今回紹介するのは、和歌山県新宮市神倉にある「神倉神社」です。
「神倉山(かんのくらやま)」に鎮座する「神倉神社」は「熊野速玉大社」の摂社となるのですが「神倉神社」の境内地は、史跡となるほか、新社地となる「熊野速玉大社」と、田辺市にある「熊野本宮大社」さらに、那智勝浦町那智山にある「熊野那智大社」の3社をはじめ、隣接する「青岸渡寺」及び、密接な関係を持つ「補陀洛山寺」の2寺を合わせて「熊野三山」を構成することで、よく知られています。
また「神倉神社」の境内地は「熊野速玉大社」の、社殿および境内地と共に、2004年の7月に、ユネスコの「世界遺産」に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の、構成資産の一部となります。
「神倉神社」の創建年代は、128年頃と言われているのですが、まだ社殿と言うものがない「神話時代」にさかのぼっての、古くからの伝承があり「神武天皇」が「神倉神社」に登拝されたことが、記されています。
「神倉神社」は、標高199メートルの「神倉山」の、標高120メートル地点に位置しており「ゴトビキ岩」に降臨した熊野の神々、すなわち「熊野権現」の、始まりの地となっています。
熊野信仰が盛んになる頃、諸国遍歴の末に、熊野で「熊野三所大神」が、最初に降臨した場所であると説かれ、そのことから「熊野根本神蔵権現」あるいは「熊野速玉大社奥院」と、称されたと言います。
その後、景行天皇58年に、現在の社地を「元宮」とし、熊野川河口で千穂ケ峰の麓に、新しく社殿を創建して「熊野速玉大神」及び「熊野夫須美大神」の「両所権現」を、お遷(うつ)りになり「新宮」としたのですが、平安時代の初めには「十二の神殿」が完成し「熊野十二所権現」として、現在の「熊野速玉大社」に、お祀りされるようになりました。
御神体となる「ゴトビキ岩」まで行くには、千穂ヶ峯の支ピーク「神倉山」の、標高120メートル付近まで登り進める必要があり、境内の外縁は、切り立った断崖絶壁となっているのですが、急勾配の「鎌倉積み」の石段を、実に538段も登り進めなければいけません。
ただ登れば良いだけなのですが、この石段の傾斜は、いまだかつて見た事が無いような傾斜角となり、滑り落ちれば即、病院送りになるほどに、恐ろしいものとなります。
そんな、恐ろしい「神倉神社」の「ゴトビキ岩」までの、道のりの紹介となります。
準備が整いましたら「神倉神社」の、散策スタートです!
神倉神社【アクセス・駐車場・御朱印】ゴトビキ岩に神々降臨
今回は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山に位置し、ユネスコの「世界遺産」に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の、構成資産の一部となる「熊野速玉大社」の、摂社となる「神倉神社」に向けて、車を走らせます。
既に「熊野速玉大社」への参詣は終了しており、残るは、熊野の神々が最初に降臨した「ゴトビキ岩」への参詣だけとなるのですが、急勾配の「鎌倉積み」の石段を「538段も登り進めなければいけない!」と言うことで、少し緊張しています。
熊野速玉大社に関する記事はコチラをご覧下さい!
熊野速玉大社~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】
今回紹介するのは、和歌山県新宮市新宮にある「熊野速玉大社」です。 「熊野速玉大社」の境内および「神倉山」に鎮座する、摂社「神倉神社」の境内は、史跡となるほか、田辺市にある「熊野本宮大社」と、那智勝浦町の那智山にある「熊野那智大社」を合わせた、3社をはじめとして「熊野那智大社」と隣接する「青岸渡寺」お ...
まず初めに「神倉神社」を、訪れるにあたり「アクセス」及び「駐車場」について、簡単に紹介しておきます。
熊野速玉大社へのアクセスはマイカーで早い時間帯に!
