今回紹介するのは、大阪市阿倍野区阿倍野元町に鎮座する「安倍晴明神社」です。
「安倍晴明神社」は、平安時代の陰陽師「安倍晴明」が生誕した伝承地となるのですが、社伝の「晴明宮御社伝書」によると、晴明が亡くなってから2年後となる寛弘4年(1007年)に、日本の第65代天皇「花山法皇」の勅命によって創建されたと言われている、歴史の古い神社となります。
「安倍晴明大神(あべのせいめいおおかみ)」を主祭神とし、代々にわたって「安倍晴明」の子孫と称する、保田家が社家として奉仕して隆盛を極めましたが、幕末には衰微していき、明治時代には小さな祠と、江戸の文政年間に建設された、晴明誕生の地を示す石碑のみになってしまったと言います。
明治時代の末期に復興計画が持ち出されたのですが、大正10年(1921年)に、社家の保田家より旧社地の寄進を受け「阿倍王子神社」の末社としての認可を受け、大正14年(1925年)に、現在の社殿が竣工されました。
3年と9ヶ月にも及んだ太平洋戦争の中で、大阪大空襲の際に境内に焼夷弾が落ちたにも関わらず、爆発せずに社殿は被災をまぬがれたことから、地元では「晴明さんが守って下さった」との評判が広がり、以来「火難痛難災除の神様」として、篤い信仰を集めています。
陰陽師には、中国伝来の「陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)」によって天体を観測したり、暦を作成する科学者的な側面と、式盤を使って吉凶を占ったり、陰陽師の意のままに動く式神と呼ばれる鬼神を、自由に操る呪術師的な2つの側面があります。
そんな中で、平安時代の天才陰陽師として名高い「安倍晴明」は、多くの事柄を予言し、占いに関しては百占奇中で、不思議な能力を駆使して鬼狩りを行い、式神を自由自在に操ったと言われています。
そんな「安倍晴明」が生誕した伝承地に鎮座している「安倍晴明神社」の紹介となります。
準備が整いましたら「安倍晴明神社」の、散策スタートです!
安倍晴明神社~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】
今回は、大阪市阿倍野区阿倍野元町に鎮座している「安倍晴明神社」を訪れるべく「マイカー」に乗り込み、アクセルを踏み込みます。
「安倍晴明神社」は、その社名からも分かるように、10世紀の平安時代中期に実在した、日本史上屈指の天才陰陽師「安倍晴明」が生誕した伝承地に、鎮座している神社となります。
陰陽師「安倍晴明」と聞いて頭に思い浮かべるのは、恐らく多くの方が、野村萬斎さんが主演の映画「陰陽師」で、不思議な術を使って、鬼や悪霊をバッタバッタと退治するものではないでしょうか。
実は、宮廷の総務を担当した中務省(なかつかさしょう)に属する機関のひとつ「陰陽寮」と言う部署で、占い・天文・時・暦の編纂を担当していた公務員でした。
そんな中において「安倍晴明」は、多くの事柄を予言し、占いに関しては百占奇中で、不思議な能力を駆使して鬼狩りを行い、式神を自由自在に操ったと言われています。
「安倍晴明」に関する由緒や生誕の地の伝承は多く、日本全国に存在するのですが「安倍晴明神社」が鎮座する、大阪府の阿倍野が最も有力視されており「安倍晴明」が生まれたときの「産湯に使った!」と、言われている井戸なども再現されています。
そんな「安倍晴明神社」ですが、まず初めに、訪れるための「アクセス」と「駐車場」について、簡単に紹介しておきます。
安倍晴明神社へのアクセスは良好です!
