今回紹介するのは、奈良県吉野郡天川村にある、奈良県屈指のパワースポットとなる「天河大弁財天社」です。
「天河大弁財天社」がある「天川村」は、奈良県の中央部の南に位置し、世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の、主要構成要素である修験の山「大峰山」があり「近畿の屋根」と称される、連なる大峰山脈の、麓(ふもと)にある村となります。
「天川村」は、ほとんど人跡未踏(じんせきみとう)に近い「深山幽谷の地」で、奥深い大自然の地であったことが、修行者たちの「行場」を開くきっかけとなり、 修験道の開祖「役小角(えんのおづの)」により「金峰山・大峯山」が、開山されて以来は「天河大弁財天社」をはじめとした、数多くの山岳修験道の、根本道場として栄えたと言います。
「天河大弁財天社」の創建は、飛鳥時代にさかのぼるのですが「水分(みくまり)」すなわち「水の分配を司る神」の信仰で、古代民族信仰の発祥地とされる「霊山大峯」の開山が、役行者によってなされ、その折に「大峯蔵王権現」に先立って勧請され、最高峰となる「弥山」の、鎮守としてお祀りされたのが「天河大辨財天社」の創まりと言うことです。
「天河大弁財天社」の御祭神は「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」となり「弁財天」としても信仰されており「弁財天」は、川の流れの妙なる様を神格化したとされる、古代インドのサラスヴァティー神であり、その本来の神徳は「水の神」そして「水せせらぎの如く素直で妙なる弁舌」さらに音楽の神様であり、日本の古代より行われてきた「水神の信仰」とも結びついています。
あと「弁財天」が転じて「財を弁ずる」と言う解釈で「商売の神様」としても、信仰されるようになったと言います。
そんな「天河大弁財天社」は、厳島にある「厳島神社」と、竹生島にある「竹生島神社」と共に「日本三大弁財天」の筆頭に数えられ、特に「俳優・歌手・伝統芸能」に関わる方々から、篤く信仰されています。
そんな「天河大弁財天社」の紹介となります。
準備が整いましたら「天河弁財天社」の、散策スタートです!
天河大弁財天社~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】
今回は、奈良県吉野郡にある、天川村の観光に訪れたのですが、連なる大峰山脈の麓(ふもと)にある、小さな集落となるのですが、奈良県屈指のパワースポットと言われる「天河大弁財天社」があると言うことを聞き、ならばと車を走らせます。
朝一番より「天川村」に入って、観光を進めているのですが、黒滝方面より長~く続く「新川合トンネル」を抜けた先が「天川村」への入口となり「観光案内所」をはじめ「お食事処」や、小さな「おみやげ屋さん」がある、村一番の栄えた交差点となり、当然「信号機」があるのですが、この「信号機」を越えて「天川村」に入ったら、その先に「信号機」は、一切ありません。
「天川村」の入口の、一番栄えたところにある、唯一無二の「信号機」ですので、記念写真など撮られるのも、面白いかと思います。
さらに、北方面に位置する「黒滝村役場前」にも、同じように「黒滝村」で、唯一無二の「信号機」があるのですが「天川村」から15kmほど離れますが、走り出したらノンストップで行け、それほど時間は掛かりませんので、お時間があれば立ち寄ってみてください!