基本的に言えば「神倉神社」を訪れると言うことは、初めに「熊野速玉大社」を、訪れることになるかと思いますが「熊野速玉大社」から歩いて行くとすれば、右手側に「権現山」と「神倉山」の2つのピークがある「千穂ヶ峯」を見ながら、住宅街を約1kmほど、南方向に歩き進めることになりますが、10分もあれば行くことができます。
「熊野速玉大社」に「公共交通機関」を利用して訪れている場合は、もちろん歩いて行けばいいのですが「マイカー」を利用して訪れている場合には「神倉神社」にも「無料駐車場」がありますので、お車にて移動すれば良いかと思います。
駐車スペースがそれほど無いので、どちらで移動するかは、その時の状況をみてから、考えれば良いかと思います。
今回は「第1駐車場」に関しては、駐車スペースが8台となり「満車」となっていたので「第2駐車場」に止めたのですが、こちらの駐車スペースも、約13台分しかなく、ギリギリ止められた形となったのですが、それほどの駐車スペースが無いのと「ゴトビキ岩」まで向かうとなると、往復で1時間ぐらいは、見ておかなければいけない点から考えても、出て行く車がそれほどありません!
そういった点から考えると、お車を「熊野速玉大社」に止めたまま、歩いて向かうのも、ひとつの考えではないかと思います。
続いては、直接「神倉神社」に向かう場合の「アクセス」に関しても、簡単に紹介しておきます。
まず「公共交通機関」で訪れる場合でしたら「最寄り駅」となるのが「JR紀勢本線」の「新宮駅」となり、徒歩で1.1kmほどですので、約10分で行くことができます。
また「バス」を利用する場合ですが「奈良方面」からでしたら、バスを利用することができるのですが「近鉄」の「大和八木駅」にある「八木駅(南)」バス停留所から「八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)」に乗車すれば「新宮高校前」の停留所で下車することで、650メートル先となりますので、約8分で行くことができます。
また「近鉄御所線」の「近鉄御所駅」及び「JR和歌山線」の「御所駅」さらに「JR和歌山線」の「五条駅」からでも「八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)」に乗車できますので、ご自身にあった駅を、お選びいただけます。
しかし「八木駅(南)」からでも、9時15分発が一番早い出発となり、到着が15時47分となり、微妙な時間となるほか、帰りのバスは無く「新宮駅」から、電車で帰ることになるので、あまりお勧めはできません!
そういった点からも、無難に訪れることができるのは、やはり「マイカー」を利用することになります。
「マイカー」を、利用して行く場合ですが、幾つかの方角から、向かうことができますが、一番厄介な道のりになるのは「奈良県側」からとなり、今回、管理人も「大阪市内」より、走ったルートとなるのですが「南阪奈道路」の「葛城IC」を降りると、そのまま「国道24号線(大和高田バイパス)」を走り「新堂ランプ出口」を降りたら、右車線を走って「新堂ランプ」の交差点を、右折します。
再び右車線を走り「京奈和自動車道(無料区間)」に入って、しばらく走り進めた先の「五條IC」を降りるのですが、すぐある「五條インターチェンジ前」の交差点を、右折して「国道310号線」に入ったのち「国道168号線」を経由しながら、約126kmほど走り進めます。
その先にある「橋本」の交差点を、左折して「国道42号線(熊野街道)」に入ったら、少し走り進めた先の「裁判所南」の交差点を左折して、あとは道なりに走り進めると、左手側に「駐車場」があります。
「葛城IC」からは、146kmほどあり、個人差はあるかと思いますが、約3時間ほどは、見ておいたほうがいいです!
また「三重県方面」からですと「熊野尾鷲道路」の「熊野大泊IC」から「国道42号線(熊野街道)」の、七里御浜沿いを「新宮方面」へ走り「裁判所南」の交差点を、右折してからは、先程と同じです。
こちらからの「アクセス」は、一番近く24.9kmほどですので、約32分で行くことができます。
最後に「和歌山方面」からですと「紀勢自動車道(無料区間)」の「上富田IC」を降りて、すぐにある信号を右折して「国道42号線(熊野街道)」に入り、しばらく走った先の「岩崎」の信号を、左折して「国道311号線」となる「朝来街道」から「熊野街道」を経由しながら進みます。
突き当りとなる「本宮」の信号を、右折して「国道168号線」に入ってからは「奈良県側」からと同じです。
「上富田IC」からは、83kmほどありますので、約1時間45分ぐらいはかかります。
と、言ったところが「神倉神社」への「アクセス」と「駐車場」の紹介となりますが、いずれの「アクセス」を選んでも、それなりの時間が必要となりますので、道中の運転には、十分にお気をつけください!
