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熊野三山めぐり~1日で熊野詣を完全攻略【アクセス・駐車場】

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今回紹介するのは、古くから神々が鎮座する、特別な地域として崇められた、紀伊山地にある「熊野三山」です。

熊野周辺は、日本書紀にも登場する、自然崇拝の地であり、まだ社殿と言うものがない「神話時代」にさかのぼっての、古くからの伝承があり、熊野の地に、神々が降臨したことが始まりで、その後「神武天皇(じんむてんのう)」の「神武東征」の際に「天照大神」より使わされた「八咫烏」の先導によって無事に、大和の橿原の地へ移り、西暦紀元前660年2月11日に、初代天皇となる「神武天皇」として、即位されたと言います。

熊野三山」は「熊野本宮大社」をはじめとして「熊野速玉大社」さらに「熊野那智大社」の3社と「熊野那智大社」に隣接する「青岸渡寺」及び、那智勝浦の海岸近くにある「補陀洛山寺」の、2寺を含めた寺社で、構成されています。

熊野三山となる3社2寺です。

熊野三山となる3社2寺です!

古くは、平安時代となる8世紀頃より、聖なる地として人々の関心を高め、仏教伝来以後、山岳仏教をはじめ、仏教と日本の土着信仰とが、癒合して成立した、修験道の修行の地として「高野山」をはじめ「吉野」が成立し、のちに紀伊半島を浄土とみなす信仰として「熊野三山」を中心とした「熊野信仰」の霊場となり、霊場に至る参詣道が、発達したと言います。

宇多法皇」による「熊野御幸」すなわち「熊野詣」が、始まりとされ「歴代法皇・上皇・女院」の「熊野御幸」は、百余度に及んだと言います。

また、12世紀から13世紀にかけて、熊野詣の先達を務めた、修験者により組織された、一郡の神社「九十九王子」が設けられ、大阪を起点として、まず初めに「熊野本宮大社」を経由して、その後、新宮の「熊野速玉大社」さらに「那智勝浦」の「熊野那智大社」へと至る参詣路には、100以上もの「王子社」があったと言われ、参詣者は「九十九王子」で、休憩をとりながら「熊野三山」を、巡ったと言います。

室町時代になると、皇族や貴族だけではなく、武士や庶民の間に「熊野信仰」が広がり、身分の違いや、老若男女を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、熊野の地に、大勢の人々が連なって参詣する姿から「蟻の熊野詣」と言われ「熊野三山」の繁栄も、まさに頂点に達し、熊野参詣道に関しても、広域道路として整備されるほどの、賑わいだったと言います。

そんな「熊野詣」のために通った道が「熊野古道」と、呼ばれる参詣道です。

江戸時代に入ると、全国に流行していた「伊勢詣」と並び「熊野詣」も、広く庶民が行うようになったといわれ、最盛期には、熊野付近にある「旅籠(はたご)」すなわち「宿屋」に、1日で800人からの宿泊者が、詰めかけたと言います。

明治39年となる、1906年末に布告された「神社合祀令」により、熊野古道周辺にある、神社の数は激減し、熊野詣の風習も、殆どなくなってしまいました。

そんな「熊野信仰」の霊場となる「熊野三山」の紹介となります。

 

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熊野三山めぐり~1日で熊野詣を完全攻略【アクセス・駐車場】

今回は「神話時代」にさかのぼって、古くから神々が鎮座する、特別な地域として崇められた、紀伊山地にある「熊野三山」を、巡るため、和歌山県の南端に向けて、車を走らせます。

熊野三山」は「熊野本宮大社」をはじめとして「熊野速玉大社」と「熊野那智大社」の3社と「熊野那智大社」に隣接する「青岸渡寺」及び、那智勝浦の海岸近くにある「補陀洛山寺」の、2寺を含めた寺社で構成されていますが、歩いて1日で巡ることは、まず不可能です。

しかし「マイカー」を利用すれば、頑張り次第では、1日で「熊野三山」の、3社2寺を攻略することは可能です。

アクセス面」では、非常に悪い場所となり「日帰り」で「公共交通機関」を利用して訪れるのでしたら、やはり3度ほど訪れないと、全てを巡ることができないのが現状です。

 

熊野三山の参拝順序は?