と、言うように、特徴的な見どころのある「天川村」ですが、まず初めに「天河大弁財天社」への「アクセス」と「駐車場」に関して、簡単に紹介しておきます。
天河大弁財天社へのアクセスはマイカーがお勧めです
「天河大弁財天社」への「アクセス」に関しては「マイカー」がお勧めとなりますが「公共交通機関」を利用しても行くことはできます。
まず初めに「マイカー」を利用する場合は「西名阪自動車道」が、一番近い「有料道路」と思いますが「郡山下ツ道JCT」より「京奈和自動車(無料区間)」を走り進めて「五條北IC」を降ります。
降りたらすぐ「大和高田・御所方面」に左折し、さらに「居伝町」の交差点を右折して「国道24号線(下街道)」に入ります。
少し先にある「三在」の信号を左折し「国道370号線(伊勢街道)」を「吉野・下市方面」に、しばらく走り進め「天川・黒滝方面」の案内看板に従って右折して「国道309号線」に入ります。
すぐ先の「岡崎」の信号を右折したあとは、約23kmほど「国道309号線」を走り進め「新川合トンネル」を抜けた先にある、上記で紹介した、唯一無二の信号を右折し「県道53号線」に入ります。
走り進めて行くと「天河大弁財天社」の案内看板に従って、左手側にある朱色の「弁天橋」を渡り、少し進んでいると「天河大弁財天社駐車場」の案内看板に従って、左折した先に「駐車場」があります。
「西名阪自動車道」の「郡山下ツ道JCT」からは、63.8kmほどありますが、約1時間15分で到着できるかと思います。
あと「駐車場」に関してですが「天河大弁財天社」には「無料駐車場」が用意されています。
「駐車場」に関しては、線引きが無い広場となるので、正確な駐車台数に関しては分かり兼ねますが、止め方によっては、30台~50台ほどは、駐車できるのではないかと思います。
続いては「公共交通機関」を利用する場合ですが「天川村」には、電車の路線がありませんので「バス」の利用が「必須条件」となるのですが「最寄り駅」となるのが、約14km離れた「近鉄吉野線」の「下市口駅」となります。
「下市口駅」までの「アクセス」に関しては「大阪方面」からの場合は「近鉄南大阪線」の「大阪阿部野橋駅」から「近鉄吉野特急」に乗車することで、約1時間4分ほどで行くことができます。
「京都方面」からの場合は「近鉄京都線」の「京都駅」から「近鉄京都線急行(橿原神宮前行)」に乗車し「橿原神宮前駅」で「近鉄吉野線」に乗り換えるのですが、こちらからは約1時間40分ほど掛かります。
「下市口駅」で下車したあとは「奈良交通バス(7系統)中庵住行き」に、乗車すること約1時間で「天河神社前」の停留所に到着となり、下車してからはすぐです。
それなりの時間が必要となるほか「バス」の便数が、朝、昼、夕方の3便しかなく、昼、夕方に向かうのは考えにくいので、実質、朝の1便しかないのが問題となります。
もうひとつ「バス」は出ているのですが、こちらも少し問題があり「奈良交通バス(2系統)洞川線」に乗車するのですが「天川川合」の停留所で下車することになり、その後「天河大弁財天社」まで、3.2kmほど歩く必要があり、約40分は掛かるのではないかと思います。
1日6便ほど出ていますが、こちらも午前中は2便と少ないので、やはり問題があります。
そんな問題点より「マイカー」をお勧めしていますが「公共交通機関」を利用する場合には、帰りに関する「時刻表」の確認も、事前にしておくことを、併せてお勧めします。
以上が「天河大弁財天社」を訪れるための「アクセス」と「駐車場」に関する紹介となります。
天河大弁財天社へは導かれた者しか辿り着けない!?
