今回紹介するのは、大阪府大阪市生野区勝山北にある「御勝山古墳」です。
「御勝山古墳」は、5世紀前半に築造された前方後円墳と推定されているのですが、当時は南北に112m、東西に55m、高さが約8mを誇っていました。
現在では、古墳を横切るように勝山通が通っていて、通りの両側に「御勝山公園」及び「御勝山南公園」が整備されているのですが、後方にあたる円墳部分だけが「御勝山公園」の一角に残る形となります。
前方部に関しては、慶長19~20年となる1614年~1615年の「大坂の陣」の際に、徳川方の本陣が置かれたため著しく墳形が破壊されたと言いますが、その姿形が完全に失われたのは、1890年(明治23年)に現在の両公園を含めた広い範囲に大阪府農学校が設置されたことで、前方部は開削されたと言いますが、その後1926年(大正15年)には、大阪府農学校自体は堺市に移転しています。
古くは「岡山」と呼ばれていたそうですが、1615年の「大坂夏の陣」にて、徳川秀忠がこの地で戦勝の宴を催したことから「御勝山」とも呼ばれるようになったのですが、周辺の地名の「勝山」に関しても、当時呼ばれていた「御勝山」が変化したものと言います。
大阪市内の天王寺区にある「茶臼山古墳」や、住吉区にある「帝塚山古墳」と並んで重要な史跡のひとつとなるのですが、被葬者に関しては明らかになっておらず、一説によれば、中臣氏の祖「大小橋命(おおおはせのみこと」の墓ではないかと言われています。
1980年代に短期で発掘調査が行われ、その際に陶器の破片などが発見されたことで期待が高まったのですが、調査期間や予算の都合などにより詳細な調査を行うには至らなかったのですが、1990年の調査で、大阪市域では最古とされる縄文時代前半の円筒埴輪・形象埴輪・土師器・須恵器などの遺物が出土し、この附近を「勝山遺跡」と名付けられました。
大阪市内にある5カ所の低山巡りの対象となる山を「大阪5低山」と称した選定があるのですが、標高14mと言うことで「御勝山」も選ばれています。
「大阪5低山」の中には、条件付きですが「二等三角点がある山の中で日本で一番低い山!」として名高い、港区にある「天保山(4.5m)」も選定されており、阿倍野区の「聖天山(14m)」及び、ここで紹介している「御勝山(14m)」へと続き、さらに住吉区の「帝塚山(19.9m)」最後は天王寺区にある「茶臼山(26m)」へと続いていきます。
ここでは「大阪5低山」のひとつ「御勝山」の紹介となります。
準備が整いましたら「御勝山」の、散策スタートです!
帝塚山古墳~大阪5低山のひとつ【アクセス・駐車場】
今回は、大阪府大阪市生野区勝山北に位置する「御勝山」を訪れて「大阪5低山」の登頂プチハイキングを行なうため、バイクにまたがりアクセルを絞ります。
大阪在住の管理人ですから「御勝山」までは、10分もあれば到着できます。
「御勝山」は「大阪5低山」のひとつに選ばれていることもあり「5低山巡り」の対象として、登頂を目指そうとする方が多数いるといいます。
しかし、ここ「御勝山」に関しましては、一年を通して出入口が施錠されていることで、基本的には登頂することはできず、門外漢は塀の外から覗き見ることしかできません。
それを分かった上で訪れますので「御勝山」を登頂するのは絶望的となります。
まず初めに「御勝山」への「アクセス」と「駐車場」に関して、簡単に紹介しておきます。
帝塚山古墳へのアクセスは良好です!