簡単にざっくりと計算したのですが、例えば「熊野本宮大社」をスタート地点として、終着点を「熊野那智大社」と考えても、約60kmほどはあり、ぶっ通しで歩き続けても、13時間以上は必要となります。

歩くだけでも、これだけの時間が必要ですので、参拝する時間や、休憩さらにお食事などを考えると、最低でも3日は、必要になるかと思います。

さて、ここで紹介して行くのは「マイカー」を、利用して巡る場合ですが、スタート地点になるのは「熊野本宮大社」となるのですが「熊野那智大社」でも良いのですが「熊野那智大社」には、隣接する「青岸渡寺」をはじめ「熊野那智大社」の別宮「飛瀧神社」があり、御神体の「那智の滝」は、見どころのひとつとなるほか、メインストリートに立ち並ぶ、多彩なお店なども楽しむとなれば、かなりの時間が必要となりますので、お勧めするのは、やはり「熊野本宮大社」を、スタート地点と考え、最後に「熊野那智大社」を巡る方です。

実のところ「熊野三山」は、正式な参拝の順番があり「熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野那智大社」の、順に巡るのが、本当のところでした。

その順序に、たまたま合う形ですが、現在の「熊野詣」ですので、多くの方の出発地も様々ですし、特に順番にこだわる必要はなく、参拝するときの心構えと、気持ちが、何よりも大切です。

ちなみに「熊野詣」が、広く行われた最盛期は、都があった京都から「上皇・法王」は、熊野へ向けて出発して、参拝していました。

①京都を出発した「上皇・貴族」は、まず船に乗って「淀川」を下り、大阪の地(現在の大阪市天満橋)に入りました。

②その後「熊野古道」でも、困難な道であった「紀伊路」を、天満橋から海岸筋を通り、熊野の玄関口で「中辺路・大辺路」の、分岐点がある、紀伊田辺の「口熊野」まで南下します。

③紀伊田辺からは「中辺路」の山中にある「滝尻王子~継桜王子」などを通って「熊野本宮大社」へ、向かいました。

④「熊野本宮大社」での参詣が終わると、県境に沿って流れる、熊野川を船で下って、熊野川の河口にある「新宮」にある「熊野速玉大社」を、お詣りします。

⑤「熊野速玉大社」からは、徒歩で海岸線沿い通り、那智川に沿って、那智山に向かって歩き進めれば「熊野那智大社」に到着です。

と、言った感じです。

 

熊野本宮大社!

さて「熊野本宮大社」を、スタート地点としたのですが「熊野本宮大社」の、参拝時間に関しては、朝6時00分~夜19時00分まで可能となりますので、できるだけ早い時間にスタートできると幸いですが「社務所」に関しては、朝8時00分~夕方17時00分までとなりますので「御朱印」の関係もありますので、必要な方は、朝8時00分までに参拝を済ませておけば、すぐに「御朱印」を頂いて、次の目的地となる「熊野速玉大社」に向かうことができます。

熊野本宮大社」は「熊野三山」の中心で、全国に4000社ある「熊野神社」の総本宮となり「日本第一大霊験所根本熊野三所権現」の称号を得た、崇敬の厚い、由緒ある神社です。

現在の社地は、山の上となるのですが、創建は、崇神天皇65年(紀元前33年)となり、旧社地となる「中州(現・大斎原(おおゆのはら)」の、櫟(いちい)の巨木に「三体の月」が、降臨したのですが「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか?」と、尋ねたところ、真ん中の月が言うには「我は證誠大権現(家都美御子大神)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創(つく)って齋(いつ)き祀(まつ)れ」との、神勅により「熊野本宮大社」の社殿が「大斎原」に創建され、主祭神として「家都美御子命(けつみみこのみこと)」が、お祀りされたと云われています。

熊野三山のひとつ熊野本宮大社です。

熊野三山のひとつ熊野本宮大社!