大阪市阿倍野区の住宅街に鎮座する「安倍晴明神社」ですから「アクセス」に関しては「公共交通機関」を利用しても「マイカー」を利用しても、簡単に行くことができます。
「安倍晴明神社」は、近くにある「阿倍王子神社」の境外社となりますので、本社となる「阿倍王子神社」も合わせてお詣りするのが、基本的な形となります。
また「マイカー」で向かう場合には「安倍晴明神社」には駐車場がありませんので「阿倍王子神社」の駐車場に止めて向かうのが良いかと思います。
まず初めに「公共交通機関」を利用して訪れる場合ですが、最寄り駅となるのは「阪堺上町線」の「東天下茶屋駅」となるのですが、下車してからは、案内看板に従いながら、最初の四辻を右に曲がって100mほど歩くだけですので、3分もあれば行くことができます。
また「近鉄南大阪線の阿部野橋駅」及び「JR関西本線・大阪環状線・阪和線の天王寺駅」及び「阪堺電気軌道上町線の天王寺駅前」及び「大阪メトロ御堂筋線・谷町線の阿倍野駅」が乗り入れする、大阪市南部のターミナル駅となる天王寺の駅前から「大阪シティーバス」に乗車しても行けます。
駅前にある「あべの橋」のバス停留所から「大阪シティバス62系統/63系統/64系統/67系統」に乗車したあと「王子町」のバス停留所で下車します。
「府道30号線(あべの筋)」を隔てた先に「阿倍王子神社」がありますので、境内を抜けながら北西方面に200mほど歩くだけですので、こちらからでも3分もあれば行くことができます。
続いて「マイカー」で向かう場合ですが、先程も言いましたが「安倍晴明神社」には駐車場がありませんので、目的地としては、本社となる「阿倍王子神社」に向かうことになります。
まず「松原方面」から向かう場合は「阪神高速14号松原線」を利用し「文の里IC」を降ります。
降りたらすぐにある「文の里駅前」の交差点を右折して「府道28号線(あびこ筋)」に入ります。
少し先にある「昭和町駅前」の交差点を右折して「松虫通」に入ったら、少し走り進めた先の「松虫」の交差点を左折して「府道30号線(あべの筋)」に入ります。
100mほど先にある信号で右手側に「阿倍王子神社」が見えるのですが、曲がることができ無い信号機ですので、そのまま走り進めた先にある「北畠公園前」の信号を「Uターン」して200mほど戻ると、左手側に「阿倍王子神社」がありますので、道路沿いより駐車場に入ります。
「文の里IC」から1.9kmほどですので、5分で行くことができます。
もうひとつ「大阪環状線方面」からですと「阪神高速14号松原線」の「天王寺IC」を降ります。
降りたあとは、そのまま道なりに進み「天王寺駅前」の交差点を右折して「府道30号線(あべの筋)」に入ります。
あとは直進するだけですが、先程と同じように「北畠公園前」の信号を「Uターン」して「阿倍王子神社」の駐車場を利用します。
「天王寺IC」から2.8kmほどですので、約10分で行くことができます
最後に「駐車場」に関してですが、何度も言いますが「阿倍王子神社」の駐車場を利用することになります。
「阿倍王子神社」の駐車場は、無料で利用できるのですが、駐車スペースは狭く、5台分ほどしか駐車することができません!
「阿倍王子神社」及び「安倍晴明神社」の境内は、それほど広くありませんので、双方のお詣りをしたとしても、30分もあれば十分に回れるかと思いますので、駐車場に入ったところで待機していれば、すぐに戻ってくるかと思います。
また「コインパーキング」に関しては、府道沿いに幾つかあるほか「安倍晴明神社」の表門の「一の鳥居」から、約50mほど離れた場所にもありますので、そちらを利用するようにして下さい!
以上が「安倍晴明神社」を訪れるための「アクセス」と「駐車場」の紹介となります。
安倍晴明神社に向かいます!
さて「阿倍王子神社」の駐車場に車を止めたところで、早速にも「安倍晴明神社」に向かいたいと思うのですが、ここでは「安倍晴明神社」の紹介となりますので「阿倍王子神社」はスルーして、直接向かいます。
阿倍王子神社に関しては後ほどコチラをご覧下さい!