「帝塚山古墳」への「アクセス」に関しましては「公共交通機関」を利用しても「マイカー」を利用しても、比較的簡単に行くことができます。
まず初めに「公共交通機関」を利用して行く場合ですが、最寄り駅となるのは数多くありますが、分かりやすい3ヵ所だけ紹介します。
ひとつ目は「大阪メトロ千日前線」の「北巽駅」となるのですが「4番出口」を出たら東西に伸びる「府道173号線(勝山通)」を西方面に約1.7km歩き進めると右手側に「御勝山公園」があり、その中に「御勝山古墳」があります。
残りの2つの路線は同じで「JR西日本大阪環状線」の「寺田町駅」もしくは「桃谷駅」となるのですが「寺田町駅」からは、先程と同じく約1.7kmほどありますが「桃谷駅」からですと、約1.3kmほどになります。
いずれの駅からでも、比較的簡単に訪れることができますので、ご自身に合ったアクセス方法でお出かけ下さい!
続いては「マイカー」でのアクセスに関してですが「最寄りの高速道路」としましては「阪神高速14号松原線」となります。
「阪神高速1号環状線方面」からは「阪神高速14号松原線」の「夕陽丘IC」を降りることになります。
降りたらすぐにある信号を左折し、左車線に入ってそのまま道なりに進み「六万体」の交差点を右折して「府道30号線(谷町筋)」に入ります。
2つ先にある「天王寺警察署西」の信号を左折したあとは「府道173号線(勝山通)」を経由しながら道なりに約2km走り進めて行けば、左手側に「御勝山公園」があり、その中に「御勝山古墳」があります。
「夕陽丘IC」から2.9kmほどですので、約10分で行くことができます。
続いて「松原方面」からですと「阪神高速14号松原線」の「文の里IC」を降りることになります。
降りたらすぐにある「文の里駅前」の交差点を左折して「府道28号線(あびこ筋)」に入ります。
少し走り進めた先の「天王寺バイパス」を進み、降りたらすぐにある「南河堀」の交差点を右折して「玉造筋」に入ります。
しばらく走り進めた先にある「勝山4」の交差点を右折して「府道173号線(勝山通)」に入ったら、あとは先程と同じように道なりに約1km走り進めて行けば、左手側に「御勝山公園」が見え、園内に「御勝山古墳」があります。
「文の里IC」から3.5kmほどですので、約10分で行くことができます。
最後に「駐車場」に関してですが「御勝山公園」には、専用の駐車場がありません!
従って周辺にあるコインパーキングを利用することになりますが、分かりやすいのは「御勝山公園」の反対車線になりますが、勝山通沿いに「生野区役所」があり、有料の駐車場があります。
利用可能時間に関しましては、月曜日~木曜日及び毎月第4日曜日は、朝の8時30分~夜の18時00分まで(*入庫は夕方の17時30分まで)で、金曜日は朝の8時30分~夜の19時30分まで(*入庫は夜の19時00分まで)です。
上記以外の時間帯は出入口が閉鎖されて、入出庫できなくなるのでご注意下さい!
土曜日・日曜日・祝日・年末年始(12月29日~1月3日まで)は休業日となりますが、第4日曜日に関しては利用可能です。
料金は最初の30分までは300円で、以後2時間までは30分毎に150円で、2時間を超えてからは30分毎に200円となり、最大料金は24時間まで1200円となります。
また「御勝山公園」の裏手にも「P-cafe勝山北」と「パークステーション勝山北第1」と言うコインパーキングが2件並んでいます。
駐車台数は少ないですが、すぐ横が「御勝山公園」になりますので、ほぼ歩くことなく園内へと入れます。
「P-cafe勝山北」は24時間利用でき、朝の8時00分~夜の20時00分までは60分200円で、夜の20時00分~翌朝の8時00分までは60分100円となり、24時間の最大料金は500円で、夜間の最大料金は200円となります。
「パークステーション勝山北第1」も24時間利用でき、オールタイム30分100円となるほか、24時間の最大料金は600円で、夜間の最大料金は300円となります。
利用料金にばらつきがありますが、ご自身の滞在時間によって使い分けていただければと思います。
以上が「御勝山古墳」への「アクセス」と「駐車場」の紹介となります。
大阪5低山のひとつ御勝山へは入山できません!