猿田彦神社の御祭神は導きの神の天狗さま!
車を駐車すると、早速にも「神倉神社」に鎮座する、御神体となる磐座「ゴトビキ岩」に向けて、歩き出します。
歩き出すと同時に、緑豊かな「神倉神社」の境内へと伸びる、朱色の小さな「神橋」が、熊野川へと続く、市田川に架かっています。
「神橋」を渡る手前の、右手側には「下馬」と刻まれた「黒雲母花崗斑岩製」の標石があるのですが、寛文12年の銘のあるもので、高さが1.59mあり、幅が43cmで、厚さが17cmとなるのですが、高さが26cmで、幅が80cmの、石台の上に立っています。
かなり古いもので、見どころのひとつでもありますので、その味わい深い佇まいを、お見逃しの無いように・・!
さて「神橋」を渡ると、右手側には「神倉神社」の社務所があるのですが、現在は、神職の常駐がなく、無人となりますので「御朱印」を頂くつもりで訪れた方は、1kmほど北に位置する、新社地の「熊野速玉大社」の「授与所」まで行く必要があります!
「神橋」より正面には、取り替えられてそれほど時が経っていない、真新しい鳥居の奥に、小さなお社が鎮座しているのですが「猿田彦神社・神倉三宝荒神社」が、お祀りされているのですが、神倉山麓は「天孫降臨」すなわち「天照大神」の孫となる「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」の降臨の際に、道案内として遣わされた「猿田彦命(さるたひこのみこと)」が御祭神となるのですが、容姿が「鼻長七咫、背長七尺」という記述から、長身で高い鼻を持つ「天狗」の原形とされる説もあることから、神倉では「天狗さま」として親しまれ、明治の御代まで鎮座し「導きの神様」として、御神徳がありました。
また「三宝荒神社」には「火産霊神(ほむすびのかみ)・誉田別命(ほんだわけのみこと)」が、お祀りされているのですが「願望成就」をはじめ「商売繁盛」の御神徳があります。
昭和56年より、有志で集まった「氏子」の協力のもと、両神社の社殿をはじめ、境内の整備や参道の諸工事、さらには鳥居の取り換え工事なども、行われていると言います。
恐怖!不規則すぎる鎌倉積みの急勾配の石段
さて、参道は左手側に続いており、たくさんの方が、木陰に設置された長椅子で、涼をとっています。
「玉砂利」の敷かれた綺麗な参道を、数十メートル歩いた先の右手側には、綺麗な「手水舎」が置かれていますので、まずは身を清め、石段を登り始めます。
とりあえず、十段足らずの「鎌倉積み」で作られた、石段を登るのですが、色鮮やかな朱塗りの「一の鳥居」の手前には「拝所」が、設けられています。
「鎌倉積み」と、言われる石段は、階段と言えば階段なのですが、1つの石の幅に関してはさまざまで、高さと奥行きに関しても、一定ではないのですが、だいたいのものが、高さ25cmほどで、奥行きが、30から40cmほどのサイズとなり、それらの自然石を組み合わせて築かれたもで、不規則に積み重ねられている点が、特徴的となるのですが、これにはこれの良い点があると言われており「一定の筋肉だけに負担を掛けない」と言う、合理性が考慮されて積まれていると言う、解釈もあると言います。
538段からなる「鎌倉積み」の石段は、1193年に「源頼朝」が「那智山」の、社殿復興と共に、寄進したと伝わっているのですが「神倉神社」のこの石段では、毎年2月6日に行われる、勇壮な火祭りとなる「お燈祭り」がよく知られ、白装束を身にまとい、腰に荒縄を締め、白の鉢巻や頭巾、さらに手甲脚絆(てっこうきゃはん)を着けた、白ずくめの約2000人の「上り子(のぼりこ)」と呼ばれる男子が、御神火を移した松明(たいまつ)を片手に、御神体となる「ゴトビキ岩」が鎮座する、標高120メートルの鳥居より、538段の急勾配の石段を、駆け下りて行くと言います。
「お燈祭り」に参加できる「上り子」は、地元の方だけでなく、県外の方でも、観光客の方でも、参加できるのが特徴的となるのですが、残念ながら「女人禁制」ですので、女性は参加できませんが、駆け下りてくるところを、麓の沿道で見学することはできます。
そんな、538段からなる石段ですが、最大傾斜角が45度あると言われていますが、実際に目の当たりにすると「そんなもんじゃないやろ!」と、言いたくなるほどの傾斜角です!
