今回紹介するのは、京都府宮津市字成相寺に位置する「成相寺」です。
標高569.1mの「鼓ヶ岳」の、標高328mの南東の山腹に鎮座する「成相寺」の境内からは、日本三景のひとつ「天橋立」を望むことができる景勝地となります。
704年(慶雲元年)に「文武天皇」の勅願寺として「真応上人もしくは聖徳太子が開山した!」と言う寺伝が残ってはいるのですが、実際に「成相寺」が開かれた年代は不明な点が多く、はっきりとした寺史などは無いと言われています。
元々は、日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国に五つある「聖の住む所」のひとつとして、いにしえより「願いが叶う寺!」と言われて、篤い信仰を集めていました。
御本尊は「聖観世音菩薩」となるのですが「御伽草子」に登場する、美しくて心優しい梵天国王の姫君が姿を変えられた「観音様」と言われており、絶世の美女「小野小町」も信仰したと言われています。
特に、女性の想いを叶える「美人観音」として拝む人は、身も心も美しい人になれることでも有名となります。
また「成相寺」は、西国三十三所の第28番札所としても、大変有名な寺院となります。
そんな「成相寺」の見どころの紹介となります。
準備が整いましたら「成相寺」の、散策スタートです!
成相寺~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】
今回は、京都府宮津市字成相寺に鎮座する「成相寺」を訪れるため、朝一番より「マイカー」を走らせています。
「成相寺」は、標高569.1mの「鼓ヶ岳」の、南東にあたる標高328mの山腹に位置するのですが、境内からは、日本三景のひとつ「天橋立」を望むことができる景勝地となります。
また、西国三十三所の第28番札所としても、大変有名な寺院となることで、1年を通して多くの方が参拝に訪れると言います。
まず初めに「成相寺」を訪れるための「アクセス」と「駐車場」について、簡単に紹介しておきます。
成相寺へのアクセスはマイカーがお勧め!
標高569.1mの「鼓ヶ岳」の山腹の、標高328m付近に鎮座する「成相寺」ですから「アクセス」に関しては「公共交通機関」を利用するよりも「マイカー」を利用するのがお勧めとなります。
まず初めに「マイカー」を利用して「成相寺」に向かう場合には「山陰近畿自動車道」の「与謝天橋立IC」を降りることになります。
降りたらすぐにある信号を右折して「国道176号線」に入り、少し先にある「消防署前」の信号を左折して「国道178号線」に入ります。
「国道178号線」を、伊根方面へ4.3kmほど走り進めた先にある「成相寺」の案内看板に従って、交差点を左折します。
あとは、道なりに走り進めて行くと「成相寺・天空の回廊 入山料金所」がありますので「入山料として大人1人につき500円」を支払います。
入山料を支払って少し走り進めて行くと、駐車場があり到着となります。
「与謝天橋立IC」から8.6kmほどですので、約17分ほどで行くことができます。
続いては「駐車場」に関してですが「成相寺」には、無料で利用できる駐車場が用意されています。
ただ、入山料に駐車料金が含まれていることで、駐車代金は無料と言うことになります。
「第1駐車場~第3駐車場」まであり、駐車台数に関しては、全て合わせると「普通車50台・大型バス5台」ほどは、駐車可能になっているかと思います。
最後に「公共交通機関」を利用して訪れる場合ですが、標高328mの山腹にある「成相寺」ですから、幾つかの乗り換えがあり、思っている以上に問題があります。
まず、最寄り駅になるのは「京都丹後鉄道(WILLER TRAINS)宮豊線」の「天橋立駅」となります。
「天橋立駅」からタクシーを利用すれば、簡単に行くことはできますが「成相寺」まで11kmほどありますので、それなりの料金が必要になります。
タクシー以外となると、まず「京都丹後鉄道(WILLER TRAINS)宮豊線」の「天橋立駅」から徒歩で「天橋立観光船乗り場」まで行き「天橋立~一の宮間」に乗船します。
下船したあとは、徒歩で「天橋立傘松公園ケーブルカー・リフト乗り場」まで行き「府中駅~傘松駅」に乗車して「傘松公園」に行きます。
その後「成相登山バス」に乗車して「成相寺」のバス停留所で降りてから、100メートルほど歩き進めれば到着となります。
以上のように「公共交通機関」を利用して行く場合には、以外と大変なアクセスとなりますので、やはり「マイカー」で向かうのが良いのでは無いかと思います。
あと「公共交通機関」を利用する場合、お一人で向かうなら、タクシーは高く付くかと思いますが、人数によっては、タクシーを利用する方が安く付くかと思いますので、その時の状況にてお考え下さい!