熊野本宮大社」は、その昔「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)」と社号し「熊野の神」と言えば「本宮」のことを表していたと推測されており、平安朝以後になると「仏化」により「熊野権現」と称し、神々に仏名を配するようになりました。

熊野本宮大社」は「上・中・下社」の、三社から成るため「熊野三所権現」と、呼ばれているほか「十二殿」に御祭神が鎮座すことから「熊野十二社権現」とも呼ばれています。

1889年に起きた大洪水により、熊野川の「中州(現・大斎原(おおゆのはら)」にあった社殿のうち「中・下社」が倒壊し、現在地に「上・四杜」のみを、お祀りする形となり「熊野十二社権現」の、残る八社は「石祠(せきし)」として、旧社地となる「大斎原」にお祀りされています。

熊野本宮大社の旧社地の大斎原です。

熊野本宮大社の旧社地の大斎原

以上が「熊野本宮大社」の、簡単な紹介となりますが、見どころが豊富で、旧社地となる「大斎原」までを、お参りしようと思えば、1時間ぐらいは必要となります。

熊野本宮大社を詳しく紹介した記事はコチラをご覧下さい

「日本一の大鳥居」です。
熊野本宮大社~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】

今回紹介するのは、和歌山県田辺市本宮町本宮にある「熊野本宮大社」です。 「熊野本宮大社境内」及び「本宮大社旧社地」となる「大斎原」は史跡となり、新宮市にある「熊野速玉大社」と、那智勝浦町那智山にある「熊野那智大社」の、3社をはじめとして「熊野那智大社」と隣接する「青岸渡寺」さらに、密接な関係を持つ「 ...

アクセス」や「駐車場」さらには「熊野本宮大社」の、見どころに関しては、上記で詳しく知っていただくとして、これより「熊野速玉大社」へ移動します。

 

熊野速玉大社!

熊野本宮大社」より「熊野速玉大社」までは、35kmほどあり、45分ぐらいは必要となりますが、熊野川に沿って走り進めますが、交通量は意外と少ないので、大幅に遅れることは無く、何なら思っている以上に、早く着くのではないかと思います。

この時点で、9時00分前後ぐらいでしたら、順調に来ています。

熊野速玉大社」は、考えている以上に、こじんまりとした境内ですので、ぐるりとひと回りしてから、お詣りしても30分ほどで見どころを回れます。

熊野速玉大社」の御神体となるのは、摂社となる「神倉神社」にあり「ゴトビキ岩」に降臨した神々、すなわち「熊野権現」を、お祀りする神社となります。

熊野三山のひとつ熊野速玉大社です。

熊野三山のひとつ熊野速玉大社!

熊野信仰が盛んになる頃「熊野権現」が、諸国遍歴の末に、熊野で「熊野三所大神」が、最初に降臨した場所であると説かれ、そのことから「熊野根本神蔵権現」あるいは「熊野速玉大社奥院」と、称されたと言います。

熊野速玉大社」の創建は「神倉神社」が、始まりとされるのですが「神倉神社」の創建年代は、128年頃といわれているのですが「神話時代」となる、古くからの伝承があり「神武天皇」が、神倉に登拝されたことが、記されています。

熊野速玉大社の摂社「神倉神社」です。

熊野速玉大社の摂社「神倉神社」

その後、景行天皇58年に、現在の社地に「」を造営して、お遷(うつ)りになり、社号を「新宮」にしたと言われています。

その後、いつの頃からか、社号を「熊野速玉大社」とするのですが、正確な創建年代は不詳となりますが「主祭神」となるのは「熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)」と「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)」の夫婦神となり、まず初めにお祀りされましたが、平安時代の初めには、現在のように「十二の神殿」が完成し「熊野十二所権現」が、お祀りされています。

御神体となる「ゴトビキ岩」まで行くには、千穂ヶ峯の支ピーク「神倉山(かんのくらやま)」の、標高120メートル付近まで、登り進める必要があり、境内の外縁は、切り立った断崖絶壁となっているのですが、急勾配の「鎌倉積み」の石段を、実に538段も登り進めなければいけません。

急勾配の「鎌倉積み」の石段です。

急勾配の「鎌倉積み」の石段です!