登り始めは、まだ余裕があるのですが、カーブが掛かっている辺りの道中は、登っている最中に「垂直に登っているのでは?」と、一瞬錯覚するほどの傾斜角に、思わず足が止まるほどです!
上記の写真では、普通に登っていく姿や、降りてくる方の姿ばかりですが、先ほども言いましたが「登り始め!」だからです。
お年を召して、足腰の悪い方や、小さなお子様連れで、いざ登りだして「無理~!」となった方の為に、鳥居の前には「遥拝所」が設けられており、この場所から、御神体の「ゴトビキ岩」が、お詣りできるようになっています。
早速にも登り始めますが、傾斜角があるのと、足元が不規則に積まれた石段となるので、思っている以上にパワーが必要で、正直な感想としては、過酷です!
登りに関しては、足元が悪く、傾斜角が強くて、しんどいと言う程度なのですが、問題となるのは、帰りの降りてくるときです!
完全に座り込んで、足を延ばして、1段ずつ降りてくる女性の姿がありますが、このスタイルで降りれば安全です!
このように、座りながら降りてくる方の姿を、たくさん目にしますので、恥ずかしいなんてことは無く、何なら普通です!
時期にもよりますが、石段には、結構な「苔」が生えてますし、1つ1つの石の表面や角が「つるっ!」とした感じになっているので、不規則に積まれた石段の「次の一歩、どこに降りよ?」なんてことも、普通にあります。
急勾配だけの階段でしたら、今までにも何度か、登り降りしたことがありますが「怖い!」なんて思ったことは、1度も無かったのですが、これ程までに身の危険を感じる石段は、過去にも経験がなく、後ろを振り返るだけで目が回りそうになるので、石段攻略の難度としては、最高クラスです!
彼女の前で、良い格好しようと、気を抜いた時に足を滑らせれば「一の鳥居」まで、最速で降りられますが、そのまま病院送りとなりますし、前を行く方がいたら巻き添えで、大変なことになります。
少なくとも、事故が起きた話や「立入禁止!」と、なったことも無いことを考えれば、この足元の悪い急勾配の石段で、気を抜いて降りている方はいないのでしょう。
怖がりながら、慎重に降りるぐらいで十分です!
荒地?神秘的?境内の注意点!
そんな石段を登り進めていると、少し広くなった場所に、到着となるのですが「中ノ地蔵堂」及び「火神社(ほのかみしゃ)」が鎮座しているのですが、かつてこの場所には、千体ほどのお地蔵さんが、お祀りされていたと言うことですが、明治維新の「神仏分離」によって起こった、仏教破壊運動の「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」により、谷間に打ち捨てられたと言います。
ここまでが、最高難度を誇る石段で、これより先は、先程までと同じ「鎌倉積み」の石段ではありますが、難度としては、中級クラスの、普通の石段です!
広場より、石段の写真を横から撮ると、かなりの傾斜角に見えますが、座り込んだりせずとも、普通に歩き進めることができますが、力のいる石段と言う点は変わらず、ここまでで、およそ3分の1くらいしか進んでいません!
ひとつ注意点があるのですが、ほぼ最後まで、ほとんどが急勾配の登りの石段となりますので、女性の方のミニスカートなどは、中身丸見えとなり、ロングスカートは、裾を踏むと転げ落ちます。
さらに、足元は常にガチャガチャしていますので、ヒールなんて履いて行けば、怪我するために行くようなものです!
さらに山深いところでもありますので、時期によってはブンブンと、得体の知れない何かが、耳元に纏(まと)わりつくので、10分~15分ほどですが、虫よけが必要になるのと「水分補給」のための、飲み物を用意しておくのが良いかもしれません!
