストリートを「乙姫橋」のほうに歩き進めます。
メインストリートを歩いていると、右手側に「大浜公園プール」がありますが、7月1日~8月31日までの営業期間となり「有料施設」となりますので、スルーして歩き進めて行くと「乙姫橋」の手前より、左手側に入ると「防災広場エリア」となります。
すぐ左手側には、小さなお子様向けの遊具の置かれた広場があります。
広場には、遊具のほかに「藤棚の休憩所」が、設置されているのですが、実は「大浜公園」は「藤の名所」としても知られており、園内には3箇所の「藤棚」があり、4月下旬頃になると、25センチメートルほどの房状に白い花をつけます。
「防災広場エリア」には、その内の2つの「休憩所」兼「藤棚」があり、1879年の開設と同時に植えられたもので、樹齢は140年近くになる、立派なものです。
右手側に目を向けると、大きな「猿飼育舎」が設置しされているのですが、2009年6月までは「猿島」として飼育されていたのですが、新たな「飼育舎」として誕生しています。
1903年に「第5回内国勧業博覧会」の「第2会場」に選定され、世界に誇る東洋一の水族館として「巨大水槽」を、呼びものとする「堺水族館」が開設されたのですが、関連施設として、昭和12年に「猿島」が設置され、多くの市民の方々に、親しまれていました。
長きに渡って使用していたため、老朽化した「猿島」は、猿の飼育環境が悪く、健康維持のために撤去することになったと言うことでした。
管理人は、幼き頃に一度、連れて行ってもらった記憶があるのですが「猿島」は、その名の通り、大きな池に浮かぶ島に「猿」が自由に遊ぶ姿を、障害物無しで直接眺めれたのですが、環境が良くなったとは思いますが、残念な点は、四方を強固な柵で囲まれた作りの「飼育舎」で、とにかく中の様子が「見にくい!」と言う点です。
そんな「猿飼育舎」には、ざっと見ても20匹~30匹ぐらいの「アカゲザル」が飼育されており、可愛い姿を見ることができますので、お見逃しの無いように・・・!
いよいよ最後の「見どころ」となりますが「猿飼育舎」の後方が「防災広場」となり、その名の通り「防災拠点」としての役割も兼ねているのですが「芝生広場」として、広がっています。
そんな「防災広場」の左手側に「樺太犬慰霊像(からふとけんいれいぞう)」の、ブロンズ像が設置されています。
「樺太犬慰霊像」と言っても、何のことか分からないと思いますが「南極観測第一次越冬隊」に参加した「樺太犬15頭」が、悪天候のため帰国できずそのまま残され、その後の奇跡の生還を果たした、映画「南極物語」と言えば、ご存知の方が増えるかと思います。
そんな「南極物語」に登場した、主人公の「タロ」や「ジロ」を、はじめとした霊を慰める像となっています。
堺市在住の獣医で彫刻家であった「故・岩田千虎氏」により彫刻され、1958年に堺市に寄贈されたのですが、実は、コンクリートの像として制作し、当時水族館の南側遊園地に設置されたのですが、老朽化のため、原型をもとに1987年に岡村哲伸氏により忠実にブロンズ製の像に復元されたものです。
「南極物語」の映画を観て、涙した方も多いでしょうが「大浜公園」に設置されている、15頭の「樺太犬」は、不安げな表情で遠ぼえしている姿の像となるのですが、眺めているだけで胸に何か「グッ!」と、迫ってくるものを感じる作品ですので、お見逃しの無いように・・
最後の「見どころ」は、最初にも紹介しましたが「堺市営」で開園した、最も古い公園となる「大浜公園」は、幕末期の「砲台跡」を中心に、整備されたことに始まります。
現在「菖蒲園」として、整備されたあたりと、ここ「防災広場」の「バスケットゴール」が、置かれている辺りや、その外周りに、比較的多くの石垣が見られます。
「南台場」は、造築当初は、南北に約360メートル、東西に約183メートルの規模を誇る、長方形型であったのですが、その後、南北に295メートル、東西に195メートルの「稜堡式台場」に改築されました。
改修後「北側・西側・南側」は、共に石垣で囲み、東側に関しては防波堤を利用したのですが、南北に堀を設けて、大砲18門を備えていたと言います。
「南台場」について描かれている「堺浦両御台場絵図」が「菖蒲園」に設置されていますので、ご興味のある方は、訪れた際にご覧下さい!
と、言ったところが「大浜公園」の見どころとなり、全ての散策が終了となります。
大浜公園の見どころ番外編「旧堺燈台跡・龍女神像」
「大浜公園」の「見どころ」として紹介すべきか、すべきじゃないかを迷ったのですが「大浜公園」より、歩くこと5分の位置に「旧堺燈台跡」があり、そこからさらに5分の位置にある「北波止緑地内」に立つ「龍女神像」を「番外編」として、少し紹介しておきます。
「堺旧港」の突端に位置する「旧堺燈台」は、明治10年となる、1877年に建築された建物で、現存する「木造洋式燈台」としては、我が国で、最も古いもののひとつとして、1972年に、国の「史跡」に指定されました。
「旧堺燈台」まで行くには、北側にある「P1駐車場」の、出入口付近にある「歩道橋」を渡って「堺旧港南波止場」まで行くのですが、410メートルほどですので、5分もあれば行けます。
折角「大浜公園」を訪れたのでしたら、是非「旧堺燈台」まで行って「夕日」を楽しんで貰えたらと思って、紹介しました。
「旧堺燈台」は「夕景」が、大変素晴らしいスポットになっており、日々多くの方が、カメラを片手に訪れます。
明治10年に築造された、高さ11.3メートルの「六角錘形」の、灯台となるのですが、埋め立てが進んで役割を終えた後は、堺のシンボルのひとつつとして、保存されています。
旧堺燈台の夕景に関してはコチラをご覧下さい!