ただ登れば良いだけなのですが、この石段の傾斜は、いまだかつて見た事が無いような傾斜角となり、滑り落ちれば、即、病院送りになるほどに、恐ろしいものとなります。

熊野速玉大社及び神倉神社の記事はコチラをご覧下さい

熊野速玉大社の神門です。
熊野速玉大社~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】

今回紹介するのは、和歌山県新宮市新宮にある「熊野速玉大社」です。 「熊野速玉大社」の境内および「神倉山」に鎮座する、摂社「神倉神社」の境内は、史跡となるほか、田辺市にある「熊野本宮大社」と、那智勝浦町の那智山にある「熊野那智大社」を合わせた、3社をはじめとして「熊野那智大社」と隣接する「青岸渡寺」お ...

熊野の神々が降臨した「ゴトビキ岩」です。
神倉神社【アクセス・駐車場・御朱印】ゴトビキ岩に神々降臨

今回紹介するのは、和歌山県新宮市神倉にある「神倉神社」です。 「神倉山(かんのくらやま)」に鎮座する「神倉神社」は「熊野速玉大社」の摂社となるのですが「神倉神社」の境内地は、史跡となるほか、新社地となる「熊野速玉大社」と、田辺市にある「熊野本宮大社」さらに、那智勝浦町那智山にある「熊野那智大社」の3 ...

上記の「神倉神社」ですが「熊野速玉大社」より、約1kmほど離れますが、歩いて行くことも可能ですが「駐車場」が完備されていますので、時間を考えると「マイカー」で、移動することになります。

急勾配の「鎌倉積み」の石段を、538段ほど登り進めなければいけないと言うことで、少し緊張感があります。

熊野速玉大社」を訪れたなら、是非とも「ゴトビキ岩」を、お詣りしたいところですが、登り始めは、まだ余裕があるのですが、カーブが掛かっている辺りの道中は、登っている最中に「垂直に登っているのでは?」と、一瞬錯覚するほどの傾斜角に、思わず足が止まるほどです!

お年を召して、足腰の悪い方や、小さなお子様連れで、いざ登りだして「無理~!」となった方は、鳥居の前には「遥拝所」が設けられていますので、この場所から、御神体の「ゴトビキ岩」を、お詣りできるようになっています。

ゴトビキ岩」まで行くとなれば、片道で約15分となりますので、色々あったとしても1時間ぐらいは、必要かと思いますが、12時00分ぐらいまでに、お詣りできるようなら問題ありません!

 

補陀洛山寺!

熊野速玉大社」と、旧社地となる「神倉神社」の、お詣りが終わると、続いて向かうのは「補陀洛山寺」となるのですが「熊野三山と言えば!」と聞いたとき、広く言われるのが「熊野本宮大社」を、はじめとして「熊野速玉大社」と「熊野那智大社」の、3社を答えるのですが「熊野那智大社」に隣接する「青岸渡寺」及び、那智勝浦の海岸近くにある「補陀洛山寺」の、2寺を含めた寺社で、構成されています。

どちらが本当に正しいのか?分かりにくいところがあるのですが「熊野信仰」を語るうえで、重要な寺院となっていますので、是非訪れていただきたいので、紹介しておきます。

補陀洛山寺」は「熊野那智大社」に向かう途中にありますので、お時間に余裕があるなら、是非立ち寄ってください!

また「熊野速玉大社」から「補陀洛山寺」までは、約15kmほどですので、20分ぐらいで行けるかと思います。

補陀洛山寺」は「仁徳天皇」の治世の頃に、インドから熊野の海岸に漂着した「裸形上人」によって、開山されたと言われる、由緒ある古寺で、平安時代から江戸時代にかけての、約千年にわたり「補陀洛山寺」の住職が主体として、生きながらにして、南方の遥か彼方の果ての海上に、存在すると信じられていた「観音浄土」で、観音菩薩の降り立つ伝説上の山「補陀落山(ふだらくせん)」を目指して、現身を船形の棺に納めて、那智の浜より大海原に旅立ったと言う、宗教儀礼「補陀落渡海」の、出発の地として知られる寺院です。

見どころのひとつ補陀落渡海です。

見どころのひとつ補陀落渡海です!