神話の時代に、熊野の神々が降臨した、神聖な場所となるのですが、荒地と表現すべきか?神秘的と表現すべきか?微妙な空間となります。
境内に入るにあたり、特に時間の制限はありませんが、街灯などの照明設備は一切ありませんので、訪れる時間帯にも、気を付けたほうが良いかと思います。
そんなことを言っている間に、538段からなる「鎌倉積み」の石段を登りきると、最後は石畳の平坦な道へと変わり、すぐに朱色の「二の鳥居」が見えてきます。
熊野の神々が最初に降臨したゴトビキ岩
「二の鳥居」は、それほど大きなものでは無いのですが、くぐり抜けると、朱色の「内玉垣」に取り囲まれた「神域」となり、張り詰めた空気感が、肌を通して感じることができます。
すぐ右手側に「手水舎」があるのですが、雨ざらしとなる、小さな「手水鉢(ちょうずばち)」が置かれ、山のうえよりパイプが伸びて、絶えず水が流れています。
水道?湧水?どちらかは分かり兼ねますが、年期の入った味わい深いこの「手水鉢」は、最初に紹介した「下馬」の標石と同じ「黒雲母花崗斑岩製」の、巨大な一枚岩を加工して作られているのですが、正面に刻まれる文字より、第2代の「新宮城主」となる「水野重良」が、寄進したものらしく、下野国(しもつけのくに)すなわち栃木県にある「那須城主」であった「大関高増」の、母の延命と繁栄を祈願する意味で、寄進したものだと言います。
同じようなものが「新宮城跡」の、東に500メートルぐらい行った「阿須賀神社」にも贈られています。
1989年3月25日には、新宮市の指定文化財となる「有形民俗文化財」として、指定を受けています。
そんな「手水舎」で心身を清めると「本殿」及び、御神体となる「ゴトビキ岩」へと、歩みを進めるのですが、左手側には朱色の「内玉垣」が長く伸びており、右手側には岩の斜面が迫るので、幅2メートルほどの一本道の石畳の道を、歩き進めて行くのですが、すぐに右斜め上に「ドーン!」と「ゴトビキ岩」が、鎮座する姿があり、隣には「本殿」も見えます。
「神倉山」に鎮座する「熊野速玉大社」の摂社となる「神倉神社」の境内地は、史跡となるほか、新社地となる「熊野速玉大社」と、那智勝浦町那智山にある「熊野那智大社」と、田辺市にある「熊野本宮大社」と共に「熊野三山」を、構成する内の一社として、よく知られています。
「神倉神社」は、標高199メートルの「神倉山」の、標高120メートル地点に位置しており「ゴトビキ岩」に、降臨した熊野の神々、すなわち「熊野権現」の、始まりの地となっています。
熊野信仰が盛んになる頃には、諸国遍歴の末に、熊野で「熊野三所大神」が、最初に降臨した場所であると説かれ、そのことから「熊野根本神蔵権現」あるいは「熊野速玉大社奥院」と、称されたと言います。
その後、景行天皇58年に、現在の社地を「元宮」とし、熊野川河口で千穂ケ峰の麓に、新しく社殿を創建して「熊野速玉大神」及び「熊野夫須美大神」の「両所権現」を、お遷(うつ)りになり「新宮」としたのですが、平安時代の初めには「十二の神殿」が完成し「熊野十二所権現」として、現在の「熊野速玉大社」に、お祀りされるようになりました。
昭和30年に発見された経塚の遺構!