さて「天河大弁財天社」に「無事に!」到着したところで、早速にも散策を始めたいと思いますが「駐車場」は、裏手にあるので、とりあえず正面にある「一の鳥居」に移動し、紹介を進めたいと思います。
「ちょっと待て~い!無事に?」と、思われるでしょうが、ちょっとしたいわれがあるのが「天河大弁財天社」の、パワースポットとしての、良くも悪くも不思議なところです。
「天河大弁財天社」には「いつから?・誰が?」言い出したのかは知りませんが「呼ばれた人・縁のある人しか辿り着けない!」と、密かに噂されています。
ならば実際に「天河大弁財天社」には「導かれた人しか行けないのか?」と言えばそうではなく、上記でも紹介しましたが「アクセス面の悪さ!」が、いつしかそのような噂へと、転じたのではないかと思います。
寺社仏閣に関わらず、自身の経験として「縁のない場所!」と言うのは実際にあり、予定を何度立てても「アクセスの悪さ!」をはじめ「遠い!」や「天候が・・!」さらには「単純にやめよ!」など、なにがしの理由を付けて「行きたいのに行けない!」と言う場所が存在します。
それが寺社仏閣ともなれば、やはり「呼ばれた人・縁のある人」と言う、話になるようにも思うのですが、確かに自身に対して「ご縁のある寺社仏閣」や、何度も訪れてしまう「相性の良い寺社仏閣」と言うのは、あるようにも思います。
ただ「呼ばれないと行けない!」なんて、ご縁の差別をする、寺社仏閣や神様は「天河大弁財天社」に限らず、どこにもないと思います。
「天川村」への「アクセス」は「公共交通機関」を利用する場合には、関西県内からでも、時間的にかなりの無理がありますし、では「マイカーなら?」と考えても「高速道路」も無い、山々に囲まれた小さな集落で、簡単には行くことができません!
しかし「呼ばれた人・縁のある人しか辿り着けない!」と言うキャッチフレーズとしては「かなり魅力的なパワースポット!」であるのには間違いないので、今回のように「無事に!」到着できたことは、パワースポットとして、素直に「導かれた!」と考えて喜ぶのが、お楽しみのひとつですね!
神域を現す四石三水八ツの杜の地!
「一の鳥居」をくぐり「拝殿」へと続く参道に、太鼓の胴のようにまん中が半円形に反った、小さな朱塗りの「太鼓橋」が架かっており、左手側には「手水舎」があります。
「手水舎」で身を清めると「太鼓橋」を渡り、そのまま「拝殿」へと長く伸びる、石階段を登るのですが「二の鳥居」をくぐり、3段ほど石階段を登った右手側に、注連縄と紙垂が掛けられた、神域を示す囲いの中に「磐座」があります。
この地は「四石三水八ツの杜」と言われ、四つの天から降った石に、三つの湧き出る清水、そして八つの杜に囲まれた処とされるのですが、それは神域を現すと言います。
そんないわれのある「天から降った石」すなわち「天石」と称される「磐座」が、境内に二つのあると言うのですが、その内のひとつが「拝殿」に続く「石階段右」となります。
残りの二つの「天石」のうちのもうひとつは、さらに石階段を10段ほど登り進めた「踊り場」を、左手側に入れば「五社殿」があり、その前に「天石」があります。
「五社殿」は、石段手前より「弁財天の化身なる龍神の神」となる「龍神大神」がお祀りされ、続いて八つの社の内の「森本神社」のご祭神「大将軍大神」その隣には「天照大御神」の御別名の「大日めの貴神」さらに「菅原道真公」の「天神大神」最後に「琵琶山地主守神」として「大地主大神」が、それぞれお祀りされています。
そんな「五社殿」の前に、先ほどと同じように神域を示す囲いの中に「天石」となる「磐座」があります。
「天石」には、それぞれ呼び名があり「五社殿前」の「天石」は「イノコ石」となるのですが、先ほどの石階段の右手側の「天石」に関しては、名称不詳となるそうです。
三つ目の「天石」は、そのまま「天石」と呼ばれたり「玉石」と呼ばれるのですが、まずは「拝殿」で、お詣りを済ませたあとに、向かうことになります。
日本三大弁財天の第一の天河弁財天!