江戸時代まで「那智七本願」の一角として、大伽藍を有して栄えていたのですが、1808年に起きた台風により、主要な堂塔は、全て滅失することとなり、長きに渡って再建されることなく、仮本堂のままだったのですが、1990年になって、ようやく本堂が再建されることになり、室町様式の高床式四方流宝形型で完成しました。

補陀洛山寺」の御本尊となる、木造の「三貌十一面千手千眼観世音菩薩」は、平安時代の作となり、1982年6月5日に国の重要文化財に指定され「秘仏」となる「三貌十一面千手千眼観世音菩薩」は、毎年1月27日、5月19日、7月10日の、年3回開扉されます。

また「補陀洛山寺」の境内と、隣接するように「熊野三所権現」をお祀りする「熊野三所大神社」があり「神仏習合」の形態が、今も残っていることを示しています。

補陀洛山寺」は「浜宮王子」の「神宮寺」であるのですが「本願所」となった、経緯や時期は明らかではなく「補陀洛山寺」の工芸品や、仏像の銘などから、16世紀初頭から半ばにかけて、本願をつとめた聖の名が、確認されるにとどまっています。

補陀洛山寺の詳しい記事はコチラをご覧下さい

見どころのひとつ「補陀落渡海船」です。
補陀洛山寺~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】

今回紹介するのは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮に鎮座する「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」です。 「補陀洛山寺」の境内地は史跡となり、密接な関係を持つ「熊野那智大社」及び隣接する「青岸渡寺」を加えた2寺と、田辺市にある「熊野本宮大社」さらに、新宮市にある「熊野速玉大社」を合わせた、3社と共に「熊野 ...

世界遺産」に指定される「補陀洛山寺」ではありますが、訪れる方は意外と少なく、境内もこじんまりとした、素朴なお寺ですが、熊野信仰に大きく関わるお寺で「熊野那智大社」の「造営・修造」のため、布教活動を行った寺院のひとつでした。

補陀洛山寺」には「駐車場」が用意されており、止めてすぐ境内に入れるほか、小さな寺院ですので、早くて10分、ゆっくり回っても30分で、お参りできます。

 

熊野那智大社~青岸渡寺~那智の滝へ!

補陀洛山寺」を巡れば、最後は「熊野那智大社」へと移動しますが、この時点で13時00分頃でしたら「熊野三山」の完全攻略は目前ですが、一番時間を必要とするのは、ここからです!

この時点で、お腹も空いてくるでしょうが、ここまで来たら、もうひと頑張りして、一気に走り進めて下さい!

熊野那智大社」までは、残すところ8kmとなりますので、15分で行くことができ「おみやげ屋さん」が立ち並ぶ「メインストリート」には、お食事処もあります。

基本的に、最後の「熊野那智大社」を、訪れる時のみ「駐車場」が有料となりますが、お食事をはじめ、おみやげを買うのでしたら「無料」で駐車できるところも、いくつかありますので、心を鬼にして、走り進めることをお勧めしました。

しばしの休息を兼ねて、お食事をしたあとは、最後の大仕事が待っています。

まずは、本参道となる「467段」の石階段を登り進めて「熊野那智大社」へ向かいます。

創建1700年の歴史をもつ「熊野那智大社」は、全国に約4000社ある「熊野神社」の御本社となり「日本第一大霊験所根本熊野三所権現」として、崇敬の厚い社です。

現在は「熊野那智大社」は、山の上に「社殿」があるのですが「神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)」すなわち「神武天皇(じんむてんのう)」の「神武東征」を起源とし、紀元前662年に、一行は「丹敷浦(にしきうら)」現在で言うところの「那智の浜」に上陸し、光り輝く山を見つけ、その山を目指して進んたところに「那智御瀧」を見つけられ、その御瀧を「大己貴命(おおなむちのみこと)」の、現れたる「御神体」としてお祀りされ「社殿」を設けて「滝の神」を、祀ったものだと言われます。

熊野三山のひとつ熊野那智大社です。

熊野三山のひとつ熊野那智大社!