阿倍王子神社~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】
今回紹介するのは、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町に鎮座する「阿倍王子神社」です。 「阿倍王子神社」の歴史は大変古く、日本の第16代天皇「仁徳天皇」の夢の中に「熊野三山」の使いである三足烏(さんそくう)、すなわち日本においては「八咫烏(やたがらす)」が現れたと言い、仁徳天皇がその八咫烏を捜させたところ ...
「阿倍王子神社」の境内を抜けて行くのですが、まずは、右手側に本殿を見ながら参道を歩き進めて行きます。
「阿倍王子神社」の裏側にあたる、西門の鳥居を出ます。
鳥居を出たらすぐ右手側に進路を変えて、裏通りを歩き進めて行くのですが、この通りは、平安時代中期頃に賑わい始めた「蟻の熊野詣」と称された「熊野三山」への参詣に利用された「熊野街道」となります。
多くの方が行き来したであろう「熊野街道」を、100メートルほど歩き進めて行くと「安倍晴明神社」の鳥居が右手側に見えてきます。
神域への入口となる表門の「一の鳥居」は、コンクリート製の明神鳥居(みょうじんとりい)となるのですが、中央上部の額束(がくづか)には「安倍晴明神社」と書かれた神額(しんがく)が掲げられています。
鳥居の右手側には「安倍晴明神社」と、社名の刻まれた石碑が置かれているのですが、左手側には「安倍晴明生誕伝承地」と刻まれた石碑も置かれています。
見どころのひとつ泰名稲荷神社
「安倍晴明神社」の境内は、鳥居をくぐり抜ける前より境内の全貌が見えるのですが、緑の木々が生い茂る、大変にこじんまりとした神社となります。
入ってすぐ右手側に「泰名稲荷神社(やすないなにじんじゃ)」のお社があり、左手側には「手水舎(ちょうずしゃ)」があります。
「手水舎」の左手側には、江戸時代から使われている、中に行くほど空間が広くなっていく「ガマ井戸」があります。
「ガマ井戸」は、阿倍野地区近辺にはたくさんあり「手水舎」の水もここから汲み上げられています。
龍神様の口からは、1845年作の「手水鉢」に、ちょろちょろと水が流れ落ちるのですが「八大龍王」とも呼ばれる龍神様は、雨と水を支配する神様となります。
陰陽道でも、天の東西南北と中央に「五龍神」が居て、天空を支配しています。
その昔「安倍晴明」が雨乞いのご祈祷をした際に、この「五龍神」に祈って、大雨を降らせたと言う伝説が残っています。
それ以来、真清水は神としてお祀りされているのですが、この井戸の水は「晴明水」と呼ばれて、地元の方々より大切にされています。
「泰名稲荷神社」は、色鮮やかな朱色の鳥居が、大変に魅力的となるのですが、江戸時代から鎮座しています。
両脇にお稲荷さんの像が祭られている「泰名稲荷神社」は、安倍晴明の父だと言われている伝説上の人物「安倍保名」の名を冠しています。
父「安倍保名」は、和泉の信太明神に参詣の際に、助けた白狐「葛之葉姫」と結ばれて、この地で「安倍童子」すなわち晴明を産んだと言われています。
そんな「安倍保名」の名を冠した「泰名稲荷神社」となりますが、何故か御祭神にはなっておらず「宇迦之御魂大神」が御祭神となります。
安倍晴明大神を主祭神とする安倍晴明神社
表門となる「一の鳥居」をくぐり抜けて20メートルほど先に、本殿を参詣する拝殿があります。