もう少し石階段を登り進めたところに「拝殿」がありますが「本殿」に関しては、樹木が生い茂っていて、どこから覗いても見えない形となっており「拝殿」に関しては、屋根のある特徴的な造りとなります。
出入口には注連縄と紙垂、さらに菊の紋章をつけた幔幕(まんまく)が張られ、内陣に関しては神域の中となるため、写真撮影は控えたいと思います。
「拝殿」は、中に入って左手側となるのですが、右手側にはレッドカーペットが敷き詰められた、かなり立派な「能舞台」があり、7月の16日と17日には、1年の最大のお祭りとなる「例大祭」や、春秋の「大祭」には、能楽奉納や演奏がされると言います。
「天河大弁財天社」は、古くより「能」との関りが深く「能」の第一人者「世阿弥(ぜあみ)」の嫡男となる「観世元雅(かんぜもとまさ)」通称「十郎(じゅうろう)」が「天河大弁財天社」で「唐船」と称される「能」を奉納し「阿古父尉(あこぶじょう)」の能面を寄進したことでも知られています。
そんな「阿古父尉」を含め「能面三十一面」をはじめ「能装束三十点」や、小道具さらに能楽謡本関係文書多数は、室町時代から桃山時代を経て、江戸初期にかけてのものが多く、それらは我が国の能楽草創期から成熟期にかけてのものばかりで、能楽史上稀有のものとして、文化的価値のきわめて高いものが収蔵されています。
また、江戸時代前期の放浪の僧「円空上人」も、大峯の地で修行されたことで知られ「天河大弁財天社」には、現在までに約5300体以上の像が発見されている「円空作」の仏像の中でも、傑作とされる「大黒天像」が奉納されています。
「大黒天像」は、45.5cmの桧製で、独特の作風を持った姿となり、やさしい笑顔と丸みを帯びた仏像からは、やすらぎを語りかけているかのように見えると言います。
「天河大弁財天社」の創建は、飛鳥時代にさかのぼるのですが「水分(みくまり)」すなわち「水の分配を司る神」の信仰で、古代民族信仰の発祥地とされる霊山大峯の開山が、役行者によってなされ、その折に「大峯蔵王権現」に先立って勧請され、最高峰となる「弥山」の鎮守としてお祀りされたのが「天河大辨財天社」の創まりと言うことです。
「天河大弁財天社」の御祭神は「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」で「弁財天」としても信仰されており「弁財天」は、川の流れの妙なる様を神格化したとされる、古代インドのサラスヴァティー神であり、その本来の神徳は「水の神」そして「水せせらぎの如く素直で妙なる弁舌」さらに音楽の神様であり、日本の古代より行われてきた「水神の信仰」とも結びついています。
あと「弁財天」が転じて「財を弁ずる」と言う解釈で「商売の神様」としても、信仰されるようになったと言います。
そんな「天河大弁財天社」は、厳島の「厳島神社」と、竹生島の「竹生島神社」と共に「日本三大弁財天」のひとつに数えられ、特に「俳優・歌手・伝統芸能」に関わる方々から、厚く信仰されています。
御祭神となる「市杵島姫命」こと「天河弁財天像」は秘仏となり、60年ごとに開扉されるのですが、その姿は「八臂(はっぴ)」すなわち「8本の腕」があり、それぞれの手に「宝珠・宝弓・宝鈷・宝鉾・宝刀・宝箭・宝鑰・宝棒」を持ち、頭には鳥居を象った宝冠をいただき、中に人頭をもつ白蛇がトグロを巻いている姿から「八臂弁財天」や「宇賀神弁財天」とも言われています。
「天河弁財天像」の右側には「毘沙門天神」左側には「大黒天神」下部には、宝珠をもつ「十五童子」が配されています。
中央にその「天河弁才天像」がお祀りされ、右に「熊野権現(阿弥陀如来)」左に「吉野権現(蔵王権現)」が、それぞれお祀りされていることから「神仏習合」の形態を、現在も残しています。
「天河弁才天像」は、1981年に開帳されており、60年に一度と言う習わしですので、次回は2041年となるのですが、平成元年の「社殿」の建て替えから20年を迎えたことを記念して「特別拝観」が行われたと言いますので、ひょっとすれば2041年までに、もう一度くらい「特別拝観」があるかもしれませんが・・・