今回は、大阪5低山巡りとして「御勝山」すなわち「御勝山古墳」を訪れて、山頂までのプチハイキングを行うべく向かいましたが、結論から言いますと「御勝山」への入山は叶いませんでした!
「御勝山古墳」は、一年を通して出入口は施錠されていることで、門外漢は塀の外からのぞき込むぐらいしかできません。
向かう前より分かっていましたが、大阪5低山巡りをするにあたっては、外すことは出来ません!
ここでは、一番近い「JR西日本大阪環状線」の「桃谷駅」より向かってみますが、下車してからは高架橋に沿って南方面に約500mほど歩き進めて行きます。
「府道173号線(勝山通)」に突き当たったところで、左に曲がって高架橋をくぐったら、あとは道なりに800mほど進むだけです。
住宅街を抜けて行けば、100mほど短縮して向かうことも可能ですが、少し分かりづらいのでお勧めはできません!
歩き進めていると、左手側に「御勝山公園」が見えてくるのですが、それと同時に園内にある墳丘を見ることができます。
「御勝山公園」の園内は、それほど広くはないのですが、半分近くは「御勝山古墳」の墳丘となります。
正面入口には「史蹟 岡山 又 御勝山」と記された石碑が置かれており、裏側に回ると「昭和十四年 大阪府」と刻まれています。
先程も言いましたが「御勝山古墳」は、石積みされた上に鉄製のフェンスが張られているほか、一年を通して出入口は施錠されていることで、門外漢は塀の外からのぞき込むぐらいしかできません。
「御勝山古墳」は、5世紀前半に築造された前方後円墳と推定されているのですが、当時は南北に112m、東西に55m、高さが約8mを誇っていました。
現在では、古墳を横切るように勝山通が通っていて、通りの両側に「御勝山公園」及び「御勝山南公園」が整備されているのですが、後方にあたる円墳部分だけが「御勝山公園」の一角に残る形となります。
園内に置かれた案内看板には、5世紀前半に築造されたと思われる前方後円墳が推定復元図として描かれており、現在の状況との比較図が描かれています。
墳丘周りの石積みをはじめ、園内の縁石などの至る所に曲線を描いた造りになっていることから、発掘調査などで確認された墳丘裾部、周濠の端部・堤部などの位置が表現されているように思います。
上町台地の東縁部の河内平野を望む低い丘陵上に立地する御勝山古墳は古墳時代中期の5世紀前半に造られた。
慶長19~20年(1614年~15年)の大阪の陣で徳川方の本陣が置かれたため、著しく墳形が破壊され、いまは後円部が残っているだけである。
昭和48年(1973年)の発掘調査で埴輪や葺石が発見された。そして全長120m、濠を含めると約150mの中規模の前方後円墳であると推定されるに至った。
昭和62年3月大阪府
前方部に関しては、慶長19~20年となる1614年~1615年の「大坂の陣」の際に、徳川方の本陣が置かれたため著しく墳形が破壊されたと言いますが、その姿形が完全に失われたのは、1890年(明治23年)に現在の両公園を含めた広い範囲に大阪府農学校が設置されたことで、前方部は開削されたと言いますが、その後1926年(大正15年)には、大阪府農学校自体は堺市に移転しています。
古くは「岡山」と呼ばれていたそうですが、1615年の「大坂夏の陣」にて、徳川秀忠がこの地で戦勝の宴を催したことから「御勝山」とも呼ばれるようになったのですが、周辺の地名の「勝山」に関しても、当時呼ばれていた「御勝山」が変化したものと言います。
大阪市内の天王寺区にある「茶臼山古墳」や、住吉区にある「帝塚山古墳」と並んで重要な史跡のひとつとなるのですが、被葬者に関しては明らかになっておらず、一説によれば、中臣氏の祖「大小橋命(おおおはせのみこと」の墓ではないかと言われています。
1980年代に短期で発掘調査が行われ、その際に陶器の破片などが発見されたことで期待が高まったのですが、調査期間や予算の都合などにより詳細な調査を行うには至らなかったのですが、1990年の調査で、大阪市域では最古とされる縄文時代前半の円筒埴輪・形象埴輪・土師器・須恵器などの遺物が出土し、この附近を「勝山遺跡」と名付けられました。