以上が「成相寺」を訪れるための「アクセス」と「駐車場」の紹介となります。
成相寺の見どころのひとつ「撞かずの鐘」
車を駐車したところで、早速にも本堂へと歩き始めるのですが、まずは「本堂(正面)」と書かれた案内板に従って、境内を歩き進めて行くのですが、数十メートル先に「鐘楼」が見えてきます。
一般的なものと比べても「成相寺」の「鐘楼」は、少しだけ違和感があるのが特徴的です。
「成相寺」の「鐘楼」は、回廊で囲まれた本瓦葺入母屋造となり「鐘楼」の下層部には、密封するように板張りで覆いをつける、袴腰形式の「鐘楼」となります。
見るからに立派な「鐘楼」で、もちろん立派な鐘が据えられているとのことですが、そこには、鋳造時に起きた悲話が伝わっていることで、現在も撞かれることがありません。
1609年(慶長14年)に、古くなった梵鐘に変えて、新しい鐘を作ることを考えて、近隣の村人から寄付を募ったと言います。
しかし、一度ならず、二度までも鋳造に失敗し、三回目の寄進を募ったとき、とある長者の妻は、お金の代わりにたくさんいる自分の子供を寄進するなどと言って、寄付を断ったと言います。
やがて、鐘が鋳造される日が訪れ、多くの人々が見物に集まったのですが、その中に、例の長者の妻も乳呑み児を抱えて見物をしていました。
そんな中で、長者の妻は、煮えたぎるルツボの中に、誤って我が子を落としてしまったと言います。
そんな、悲劇を秘めながら出来上がった鐘ではありましたが、美しい音色を山々に響かせたと言います。
しかし、よ~く耳を澄ませると、母親の叫ぶ声や、子供の泣き声のような、悲しい音色にも聞こえたそうです。
人々は、あまりの哀れさに子供の成仏を願って、それからは一切この鐘を撞くことをやめたと言い、以来「撞かずの鐘」と呼ばれ、悲しい伝説を秘めたままとなります。
本来、寺院などでは、撞くために造られる鐘ですが、約400年もの間、一切鐘を撞くことが無かったと言うのは、ある意味すごいことでもあります。
ただ、伝説に従って「撞かずの鐘」のままにしておけば、未来永劫言い伝えられる神秘的な話だったのですが、2005年に開山1300年の記念行事の一環として、供養と鐘本来の時を告げる役目を再現しようと、突かれることがなかった伝説の「撞かずの鐘」を、1日だけ復活させたと言います。
住職ら11人が、参道脇の鐘堂前で読経し、その後、板張りで密封された堂内の中に入って、交代で鐘を打ち鳴らしたと言います。
14時半に3回、15時に3回、16時に4回、17時に5回、打ち鳴らした「撞かずの鐘」は「ゴーン」と、乾いた鐘の音が、周囲の山間にこだましたと言います。
その後、再び「撞かずの鐘」は、100年間の封印が施されて「撞かずの鐘」に戻ったと言いますが、さて、如何なものでしょうか
400年間守り続けてきた伝説の「撞かずの鐘」ですから、理由はともあれ、撞いてしまうと・・・
賛否両論あるかと思いますが、そんな「撞かずの鐘」が、見どころのひとつとなります。
成相寺の見どころのひとつ「一願一言の地蔵さん」
「撞かず鐘」より左手側に進路を変えると、本堂へと続く石段の参道が伸びており、中段にあたる石段の左脇に「一願一言の地蔵さん(ひとことのじぞうさん)」と称される、お地蔵様の石仏が鎮座しています。
「一願一言の地蔵さん」は、南北朝時代となる、1361年(康安元年)の紀年銘がある古石仏となるのですが、見た目からは、660年以上も前の物には見えず、ほぼ風化の痛みも感じられない状態の石仏となります。
その名の通り、一つの願いを、一言でお願いすることで、どんな事でも必ず叶えて頂けると伝えられている、霊験あらたかなお地蔵さんとなるのですが、安楽ポックリの往生も叶えられると伝承されています。
大きな蓮弁を持つ連座に座す、定型の地蔵菩薩坐像となるのですが、頭部には、顎紐の付けられた真っ赤なニット帽が被せられているほか、光背越しに幾重にも重ねられた涎掛けは、とても親しみ深い容姿となります。
また「お地蔵さん」は、正式には「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」と言い、子供を守ってくれる仏様となります。