と言うように、秘仏となる「天河弁財天像」は、めったに見ることが出来ない貴重なもとなっています。
天河大弁財天の独自の神器「五十鈴」
見どころのひとつとなる、立派な「能舞台」がある「拝殿」ですが、正面に「本殿」をお詣りする「拝殿」があり、もうひとつの見どころとなるのは、お詣りの際に鳴らす「鈴」ですが「五十鈴(いすず)」と呼ばれる「天河大弁財天」に、古来より伝わる独自の神器となり、他では見たこともないような形の「鈴」が「鈴緒」の先に付けられています。
上記の写真は「授与所」にて撮った「五十鈴」の写真ですが、三つの球形の鈴が、三角形に配置されています。
「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が「天岩戸(あまのいわと)」にこもられたとき「天宇受売命(あめのうずめのみこと)」が「ちまきの矛」すなわち「神代鈴をつけた矛」をもって、天岩戸の前で舞を舞ったところ、天岩戸が開かれ、再び天地に明るさが取り戻されたと言う伝承に登場する「天宇受売命」が使用した「神代鈴」と、同じものであると言われています。
「五十鈴」の、一種独特な三つの球形の鈴は、それぞれ「いくむすび・たるむすび・たまめむすび」と呼ばれる、魂の進化にとって重要な「三つの魂の状態」すなわち「みむすびの精神」を、表していると言うことです。
「五十鈴」から放たれる、独特とも言える3つの音の響きが合わさることで、心身は深く清められ、本来あるべき穏やかな状態に戻り、新たな活力が湧いてくると言うことです。
そんな「天河大弁財天」の特徴的な「五十鈴」は、鈴の鳴らし方も特徴的で、普通に前後に「鈴緒」を振るのではなく、鈴を止めた状態で「鈴緒だけ円を描くようにぐるぐる回す!」ことで「鈴?」のような音が鳴るようになっています。
「五十鈴」は「金・銀」各1個ずつ、鈴の部分が重ならないように上下に配置されることで、下から見ると6つの鈴が見えるのですが、音色に関しては、少し表現しにくいので、訪れた際のお楽しみとして下さい。
尚、この不思議な音色には「UFOを呼ぶ力!」があると言われており、実際に「UFO」の目撃情報も、多発していると言います。
そんな「五十鈴」が「御守」として、お受けできるのですが「ストラップ」で、初穂料2500円となり「ネックレスタイプ」になると3500円となるほか「銀製」で「銀メッキ張り」ものが20000円となり「銀製」の「金メッキ張り」になると30000円と言う特別な「五十鈴」もあり、これらは「お申込み後に神殿において御祈祷してから授与」されると言います。
ご興味のある方は「授与所」にて、詳しくお聞きください!
境内にある3つ目の天石は見逃しがちです!
独特な音色を放つ「五十鈴」で、深く心身が清められ、活力が湧いてきたところで、境内にある三つ目の「天石」を探すのですが、二度、三度と境内を歩き回るのですが、見つけることができません!
「授与所」に行き「巫女さん」に聞くと「拝殿の裏手の階段を降りたところにある行者堂の横にある木の下に囲いが無い状態であります!」と言うので、改めて「拝殿」へと行き、裏手に続く長い石階段を降りて行きます。
三つ目の「天石」は、巫女さんが言った通り「行者堂」に向かって左手側の木の下にあり、先の二つと違って神域を示す囲いが無く、隠れるようにあります。
僅かにお賽銭が置かれていることからも、間違いないと思うのですが「何故これだけ囲いが・・?」と思いますが、そのあたりについては謎です!
境内には、この三つの「天石」があるだけで、残る一石に関しては、駐車場に入る前に渡った、天の川に架かる「弁天橋」の下にある「ダムダ石」と称される「天石」なのですが、結構な石が転がっているほか「コレ!」と示すような目印も無く、現在では正確な所在に関しては「不明」と言うことです。
と、言ったことから、確認できる「天石」は、三つとなります。
天河大弁財天社のその他の見どころ!