大阪市内にある5カ所の低山巡りの対象となる山を「大阪5低山」と称した選定があるのですが、標高14mと言うことで「御勝山」も選ばれています。
国土地理院の標高点は14mとなりますが、案内看板の表記では標高13.25mと書かれているのですが、どちらにしても「大阪5低山」のひとつに変わりはありません。
「大阪5低山」の中には、条件付きですが「二等三角点がある山の中で日本で一番低い山!」として名高い、港区にある「天保山(4.5m)」も選定されており、阿倍野区の「聖天山(14m)」及び、ここで紹介している「御勝山(14m)」へと続き、さらに住吉区の「帝塚山(19.9m)」最後は天王寺区にある「茶臼山(26m)」へと続いていきます。
墳丘の西側は、簡単な遊具や砂場が整備された児童公園になっているほか、東側にもポケットパークがあり、ベンチの置かれた休憩用スペースがありますので、のんびりとしたお時間を過ごせるかと思います。
以上で「大阪5低山」に選定されている「御勝山」の山頂を目指すプチハイキングは終了となるのですが、その気になれば1日で「大阪5低山」の全てを登頂することも可能ですので、是非一度、挑戦してみて下さい!
大阪5低山に関する記事はコチラをご覧下さい!
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御勝山古墳のアクセス及び駐車場情報!
【基本情報】
*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。
「御勝山古墳」
- 住所:〒544-0033大阪府大阪市生野区勝山北3-16
- 電話:06-6208-9166・FAX:06-6201-5759(大阪市教育委員会事務局生涯学習部文化財保護担当)
- 時間:散策自由
- 観覧料:無料
- 定休日:年中無休
- 駐車場:無し(周辺のコインパーキングを利用)
- アクセス:【公共交通機関】「JR西日本大阪環状線」の「桃谷駅」で下車してから南東方面に1.3km(約20分)
「JR西日本大阪環状線」の「寺田町駅」で下車してから北東方面に1.8km(約25分)
「大阪メトロ千日前線」の「北巽駅」で下車してから西方面に1.8km(約25分)
【お車】「阪神高速1号環状線方面」からは「阪神高速14号松原線」の「夕陽丘IC」を降りてすぐにある信号を左折したら左車線に入りそのまま道なりに走り進めて「六万体」の交差点を右折して「府道30号線(谷町筋)」に入ったら2つ先にある「天王寺警察署西」の信号を左折しあとは「府道173号線(勝山通)」を経由しながら道なりに約2km走り進めて行けば左手側に「御勝山公園」が見え園内に「御勝山古墳」があります2.9km(約10分)
「松原方面」からは「阪神高速14号松原線」の「文の里IC」を降りたらすぐにある「文の里駅前」の交差点を左折して「府道28号線(あびこ筋)」に入り少し走り進めた先の「天王寺バイパス」を進んで降りたらすぐにある「南河堀」の交差点を右折して「玉造筋」に入りしばらく走り進めた先にある「勝山4」の交差点を右折して「府道173号線(勝山通)」に入ったら道なりに約1km走り進めて行けば左手側に「御勝山公園」が見え園内に「御勝山古墳」があります3.5km(約10分)
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
「御勝山古墳」は、大阪市生野区の住宅街にある小高い墳丘となります。
大阪市内にある5カ所の低山巡りの対象となる山を「大阪5低山」と称した選定があるのですが、標高14mと言うことで「御勝山」も選ばれています。
鉄柵がより先には立ち入る事はできず、汗ひとつ流すことのないプチハイキングになりますが、なかなかに見どころのあるスポットになりますので、是非一度「大阪5低山巡り」をお楽しみ下さい!
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