「安倍晴明神社」は、平安時代の陰陽師「安倍晴明」が生誕した伝承地となるのですが、社伝「晴明宮御社伝書」によると、晴明が亡くなってから2年後となる、寛弘4年(1007年)に、日本の第65代天皇「花山法皇」の勅命によって創建されたと言われている、歴史の古い神社となります。
「安倍晴明大神(あべのせいめいおおかみ)」を主祭神として、代々にわたって「安倍晴明」の子孫と称する保田家が、社家として奉仕して隆盛を極めましたが、幕末には衰微していき、明治時代には小さな祠と、江戸の文政年間に建設された、晴明誕生の地を示す石碑のみになってしまったと言います。
明治時代の末期には、復興計画が持ち出されたのですが、大正10年(1921年)に社家の保田家より旧社地の寄進を受け「阿倍王子神社」の末社としての認可を受け、大正14年(1925年)に現在の社殿が竣工されました。
3年と9ヶ月にも及んだ太平洋戦争の中で、大阪大空襲の際に境内に焼夷弾が落ちたにも関わらず、爆発せずに社殿は被災をまぬがれたことから、地元では「晴明さんが守って下さった」との評判が広がり、以来「火難痛難災除の神様」として、篤い信仰を集めています。
「安倍晴明神社」と書かれた神額には「安倍晴明」のトレードマークでもあります五芒星が、幾つも刻まれているのが見どころでもあります。
この五芒星は、桔梗の花の形に似ていることから、別名「晴明桔梗印」とも呼ばれています。
陰陽道における五芒星は、この世に存在するあらゆるものを「木・火・土・金・水」の、5つの元素の働きの相克を表したものであり、五芒星はあらゆる魔除けの呪符として重宝されました。
木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、 水は木を生むという、生の循環を意味していると言います。
逆に、木は土の栄養を奪い、土は水を吸い上げ、水は火を消し、火は金を溶かし、金すなわち刃物は木を倒すと言うように、相手を滅ぼす意味も含まれていると言います。
安倍晴明神社の見どころ!
拝所に向かうまでの右手側には、さまざまな見どころが、ところ狭しと並んでいます。
左手側から順に、まずは「安倍晴明公の等身大銅像」があり、その隣に「葛之葉霊狐の飛来像・狐姿の葛之葉の銅像」があり、横に「葛之葉姫図」の石碑が置かれ、その奥に「安倍晴明生誕伝承地の碑」や「安倍晴明公産湯井の跡」さらに「鎮石(孕み石)」が並んでいます。
「葛之葉霊狐の飛来像」は、狐であったと言われている、安倍晴明の母「葛乃葉姫」が、信田森から飛来する姿をイメージした像となるのですが、狐は古来より特殊な霊力を持っていると言われており、それ故に「安倍晴明」も、天才陰陽師として数々の活躍を成し遂げたとされます。
伝説「葛之葉子別れ(くずのはこわかれ)」によると、当時没落状態にあったお家再興の願掛けのため「安倍保名(あべのやすな)」が和泉の信太明神(しのだみょうじん)に、毎日のように参詣していたと言います。
ある日のこと、いつものように参詣に訪れると、猟犬に追われた一匹の白狐が駆け寄ってきました。
「安倍保名」は、その白狐を助けますが、怒った狩人に大怪我を負わされました。
程なくすると、何処からともなく「葛之葉」と名乗る美女が現れて、手当てをしてくれたのですが、それが縁となって二人は結ばれました。
そして、944年3月に生まれたのが「童子丸」と言い、のちに天才陰陽師として知られる「安倍晴明」であったと言われています。
「童子丸」が5歳のとき「葛之葉」の正体が「保名」に助けられた白狐であることが知れてしまうのですが、全ては「稲荷大明神=宇迦之御魂神」の仰せであることを告白し「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」と言う一首を残して、信太の森へと帰って行きました。