「地蔵菩薩」が付けている「赤色のよだれかけ」にも、さまざまな意味があり、たとえば幼子を表す言葉に「赤ちゃん」や「赤ん坊」などがあるのですが、赤色には「魔除け」の意味があると言う説があったり「長生きを願った」と言う説があるほか、迷子になりやすい子供が、しっかりと「黄泉の国」まで行けるようにする「目印」としての「赤」など、現在ではその「赤色」について、様々な解釈がなされています。
また「一願一言の地蔵さん」の石仏の奥には「西国順礼堂」があるのですが、この堂には、西国三十三霊場の各ご本尊が安置してあり、このお堂への参拝をすることで、三十三ヶ霊場巡礼と同様の功徳を授かることができます。
本堂の見どころのひとつ「真向きの龍」
「一願一言の地蔵さん」より、さらに石段を登り進めて行った先に、不思議な形をした「手水舎」があり、正面に本堂があるのですが「成相寺」は、西国三十三所の第28番札所としても、大変有名な寺院となります。
「手水舎」などは建てられておらず、雨ざらし状態の「手水舎」となるのですが、特徴的なのは「手水鉢」で、どっしりとした鉄の湯船を利用した物となります。
鎌倉時代となる、1290年(正応3年)に鋳造された湯船となるのですが、直接入るのではなく、湯釜で沸かした湯を入れて、かかり湯をするために用いたと伝えられているのですが、後に薬湯を沸かして、怪我や病気の方の治療にも用いたと言い、国が指定する重要文化財になっています。
704年(慶雲元年)に「文武天皇」の勅願寺として「真応上人もしくは聖徳太子が開山した!」と言う寺伝が残ってはいるのですが、実際に「成相寺」が開かれた年代は不明な点が多く、はっきりとした寺史などは無いと言われています。
元々は、日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国に五つある「聖の住む所」のひとつとして、いにしえより「願いが叶う寺!」と言われて、篤い信仰を集めていました。
御本尊は「聖観世音菩薩」となるのですが「御伽草子」に登場する、美しくて心優しい梵天国王の姫君が姿を変えられた「観音様」と言われており、絶世の美女「小野小町」も信仰したと言われています。
特に、女性の想いを叶える「美人観音」として拝む人は、身も心も美しい人になれることでも有名となります。
「成相寺」の寺号の由来には、一人の僧が、山の草庵に篭って修行中に、大雪の続いたある日、里人の往来も無くなって、全ての食べ物が底をつき、餓死寸前であったと言います。
死を予感した僧は「今日一日生きるための食物をお恵み下さい!」と、観音様に祈ったところ、夢ともうつつとも判らぬ中で、傷ついた一頭の鹿が倒れているのに気付いたと言います。
僧として「肉を食べてはならない!」と言う戒律があり、深く悩みましたが、命には代えられず、その鹿の腿(もも)の肉を煮て食べました。
やがて雪も消えて、里人の往来も戻ったのですが、堂内を見ると、本尊の「観音様」の腿が切り取られていて、鍋の中には木屑が散らばっていたと言い、そのことを知らされた僧は、観音様が身代わりになって助けてくれた事を悟り、木屑を集めて観音様の腿に付けると、元通りになったと言います。
此より、この寺を「願う事成り合う寺」と言うことから「成合(相)寺」と、名付けられたと言います。
そんな「成相寺」の本堂には「真向きの龍」と称される見どころがありますので、堂内へと入っていきます。
堂内で撮影可能になっている「真向きの龍」ですが「真向き」とは「嘘偽りがなく、まっすぐに向き合うこと!」と言う意味があるのですが、江戸時代初期に活躍した伝説の彫刻師「左甚五郎(ひだりじんごろう)」が彫ったとされる「真向きの龍」となります。
江戸時代に、雨乞い祈願のため、龍の彫刻を奉納することになったのですが、時を同じくして、宮津に滞在中であった「左甚五郎」が、彫刻を依頼されたと言います。
依頼を受けたものの、見たこともない龍の彫刻に「左甚五郎」は深く悩んで、なかなか彫れないでいました。
そんな最中、夢の中で龍の居場所を教えられた「左甚五郎」は、夢の記憶を辿り滝壺に降り立って、3日間お祈りを続けました。
龍と言う名前しか知らなかった「左甚五郎」でしたが、渦を巻きながら白く沸き返る滝壺から龍が姿を現し、瞬く間に空へと立ち昇って、雲の中に姿を消したと言います。
こうして完成させたのが「真向きの龍」となります。
以上が、本堂周辺の上層部の見どころとなり、続いては、料金所より下層部にあたる境内へと移動します。