その後「天照大神」より使わされた「八咫烏」の先導によって、無事に大和の橿原の地へ移り、西暦紀元前660年2月11日に、初代天皇となる「神武天皇」として、即位されました。

先導の役目を終えた「八咫烏」は、熊野の地へ戻り、現在は「石(烏石)」に姿を変えて、休んでいると言われています。

その後、熊野の神々が「光ヶ峯」に降臨され「那智の御滝壺」に、お祀りしていたのですが、317年となる、仁徳天皇5年に、山の中腹に「社殿」を設けて、熊野の「神々・御瀧の神様」を遷(うつ)し「主祭神」を「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)」としたことが「熊野那智大社」の、始まりとされています。

熊野那智大社の詳しい記事はコチラをご覧下さい

八咫烏の銅像の置物です。
熊野那智大社~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】

今回紹介するのは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山に鎮座する「熊野那智大社」です。 「熊野那智大社」の境内および、隣接する「青岸渡寺」の境内は、史跡となり、密接な関係を持つ「補陀洛山寺」を合わせた、2寺をはじめとして、田辺市にある「熊野本宮大社」さらに、新宮市にある「熊野速玉大社」を加えた、3社と共 ...

熊野那智大社」への、お詣りを済ませたら、隣接する「青岸渡寺」に移動します。

青岸渡寺」に関する、創建の年代等については、はっきりとしないのですが、4世紀頃の「仁徳天皇」の代に、インドから熊野灘の浜に漂着した「裸形上人」が、那智山に籠もり「那智の滝」にうたれる修行中に、滝壺の中で、黄金色に輝く八寸の観音菩薩を、思いがけなく手に入れ、小堂を建てて、授かった黄金色の観音菩薩を、お祀りしたのが創始とされています。

200年のち「推古天皇」の頃に、大和の「生佛上人」が訪れた際に、玉椿の大木で、一丈(3メートル)の「如意輪観世音」を彫り上げ「裸形上人」が授かった、八寸の「観音菩薩」を、胎内仏として納め、勅願所として、正式に本堂が建立されたと言うことです。

平安朝中期から鎌倉時代には、蟻の行列する様に例えて「蟻の熊野詣」と言われて「熊野三山」の信仰が最盛期を迎え、この時に、65代「花山法皇」が、三年間ものあいだ、山中に参籠され「那智山」を始まりとして、近畿各地に点在する、三十三の観音様を巡拝したことにより「西国三十三所」の、第一番礼所となりました。

現存している本堂は「織田信長」の軍勢により、焼き討ちにあって焼失したのですが、1590年に「豊臣秀吉」の願いによって、再建されたものであると言われており、桃山時代の建築様式を残す建物であり、国が指定する「重要文化財」としては、紀南で一番古い建造物となります。

熊野三山のひとつ青岸渡寺です。

熊野三山のひとつ青岸渡寺です!

明治時代になって「神仏習合」が、廃されたときに「熊野三山」として知られる2社「熊野本宮大社」と「熊野速玉大社」では、仏堂は全て廃されたのですが「熊野那智大社」の「如意輪堂」に関しては、取り壊しされるのを免れ、のちに信者の手によって「青岸渡寺」として、復興されたと言うのですが「寺号」に関しては「豊臣秀吉」が「大政所」の、菩提を弔うために建てた、高野山にある「青巌寺」に、由来すると言われています。

本堂となる「如意輪堂」は、742平方mあり、棟高に関しては、18mあるのですが「那智の滝」の、落ち口の高さと、同じであると言われています。

また、本尊となる「如意輪観世音座像」は「秘仏」となるため、直接拝観できませんが、身代りとして安置される「前立ち」の「如意輪観音座像」を、拝する形となり、年に3回開帳されます。

青岸渡寺の詳しい記事はコチラをご覧下さい

本堂「如意輪堂」です。
青岸渡寺~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】

今回紹介するのは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山に鎮座する「青岸渡寺」です。 「青岸渡寺」の境内および、隣接する「熊野那智大社」の境内は、史跡となり、その「熊野那智大社」と、密接な関係を持つ「補陀洛山寺」を加えた2寺と、田辺市にある「熊野本宮大社」さらに、新宮市にある「熊野速玉大社」を合わせた ...