恩返しのために「葛之葉」が人間世界に来たことを知り「童子丸」と共に信太の森に行くのですが、姿をあらわした「葛之葉」から、水晶の玉と黄金の箱を受け取り、特殊な霊力を授かったと言います。
平安時代の天才陰陽師として名高い「安倍晴明」は、多くの事柄を予言し、占いに関しては百占奇中で、不思議な能力を駆使して鬼狩りを行い、式神を自由自在に操ったと言われています。
また「葛之葉姫」に関しては、本社となる「阿倍王子神社」にお祀りされています。
そんな「葛之葉霊狐の飛来像」に向かって左手側に「安倍晴明公の等身大銅像」があるのですが、銅像の前には「葛之葉狐・智慧の玉」があります。
「葛之葉姫」から授けられた水晶の玉によって、特殊な霊力を授かったと言う伝説にちなんで置かれている「智慧の玉」となります。
七寸の水晶玉には、智慧授かりの祈念が込められて祈祷されていますので「智慧の玉」を拝むことで「学業成就・出世栄達」のご加護を受けることができます。
最後の見どころとなるのは、隣にある「安倍晴明生誕伝承地の碑」や「安倍晴明公産湯井の跡」さらに「鎮石(孕み石)」となるのですが「安倍晴明生誕伝承地の碑 」に関しては、江戸時代となる文政年間(1818年~1830年)に、堺商人であった神奈辺大道心の手によって建立された古いものとなります。
大変に味わい深い石碑となりますが、向かって左隣には「安倍晴明公産湯井の跡」があり、右隣には「鎮石(しずみいし)」または「孕み石(はらみいし)」と称される、安産祈願の大石があります。
「安倍晴明公産湯井の跡」に関しては、その名の通り「安倍晴明」が産まれたとき使用した産湯の井戸となるのですが、江戸時代の絵図によって再現されたものです。
「鎮石(孕み石)」と称される大石ですが、古代、船のいかりとして使った鎮石(しずみいし)と言うことですが、安産を祈願して帯を「しめる(鎮める)」と掛けて「孕み石(はらみいし)」すなわち、妊娠している状態を現す呼ばれかたもあります。
そんなことから「安倍晴明神社」は「学問・健康・恋愛・災難除け」の他に「安産」も祈願できる神社でもあることになります。
以上が「安倍晴明神社」の見どころとなりますが、こじんまりとした境内ではありますが、見どころが沢山ありますので、是非一度お出かけになり「安倍晴明」の、霊験あらたかな御利益をお授かり下さい!
よく当たると噂の占いコーナーがあります
約175坪(約577平米)ほどしかない境内の奥へ、20メートル進めば拝所があるのですが、拝所に向かって歩き進める左手側には「社務所」があり、各種の受付が可能となっています。
近年の「安倍晴明ブーム」によって、パワースポットとして注目されている「安倍晴明神社」ですが、地元では古くより篤い信仰を集めています。
最近では「安倍晴明」のファンが増えたことで、遠方からも参詣に訪れる方が多くなったと言います。
「安倍晴明神社」の社務所には、霊験あらたかな「安倍晴明」のお守りをはじめ、護符や絵馬、さらにはおみくじなどが販売されています。
トレドマークにもなっている、幸運の陰陽道五芒星を模ったものが多く、特に人気が高くなっています。
また、社務所内に占いコーナーもあり、毎日、午後の一時から五時までのあいだは、一件2000円~で、様々な相談に乗ってくれる占いがあり「よく当たる!」と言うことです。
待ち時間が長くなることもありますが、若い女性の恋愛相談が特に多いと言うことです。
安倍晴明神社の御朱印です!