石垣の上に、朱色と緑色の特徴的な「瑞垣」に囲われた「社殿」には「高倉下命(たかくらじのみこと)・天照大神(あまてらあすおおみかみ)」を、御祭神としてお祀りしています。
拝所までは、またしても急勾配の石段となるのですが、それほどの幅が無いので、お詣りする際には、交代で登って行かないと、石段上で入れ替わろうとすると、少し危険な感じになってしまいます。
御神体の「ゴトビキ岩」は、高さが約11メートルあるのですが「熊野酸性火成岩」の磐座となり「ゴトビキ岩」には「紙垂(しで)」の付けられた、長さ30メートルにわたる「大注連縄(おおしめなわ)」が、巻かれています。
先ほども少し話した、毎年2月6日に行われる奇祭の「御燈祭り」の、一週間前には、新しく「大注連縄」が、張り替えられると言います。
「ゴトビキ岩」の、手前斜面に「袈裟石」と呼ばれる、岩盤が露出しているのですが「袈裟石」を登った岩のすきまに、白い玉砂利が敷かれた、経塚(きょうづか)の遺構が見られます。
昭和30年に行われた、社殿の改築の際に、現社殿と反対側の「袈裟岩」の、根元の部分となる「基部の穴」の中から「袈裟襷文(けさだすきもん)」と言われる、釣鐘形の青銅器となる「銅鐸(どうたく)」の破片が、大小22個が出土したと言います。
弥生時代の青銅器の一種となる「銅鐸」の破片が出たことで、弥生時代後期から、ここで祭祀が行われていたことが、実証されたと言います。
「本殿」に向かう、石段の中央辺りから、右手側の斜面の岩に移って「ゴトビキ岩」の、右手側に周り込むように登るのですが、ほとんどの方は知らずに「本殿」を、お詣りして帰るのですが、ご興味のある方は、足を滑らさないように登ってみてください!
新宮市随一の景色が眺められます!
さて、お詣りが終われば、あとは「景色!」ですが、標高120メートル付近の境内外縁は、切り立った断崖絶壁となり、視界を邪魔する、一切の障害物の無い景色は、新宮市の街並みをはじめ、熊野灘までを一望できます。
「神倉神社」の創建年代は、128年頃といわれているのですが、まだ社殿と言うものがない「神話時代」となる、古くからの伝承があり「神武天皇」が、神倉に登拝されたことが、記されています。
と、言うことは、遥か昔に「神武天皇」が、景色は変われど、この場所より望んだ眺めと同じものとなります。
新宮市随一の景色となるのですが、遥か先の熊野灘からは、御神体の「ゴトビキ岩」と、ここより北に、約20kmほど進んだ「花窟神社」の、御神体となる「花の窟」が「陰陽一対」で眺められ「航行・漁」を行う時の、目印となり「海上守護神」として、常世で再び生を得た、魂の寄りつく目標地として、眺められていたと言われています。
ここ「神倉神社」の御神体の「ゴトビキ岩」は、熊野の神々が、最初に降臨した場所としての由緒があるのですが、三重県に位置する「花窟神社」は、日本最古の神社で、社殿を設けず、太古の「自然崇拝」の姿を残す形の神社で、御神体となる磐座の「花の窟」は、その大きさ、なんと45メートルの巨石となります。
少し距離が離れますが、とても神秘的な境内となりますので、お時間がありましたら「花窟神社」にも、お立ち寄りください!
花の窟に関する記事はコチラをご覧下さい!
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と、言ったところで「神倉神社」の散策が、すべて終了となります。
「神倉神社」の御神体となる「ゴトビキ岩」までは、急勾配の恐怖の石段を、登り進めなければいけませんが、その先に待つ「ゴトビキ岩」は、今までに感じたことのない、並々ならぬパワーを感じることができます。
是非一度訪れて、恐怖の石段を、お楽しみのうえで「ゴトビキ岩」より、霊験あらたかな御利益を頂いてください!
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熊野本宮大社~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】
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那智の滝・飛瀧神社【アクセス・駐車場・御朱印】日本一の名瀑
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神倉神社の御朱印!
最後にすべて参詣した証として「御朱印」を頂きに・・と、言いたいところですが、かなり昔にも、二度ほど訪れており、その時に頂いた「御朱印」がありますので、今回は改めて「御朱印」を頂きませんが、恐らく「御朱印」自体が、変わったと言うことは無いので、紹介しておきます。
最初にも言いましたが「神倉神社」の「社務所」は、現在は、神職の常駐がなく、無人となりますので「御朱印」を頂くためには、1kmほど北にある、新社地となる「熊野速玉大社」の「授与所」まで、行く必要があります!