青岸渡寺」への、お参りを済ませれば、残すところは「熊野那智大社」の、別宮となる「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」です。

熊野那智大社」の、別宮となる「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」は「那智の滝」を「大己貴命(おおなむちのみこと)」の現れたる「御神体」としてお祀りし「那智の滝」の、飛沫(しぶき)に触れることによって「延命長寿」の、霊験があるという伝説により「本殿」及び「拝殿」を用いずに、直接「那智の滝」を、拝む形の神社となっています。

那智の滝」は、一段からなる「直瀑」となり、落ち口の幅が13メートルで、落差が133メートルとなり、滝壺の深さに関しては10メートルあるのですが「一段の滝」の落差としては、日本一となり、断崖絶壁を水しぶきを上げながら、激しく流れ落ちる姿は、圧巻で見ごたえ十分となります。

日本一の名瀑となる那智の滝です。

日本一の名瀑となる那智の滝です!

そんな「那智の滝」は「日本の滝100選」に選ばれるほか「平成の名水百選」や「日本の音風景100選」に選ばれるほか、日光の「華厳の滝」と、奥久慈の「袋田の滝」と共に「日本三名瀑」のひとつに選ばれています。

那智の滝」の背後に広がる「那智山中」の「那智原始林」には、いくつもの渓流が点在しており、60余りにも及ぶ滝があるのですが「本谷」をはじめ「東の谷」と「西の谷」さらに「新客谷(しんきゃくだに)」の、4つの谷に点在している、瀧篭修行の行場として、番号と諸宗教にもとづいた、名前が与えられている48の滝「那智四十八滝」を代表するのが「那智の滝」となり「一の滝」と呼ばれているほか、滝の「落ち口」の岩盤に、3つの切れ目があることで、三筋になって落下しはじめる姿から「三筋の滝」とも呼ばれます。

那智の滝の詳しい記事はコチラをご覧下さい

日本三名瀑の那智の滝です。
那智の滝~飛瀧神社【アクセス・駐車場】日本一の名瀑【御朱印】

今回紹介するのは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山にある日本一の名瀑となる『那智の滝』です。 『那智の滝』の背後に広がる『那智山中』の『那智原始林』には、いくつもの渓流が点在しており、60余りにも及ぶ滝があるのですが『本谷』をはじめ『東の谷』と『西の谷』さらに『新客谷(しんきゃくだに)』の4つの谷に ...

以上で「熊野三山」の、すべての参詣が終了となりますが、昔のように歩いて巡る方も、もちろん多くいるのかと思いますが 、現在では、やはり地形や交通状況も変わり、どこまで近づけるのかは、分かり兼ねますが、最初にも言いましたが、参拝するときの心構えや、気持ちが、何よりも大切となりますので「1日で巡るなんて馬鹿にしているのか!」って、お怒りの方も中にはいるかと思いますが、そのあたりに関しては、大きな心で受け止めて、お許しいただければ幸いかと思います。

また、今回紹介した、時間帯や情報につきましては、完全なものではないため、巡っている間に、誤差が生じる可能性は否定できません!

上記で紹介したものは、ほとんど「休憩」と言ったものが、組み込まれておらず「繁忙期」や、真夏の暑い時期には、情報通りスムーズに巡れないのが、現実なのかも知れません!

情報通りに合わせようと、無理な運転をはじめ、体調が悪いにも拘らず、無理に歩き進めることは、決してなさらぬように、お気を付けください!

1日で熊野三山を巡ってみたい!」と、お考えでも「安全第一!」と考えて、無理のない「熊野詣」を、お楽しみ頂きたいと考えております。

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