最後に境内にある、その他の見どころを、簡単に紹介しておきます。
まず「拝殿」に続く石階段の横に、玉砂利の敷かれた細い道があり、100メートルほど歩き進めた裏手側に、少し開けた場所があるのですが、そこには見どころのひとつ「弁天桜」があります。
小さな池の前に「一本桜」となる「弁天桜」があるのですが、樹齢や名前の云われなどの詳細は一切書かれておらず、景観的には優れた場所となるのですが、肝心の「弁天桜」に関しては、見ごろを過ぎた状態となります。
現在この周辺は、ちょうど桜最盛期となるはずなのですが、この「一本桜」の「弁天桜」だけは、少し早咲きとなるようです。
木の状態から見て、それほど樹齢があるようには思いませんが、名前の付けられた「しだれ桜」となりますので、最盛期には見どころのひとつになると思われます。
「弁天桜」を観賞したあと、そのまま道なりに進んで行くと「駐車場」まで行くのですが、右手側に石階段が続き、その先には芝生を敷き詰めた広場となり「南朝北朝和解供養塔」となる「宝篋印塔」が建てられています。
南北朝時代は「京都=北朝」と「吉野=南朝」の2か所に都が置かれ、両朝はそれぞれの正統性を主張し、幾たびかの大規模な戦が起こったことはよく知られています。
南朝の天皇は「後醍醐天皇」⇒「後村上天皇」⇒「長慶天皇」⇒「後亀山天皇」の4人で、初めは吉野に開かれた南朝でしたが、南朝の「興隆・衰退」に従って「大和」⇒「河内」⇒「摂津」⇒「山城」などに、行宮を移転していきました。
南朝が置かれた吉野ですが、60年近い南北朝時代の3分の2は、奥吉野と呼ばれる山村地域に南朝が置かれ、奥吉野の一角を占めていた、ここ「天川村」の「天河大弁財天社」の近いところに「黒木御所」が置かれたと言うことです。
「天河大弁財天社」の後ろにある「南朝黒木御所跡」は、後醍醐天皇の第3王子である「大塔宮護良親王」が、十津川に逃げた際に、豪族の「竹原八郎」が「仮宮殿」を建てて、かくまった御所の跡と言われています。
「黒木御所」と呼ばれるのは、製材していない生の木材「黒木」を用いて建てた「仮の御所」と言う意味で「黒木御所跡」の伝承地は、この地を含めて幾つかあり、この地に「黒木御所」があった「時期・沿革等詳細」は、残念ながら不詳となります。
そんな「南朝黒木御所跡」の後は「駐車場」から「境内」に、もう一度入り「授与所」の横にある「斎灯殿」に移動します。
「斎灯殿」の内陣には、御祭神3座に合わせて、扉3間が付いた小祠が安置されており「中殿」には「大弁財天尊(市杵島姫命)」がお祀りされ「右殿」には「不動明王尊(火之迦具土神)」さらに「左殿」には「神変大菩薩尊」が、それぞれお祀りされています。
さらに内陣には、千年の間消えることなく燃え続けている「千年の灯」があるのですが、ブルーの大きなグラス型のランプの中で、絶えることなく燃え続けているのですが、大規模な水害の際には、このランプのギリギリのところまで水が迫ったと言いますが、間一髪のところで、被害を免れた「奇跡の灯」と言われています。
以上が、境内の見どころとなり「天河大弁財天社」の散策が、すべて終了となります。
天河大弁財天社の御朱印です!