尚「御朱印」に関しては、基本的には、ひとつにつき300円を納めれば、誰でも頂くことができます。
「御朱印」に関しては、寺社で参拝しなければ頂けないと言うものではなく「仏像鑑賞」や「パワースポット巡り」など、別な楽しみも兼ねた証として頂くと言う考え方もあります。
寺社を訪ねるだけでなく「御朱印集め」は「何を書くのか?」や「どんなハンコ(朱印)を押すのか?」さらに「字の良し悪し」などを、楽しみのひとつとして収集するのも良いものですよ。
管理人は、訪れた寺社仏閣では必ず「御朱印」を頂いているので、正確に数えたことはないですが、知らず知らずの間に「1000」に手が届きそうなくらいになっています。
「御朱印集め」を、始めようとお考えの方には、是非お勧めしたいと思います。
尚、近年では「御朱印」を「スタンプラリー」のように、参拝もしないで頂きに行く方が増えていると言うことですが、最低限のマナーとしては、参拝が終了してから頂くことをお勧めしておきます。
神倉神社のアクセス及び駐車場情報!
【基本情報】
*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。
「神倉神社」
- 住所:〒647-0044和歌山県新宮市神倉1-13-8
- 電話:0735-22-2533・FAX:0735-23-1560(熊野速玉大社・社務所)
- 時間:境内自由
- 定休日:年中無休
- 拝観料:無料
- 駐車場:無料「第1駐車場(8台)・第2駐車場(約13台)」
*朝7時00分から夜19時00分まで利用可能です - アクセス:【公共交通機関】「JR紀勢本線」の「新宮駅」より徒歩1.1km(約10分)
「近鉄」の「大和八木駅」にある「八木駅(南)」バス停留所から「八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)」に乗車して「新宮高校前」の停留所で下車して650m(約8分)
「近鉄御所線」の「近鉄御所駅」及び「JR和歌山線」の「御所駅」から「八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)」に乗車して「新宮高校前」の停留所で下車して650m(約8分)
「JR和歌山線」の「五条駅」から「八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)」に乗車して「新宮高校前」の停留所で下車して650m(約8分)
【お車】「奈良県方面」からですと「南阪奈道路」の「葛城IC」を降りてそのまま「国道24号線(大和高田バイパス)」を走り「新堂ランプ出口」を降りて右車線を走り「新堂ランプ」の交差点を右折したあとまた右車線を走り「京奈和自動車道(無料区間)」を走り進め「五條IC」を降りてすぐある「五條インターチェンジ前」の交差点を右折して「国道310号線」に入り「国道168号線」を経由して約126kmほど走り進めた先の「橋本」の交差点を左折して「国道42号線(熊野街道)」に入り少し走り進めた先の「裁判所南」の交差点を左折して道なりに走り進めると左手側に「神倉神社」の「駐車場」があります146km(3時間)
「愛知県方面」からですと「名阪国道」を走り進めて「天理IC」より「西名阪自動車道」に入りその先の「郡山下ッ道JCT」の出口より「京奈和自動車道(無料区間)」に入りそのまま走り進めて「五條IC」を降りてすぐある「五條インターチェンジ前」の交差点を右折して「国道310号線」に入ってからは先程と同じです「郡山下ッ道JCT」からは157km(約3時間15分)
「三重県方面」からですと「熊野尾鷲道路」の「熊野大泊IC」から「国道42号線(熊野街道)」の七里御浜沿いを新宮方面へ走り「裁判所南」の交差点を右折してから道なりに走り進めると左手側に「神倉神社」の「駐車場」があります24.9km(約32分)
「和歌山方面」からですと「紀勢自動車道(無料区間)」の「上富田IC」を降りてすぐの信号を右折して「国道42号線(熊野街道)」をしばらく走り「岩崎」の信号を左折して「国道311号線」となる「朝来街道」から「熊野街道」を経由し突き当りとなる「本宮」の信号を右折して「国道168号線」に入り道なりに少し走り進めた先の「橋本」の交差点を左折して「国道42号線(熊野街道)」に入ってからは先程と同じです83km(約1時間45分)
最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。
「神倉神社」は「世界遺産」に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつとなるのですが、創建が「神話時代」との歴史が残る、由緒ある神社となります。
御神体となる「ゴトビキ岩」も、見ごたえ十分です。
何よりも「鎌倉積み」の石段は「恐怖」のひと言です。
一度訪れて「恐怖」の石段と「ゴトビキ岩」を、ご自身の身をもって、ご堪能下さい!
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