弁天山展望台より眺める日本三景の天橋立
最初に入山料金を支払った料金所より、見どころのひとつとなる「弁天山展望台」へと向かいます。
「弁天山展望台」は、標高569.1mの「鼓ヶ岳」の山腹に鎮座する「成相寺」の境内の一角にあることから考えると、標高が350m付近に整備されている展望台になるかと思われます。
「弁天山展望台」からは、日本三景のひとつ「天橋立」をはじめ、宮津湾さらに内海となる阿蘇海を眼下に望め、天気の良い日には、遠く能登半島や白山まで見渡せる展望台となります。
「天橋立」を観賞できる場所は、周辺に数多くあるのですが、特に有名なのが「飛龍観」をはじめ「昇龍観(股のぞき観)」や「一字観」さらに「雪舟観」と称される「四大観」となります。
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今回「天橋立」を眺めている「弁天山展望台」は、数ある「天橋立」を望める展望スポットの中でも、比較的に高い位置から「天橋立」を一望できるのが、特徴のひとつでもあります。
標高569.1mある「鼓ヶ岳」には、今紹介している、標高350mに位置する「弁天山展望台」があるほか、標高500m付近まで登り進めて行けば「成相山パノラマ展望台」があるほか、標高130m付近まで降りて行けば、上記でも紹介した「四大観」のひとつで「昇龍観(股のぞき観)」と称される「傘松公園」があります。
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「四大観」のひとつで「昇龍観(股のぞき観)」と称される「傘松公園」は「天橋立」を眺められるスポットの中でも、大人気の観光スポットとなり、日々、大勢の方々で賑わいをみせていますので、立ち寄ってみるのも良いかと思います。
見どころのひとつ五重の塔・奇怪な話が残る底なし池
「弁天山展望台」で、日本三景のひとつ「天橋立」を眺めたあとは「五重の塔」へと向かうため、一旦降りていくのですが「五重の塔」の手前には「龍神の椨(たぶ)」と称される大木があります。
「龍神の椨(たぶ)」は、樹齢300年と言われる古木となり、樹高が14mで、目通り幹周りが5.9mある巨木となりますが、根元の土がが激しく削られて、根が剥き出しになっている状態となります。
盛り土されている、少し小高くなった場所に植えられているため、樹高以上に大きく見えるのですが、しっかりとした樹姿は、樹齢を重ねてより味わい深くなるのですが、先程、本堂にあった「左甚五郎作」と伝えられる「真向きの龍」が この木を伝って天に昇ったと言う伝承があり「龍神の椨」と呼ばれています。
そんな「龍神の椨」の横に「五重の塔」が「ドーン!」と、そびえ立っています。
雪舟筆の「国宝 天橋立図」にも描かれたと言う「成相寺」の「五重の塔」は、広々とした境内の一角に建てられているのですが、朱塗りも比較的綺麗な状態となるのですが、平成12年に外観が完成したと言います。
そんな「五重の塔」を横目に見ながら歩き進めて行き、階段を降りたところにある蓮池が、最後の見どころとなる「底なし池」です。
「底なし池」の中心に向かって、小さな石橋が架けられており、その先にはお社が置かれているのですが、中には弁財天がお祀りされています。
その昔、この池には大蛇が住んでいたと言い「成相寺」の小僧を、次から次へと呑み込んでしまうようになったと言います。
たくさんいた小僧でしたが、遂には最後の一人になってしまったことで、和尚は大変に困り果てました。
そこで、藁人形で作った小僧に火薬を詰め込んで、坊に寝かせておきました。
何も知らずに姿を現した大蛇は、その藁人形を飲み込むと、たちまち火薬が爆発しました。
苦しんだ大蛇は、雲を呼んで空中にかけ昇り「国分寺」の吊鐘をかぶって阿蘇海を渡ろうとしたのですが、ついには力尽きて海中に沈んだと言います。
そんな奇怪な話が残っている「底なし池」が「成相寺」の見どころのひとつになっています。
そんなことから「成相寺」には「龍」に関する伝説が幾つも残っているのですが、日本三景のひとつ「天橋立」も、如意に龍神が土を盛り「一夜にして、創り出した!」と言う伝説が「九世戸縁起」にも残っていることから、何かの繋がりがあるようにも思うのですが・・・・
以上が「成相寺」の見どころの紹介となります。
成相寺の御朱印です!