最後になりますが「天河大弁財天社」の、すべてを参詣した証として「御朱印」を頂くのですが「斎灯殿」の隣の「授与所」が「御朱所」を兼ねています。
尚「御朱印」に関しては、基本的には、ひとつにつき300円を納めれば、誰でも頂くことができます。
「御朱印」に関しては、寺社で参拝しなければ頂けないと言うものではなく「仏像鑑賞」や「パワースポット巡り」など、別な楽しみも兼ねた証として頂くと言う考え方もあります。
寺社を訪ねるだけでなく「御朱印集め」は「何を書くのか?」や「どんなハンコ(朱印)を押すのか?」さらに「字の良し悪し」などを、楽しみのひとつとして収集するのも良いものですよ。
管理人は、訪れた寺社仏閣では必ず「御朱印」を頂いているので、正確に数えたことはないですが、知らず知らずの間に「1000」に手が届きそうなくらいになっています。
「御朱印集め」を、始めようとお考えの方には、是非お勧めしたいと思います。
尚、近年では「御朱印」を「スタンプラリー」のように、参拝もしないで頂きに行く方が増えていると言うことですが、最低限のマナーとしては、参拝が終了してから頂くことをお勧めしておきます。
天河大弁財天社のアクセス及び駐車場情報!
【基本情報】
*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。
「天河大弁財天社」
- 住所:〒638-0321奈良県吉野郡天川村坪内107
- 電話:0747-63-0558/0747-63-0334・FAX:0747-63-0848(天河大辨財天社社務所)
- 時間:拝観時間:朝の7時00分~夕方17時00分まで
- 拝観料:無料
- 定休日:年中無休
- 駐車場:無料(30台~50台)
- アクセス:【公共交通機関】「大阪方面」からの場合は「近鉄南大阪線」の「大阪阿部野橋駅」から「近鉄吉野特急」に乗車(約1時間4分)して「下市口駅」で下車したら「奈良交通バス(7系統)中庵住行き」に乗車(約1時間)したあとは「天河神社前」の停留所で下車してすぐ
「京都方面」からの場合は「近鉄京都線」の「京都駅」から「近鉄京都線急行(橿原神宮前行)」に乗車し(約1時間4分)終点となる「橿原神宮前駅」で「近鉄吉野線」に乗り換えて(36分)「下市口駅」で下車したら「奈良交通バス(7系統)中庵住行き」に乗車(約1時間)したあとは「天河神社前」の停留所で下車してすぐ
もしくは「下市口駅」から「奈良交通バス(2系統)洞川線」に乗車して「天川川合」の停留所で下車したあと徒歩3.2km(約40分)
【お車】「西名阪自動車道」の「郡山下ツ道JCT」より「京奈和自動車(無料区間)」を走り進めて「五條北IC」を降りたらすぐ「大和高田・御所方面」に左折しさらに「居伝町」の交差点を右折して「国道24号線(下街道)」に入り少し先にある「三在」の信号を左折し「国道370号線(伊勢街道)」を「吉野・下市方面」にしばらく走り進め「天川・黒滝方面」の案内看板に従い右折して「国道309号線」に入りすぐ先の「岡崎」の信号を右折したあとは23kmほど「国道309号線」を走り進め「新川合トンネル」を抜けた先にある1つ目の信号を右折し「県道53号線」に入り「天河大弁財天社」の案内看板に従い左手側にある朱色の「弁天橋」を渡り少し進んでいると「天河大弁財天社駐車場」の案内看板に従い左折して30m先に「駐車場」があります63.8km(約1時間15分)
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
「天河大弁財天社」がある「天川村」は、奥山に囲まれた小さな集落となり、非常にアクセス面の悪い地となるのですが、そんな中に「日本三大弁財天」の筆頭として、奈良県屈指のパワースポットがあるのは、少し驚かされるところです。
「選ばれた者・呼ばれた者のみが辿り着ける!」と言う、非常に興味深い地となり、境内に漂う空気も一味違います。
非常に興味深い歴史が伝わる地となりますので、是非一度訪れて、霊験あらたかな御利益を授かりに訪れてみてください!
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