旧堺燈台跡~大阪屈指の夕日の名所【アクセス・駐車場】
今回紹介するのは、大阪府堺市堺区大浜北町に位置する「堺旧港南波止場」に立ち尽くす「旧堺燈台跡」より望む「夕日」です。 天然の良港であった「堺港」は、室町時代から安土桃山時代にかけては「海外貿易港」として、大変に発展していました。 その後、元禄2年となる1689年に、市中の商人の寄金で、はじめて堺港に ...
「夕景」を十分に楽しんだら、そのあとはさらに「夜景」が綺麗な「北波止緑地」に移動し「龍女神像」と、船着き場の「夜景」を、続けて観賞してはどうでしょうか?
「北波止緑地」は「旧堺燈台跡」から湾内に、遊歩道を500メートルほど歩き進めて行くだけなのですが、もし「公共交通機関」を利用している場合でしたら「最寄り駅」となる「南海本線」の「堺駅」に向かって、歩いて行く形ですので「龍女神像」と「北波止緑地」の「夜景」を観賞したあとは、駅まで500メートルほどです。
「北波止緑地」に立つ「龍女神像」は、1903年に開催された「第5回内国勧業博覧会」の際に、堺会場となった「大浜公園」の「水族館前」に設置されていたのですが、博覧会終了後は「乙姫さん」の愛称で親しまれていたのですが、水族館の閉園と共に撤去されました。
堺市では、この「龍女神像」を、平和と繁栄の象徴として、1999年の市制110周年記念事業の一環として復元し「堺旧港」の北側にある「北波止緑地内」に設置して、2000年7月に開催された「ワッショイ2000世界民族芸能祭」の開会式に、お披露目となり誕生しました。
「龍女神像」は青銅製で、高さ10メートルあるのですが、台座を合わせた全高は、実に26メートルあり、堂々としたものです。
日没を向かえると、自動でライトアップされるので、なかなかの見ごたえとなります。
龍女神像のライトアップに関する記事はコチラをご覧下さい!
堺旧港~竪川水門前より望む夕日と夜景【アクセス・駐車場】
今回紹介するのは大阪府堺市堺区北波止町に位置する「堺旧港」より望む「夕景」及び「夜景」です。 天然の良港であった堺港は、室町時代から安土桃山時代にかけては海外貿易港として大変に発展していました。 そんな長い歴史をもつ堺港付近は、近代では「海浜リゾート地」として港周辺の地域がにぎわいを見せた時期もあっ ...
以上の2点が「大浜公園」の「見どころ番外編」となりますので、お時間がありましたら、ぜひお立ち寄りください!
大浜公園のアクセス及び駐車場情報!
【基本情報】
*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。
「大浜公園」
- 住所:〒590-0974大阪府堺市堺区大浜北町4-3-50
- 電話:072-232-1489(大浜公園事務所)
*大浜体育館:072-221-2080(相撲場・野球場・テニスコート)
*大浜公園プール:072-223-1647(7月1日~8月31日までの営業期間) - 時間:園内自由
- 休園日:年中無休
- 入園料:入園無料
- 駐車場:有料「P1駐車場(265台)・P2野球場駐車場(187台)」
*朝7時00分~夜10時00分まで利用可能です。
*利用時間以外は閉鎖されますのでお気を付けください。 - 駐車料金:2時間まで(200円)で以後1時間ごとに(100円)
*1日の最大料金は(600円)です - アクセス:【公共交通機関】「南海本線」の「堺駅」より南西へ徒歩600m(約10分)
「南海本線」の「堺駅」より「タクシー」で1km(約5分)
【お車】「西宮方面」及び「泉佐野方面」からは「阪神高速4号湾岸線」の「大浜IC」を降りたらそのまま「府道195号線」に入り道なりに走り進めて3つ目の信号となる「大浜北町」の交差点の手前の筋を左折したらその先の突き当りをさらに左折したらすぐにある信号を右折して「府道195号線」に入ったら左車線の「臨海線方面」を走り進め「大浜公園Ⓟ」の案内看板に従い1つ目の信号を左折した先が「大浜公園」の「駐車場」です1.2km(約5分)
「阪神高速1号環状線方面」からは「阪神高速15号堺線」の「堺IC」を降りたらそのまま道なりに走り進めた先の「堺区安井町」の交差点を右折して「国道26号線」に入り、あとは道なりに走り進めるだけですが「大浜北町」の交差点を越えて「府道195号線」を経由したら左車線の「臨海線方面」を走り進め「大浜公園Ⓟ」の案内看板に従い1つ目の信号を左折した先が「大浜公園」の「駐車場」です2.6km(約8分)
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
「大浜公園」は、大変に広大な公園となり「見どころ」も、たくさんあります。
アクセス面に関しても、比較的に簡単で、一日を通して楽しむことができます。
お弁当を片手に、是非一度、お出かけしてみてはどうでしょうか。
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