一通り境内の参拝が終わりましたので、最後に「成相寺」の「御朱印」を頂くため「納経所」へと向かいます。
西国三十三所草創1300年記念事業として、2018年に「西国三十三所観音霊場」は、草創1300年を迎えましたが、それを記念して2020年までのあいだ「御朱印」の左上に記念印がつきます。
左手側の「御朱印」に関しては、桜の木が描かれた「桜シーズン限定の御朱印」になるのですが、その場で直接書いて頂くことはできませんので、書き置きを頂くことになるほか、御朱印代金に関しては500円収める形となります。
尚「御朱印」に関しては、基本的には、ひとつにつき300円を納めれば、誰でも頂くことができます。
「御朱印」に関しては、寺社で参拝しなければ頂けないと言うものではなく「仏像鑑賞」や「パワースポット巡り」など、別な楽しみも兼ねた証として頂くと言う考え方もあります。
寺社を訪ねるだけでなく「御朱印集め」は「何を書くのか?」や「どんなハンコ(朱印)を押すのか?」さらに「字の良し悪し」などを、楽しみのひとつとして収集するのも良いものですよ。
管理人は、訪れた寺社仏閣では必ず「御朱印」を頂いているので、正確に数えたことはないですが、知らず知らずの間に「1000」に手が届きそうなくらいになっています。
「御朱印集め」を、始めようとお考えの方には、是非お勧めしたいと思います。
尚、近年では「御朱印」を「スタンプラリー」のように、参拝もしないで頂きに行く方が増えていると言うことですが、最低限のマナーとしては、参拝が終了してから頂くことをお勧めしておきます。
成相寺のアクセス及び駐車場情報!
【基本情報】
*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。
「成相寺」
- 住所:〒629-2241京都府宮津市成相寺339
- 電話:0772-27-0018・FAX:0772-27-1409
- 時間:朝の8時00分~夕方の16時30分まで
- 定休日:年中無休
- 観覧料(入山料):大人(500円)・中/高校生(200円)・小学生以下(無料)
*団体30名以上で大人400円となります。
*障害者・社会福祉施設に関しては無料です。
*入山料は境内及び展望所整備費用として利用されます。 - 駐車場:無料(*入山料に含まれています)
- アクセス:【公共交通機関】「京都丹後鉄道(WILLER TRAINS)宮豊線」の「天橋立駅」からタクシーで12.3km(約25分)
「京都丹後鉄道(WILLER TRAINS)宮豊線」の「天橋立駅」から徒歩で「天橋立観光船乗り場」まで行き「天橋立~一の宮間」に乗船して下船したあと徒歩で「天橋立傘松公園ケーブルカー・リフト乗り場」まで行き「府中駅~傘松駅」に乗車して「傘松公園」に行ったあと「成相登山バス」に乗車して「成相寺」で降りたら到着です。
【お車】「宮津天橋立IC~与謝天橋立IC間の料金は無料」となり「山陰近畿自動車道」の「与謝天橋立IC」を降りたら右折して「国道176号線」に入り少し先にある「消防署前」の信号を左折して「国道178号線」に入り伊根方面へ4.3kmほどは知り進めた先にある「成相寺」の案内看板に従って交差点を左折したあと道なりに走り進めて行くと「成相寺・天空の回廊 入山料金所」があり「入山料として大人1人につき500円」を支払ったら「駐車場」があります9.6km(約20分)
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
標高569.1mある「鼓ヶ岳」の山腹に鎮座する「成相寺」の境内には、古くからの言い伝えの残る見どころがたくさんあります。
また、標高350m地点に整備されている「弁天山展望台」からは、日本三景のひとつ「天橋立」をはじめ、宮津湾さらに内海となる阿蘇海を眼下に望め、天気の良い日には、遠く能登半島や白山まで見渡すことができます。
アクセスの面で、少々問題はありますが、その分、静かな環境でゆったりとした時間を過ごすことができるかと思います。
是非一度訪れて、一日を掛けて散策してみて下さい!
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