境内の参詣が終わりましたので、最後に「御朱印」を頂くため「社務所」へと向かいます。
実は「安倍晴明神社」及び「阿倍王子神社」には、かなり昔に訪れたことがあり、その際に一度「御朱印」を頂いていたのですが、当時は「御朱印」を書ける方がいなかったことで、手書きでは無く「ハンコの御朱印」でした。
その時の「御朱印代」に関しては、300円でしたが、今回は500円に変わっていたので「何か特別な形の御朱印に変わったんですか?」と尋ねたところ「手書きになったことと、朱印が少し変わりました。」とのことでしたので、改めて頂くこととなりました。
500円と言うお値段に関しては、今までにも何度かはそう言った場所もありましたが、期間限定の特別なもので、何でも無い普通の御朱印が500円と言うのは、あまり聞いたことが無かったので、頂くかどうか少し迷いました。
神職の方の「こう言うご時世なので・・・」という言葉に、そのうちに、多くの寺社仏閣でも「500円になるのでは?」と、少し重い気持ちになりました。
尚「御朱印」に関しては、基本的には、ひとつにつき300円を納めれば、誰でも頂くことができます。
「御朱印」に関しては、寺社で参拝しなければ頂けないと言うものではなく「仏像鑑賞」や「パワースポット巡り」など、別な楽しみも兼ねた証として頂くと言う考え方もあります。
寺社を訪ねるだけでなく「御朱印集め」は「何を書くのか?」や「どんなハンコ(朱印)を押すのか?」さらに「字の良し悪し」などを、楽しみのひとつとして収集するのも良いものですよ。
管理人は、訪れた寺社仏閣では必ず「御朱印」を頂いているので、正確に数えたことはないですが、知らず知らずの間に「1000」に手が届きそうなくらいになっています。
「御朱印集め」を、始めようとお考えの方には、是非お勧めしたいと思います。
尚、近年では「御朱印」を「スタンプラリー」のように、参拝もしないで頂きに行く方が増えていると言うことですが、最低限のマナーとしては、参拝が終了してから頂くことをお勧めしておきます。
安倍晴明神社のアクセス及び駐車場情報!
【基本情報】
*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。
「安倍晴明神社」
- 住所:〒 545-0034大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16
- 電話:06-6622-2565・FAX:06-6622-2993(阿倍王子神社社務所)
- 時間:境内自由
*安倍晴明神社の社務所の通常時間は朝の10時30分~夕方の16時00分まで(*時間外は阿倍王子神社の社務所にて受付しています)
*阿倍王子神社の社務所の通常時間は朝の9時00分~夕方の17時00分まで - 拝観料:無料
- 定休日:年中無休
- 駐車場:無し
*近くにある本社となる阿倍王子神社の駐車場を利用できます。 - アクセス:【公共交通機関】「阪堺上町線」の「東天下茶屋駅」で下車して東南方面に徒歩200m(約3分)
「近鉄南大阪線の阿部野橋駅」及び「JR関西本線・大阪環状線・阪和線の天王寺駅」及び「阪堺電気軌道上町線の天王寺駅前」及び「大阪メトロ御堂筋線・谷町線の阿倍野駅」が乗り入れする大阪市南部のターミナル駅より「あべの橋」のバス停留所に行き「大阪シティバス62系統/63系統/64系統/67系統」に乗車したあと「王子町」のバス停留所で下車して北西方面に徒歩200m(約3分)
【お車】「松原方面」からは「阪神高速14号松原線」の「文の里IC」を降りたらすぐにある「文の里駅前」の交差点を右折して「府道28号線(あびこ筋)」に入り少し先の「昭和町駅前」の交差点を右折して「松虫通」に入ったら少し走り進めた先の「松虫」の交差点を左折して「府道30号線(あべの筋)」に入ったあと少し先にある「北畠公園前」の信号を「Uターン」して200mほど走り進めた左手側に「安倍晴明神社」の本社となる「阿倍王子神社」がありますので駐車場が利用できます1.9km(約5分)
「大阪環状線方面」からは「阪神高速14号松原線」の「天王寺IC」を降りたあとそのまま道なりに進み「天王寺駅前」の交差点を右折して「府道30号線(あべの筋)」に入ったらしばらく走り進めた先にある「北畠公園前」の信号を「Uターン」して200mほど走り進めた先の左手側に「安倍晴明神社」の本社となる「阿倍王子神社」がありますので駐車場が利用できます2.8km(約10分)
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
「安倍晴明神社」は、平安時代の天才陰陽師「安倍晴明」が生誕した伝承地となるのですが、近年では大阪屈指のパワースポットとなり、遠方より参詣に訪れる方が増えた神社となります。
こじんまりとした境内ではありますが、見どころたくさんあるほか「よく当たる!」と言われている占いもありますので、是非一度訪れてみて下さい!
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