今回紹介するのは、和歌山県新宮市新宮にある「熊野速玉大社」です。
「熊野速玉大社」の境内および「神倉山」に鎮座する、摂社「神倉神社」の境内は、史跡となるほか、田辺市にある「熊野本宮大社」と、那智勝浦町の那智山にある「熊野那智大社」を合わせた、3社をはじめとして「熊野那智大社」と隣接する「青岸渡寺」および、密接な関係を持つ「補陀洛山寺」を加えた、3社2寺で構成されるのが「熊野三山」で、年間を通して多くの方が訪れます。
また「熊野速玉大社」の、社殿および境内地、さらに「神倉神社」の境内地は、2004年(平成16年)の7月に、ユネスコの「世界遺産」に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の、構成資産の一部となります。
「熊野速玉大社」の御神体となるのは、摂社となる「神倉神社」にあり、標高199メートルの「神倉山」に対して、標高120メートル地点に位置する「ゴトビキ岩」に、降臨した熊野の神々、すなわち「熊野権現」を、お祀りする神社となります。
熊野信仰が盛んになる頃「熊野権現」が諸国遍歴の末に、熊野の地の中でも「熊野三所大神」が、最初に降臨した場所であると説かれ、そのことから「熊野根本神蔵権現」あるいは「熊野速玉大社奥院」とも、称されたと言います。
「熊野速玉大社」の創建は「神倉神社」が始まりとされるのですが「神倉神社」の創建年代は、128年頃と言われるのですが「神話時代」となる、古くからの伝承も残っており「神武天皇」が、神倉に登拝されたことが記されています。
その後、景行天皇58年に、現在の社地に「宮」を造営してお遷(うつ)りになり、社号を「新宮」にしたと言われています。
その後、いつの頃からか、社号を「熊野速玉大社」とするのですが、正確な創建年代は不詳となりますが「主祭神」となるは「熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)」と「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)」の夫婦神となり、まず初めにお祀りされたのですが、平安時代の初めには、現在のように「十二の神殿」が完成し「熊野十二所権現」が、お祀りされています。
そんな「世界遺産」に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつとなる「熊野速玉大社」の紹介となります。
準備が整いましたら「熊野速玉大社」の、散策スタートです!
熊野速玉大社~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】
今回は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山に位置し、ユネスコの「世界遺産」に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の、構成資産の一部となる「熊野速玉大社」に向けて、車を走らせます。
「熊野速玉大社」は「熊野三山」を構成する一社として、訪れる方がいるほか「人生の甦りの地」としても知られ、年間を通して多くの方が足を運びます。
しかし「アクセスの面」に関しては、紀伊半島の南端部と言うこともあり、決して良いとは言えないのですが「最寄り駅」となる「新宮駅」が、比較的近くにありますので、その点では「良いほう!」と、言っても良いのではないかと思います。
まず初めに「熊野速玉大社」を訪れるための「アクセス」と「駐車場」に関して、簡単に紹介しておきます。
熊野速玉大社へのアクセスはマイカーで早い時間帯に!
「熊野速玉大社」には、年間を通して多くの方が足を運ぶのですが、紀伊半島の南端部にあると言うことで「マイカー」を、利用して行くにしても「公共交通機関」を、利用して行くにしても、非常に時間を必要とする場所となります。
まず初めに「マイカー」で訪れる場合ですが、幾つかの方角から向かうことができますが、一番厄介な道のりになるのは「奈良県側」からとなります。
管理人は「大阪方面」から、その厄介な道のりを走り進めたのですが「南阪奈道路」の「葛城IC」を降りると、そのまま「国道24号線(大和高田バイパス)」を走り「新堂ランプ出口」を降りたら、右車線を走って「新堂ランプ」の交差点を右折します。
再び右車線を走り「京奈和自動車道(無料区間)」に入って、しばらく走り進めた先の「五條IC」を降りるのですが、すぐある「五條インターチェンジ前」の交差点を、右折して「国道310号線」に入ったのち「国道168号線」を経由しながら、約126kmほど走り進めます。
走り進めた先にある「橋本」の交差点を左折して「国道42号線(熊野街道)」に入ったら、少し走り進めた先の「速玉大社前」の交差点を、左折したあと少し走り進めると、右手側に朱色の「下馬橋」と「駐車場」の案内看板が見えてくるので、その指示に従って、右斜めの道を進めば、左手側に「熊野速玉大社」の「駐車場」があります。
「葛城IC」からは、147kmほどあり、個人差はあるかと思いますが、約3時間ほどは、見ておいたほうがいいです!
また「三重県方面」からですと「熊野尾鷲道路」の「熊野大泊IC」から「国道42号線(熊野街道)」となる、七里御浜沿いを「新宮方面」へ走り「速玉大社前」の交差点を、右折してからは、先程と同じです。
こちらからの「アクセス」は、一番近く23.4kmほどですので、約30分で行くことができます。
最後に「和歌山方面」からですと「紀勢自動車道(無料区間)」の「上富田IC」を降りるのですが、降りてすぐの信号を右折して「国道42号線(熊野街道)」に入ったら、少し走り進め「岩崎」の信号を左折して「国道311号線」となる「朝来街道」から「熊野街道」を経由しながら進みます。
突き当りとなる「本宮」の信号を、右折して「国道168号線」に入ったあとは、道なりに走り進めて行くと「橋本」の交差点があり、左折して「国道42号線(熊野街道)」に入ってからは、先程と同じです。
「上富田IC」からは、84kmほどありますので、約1時間45分ほど必要かと思います。
最後に「駐車場」に関してですが「熊野速玉大社」には「無料駐車場」が用意されていますが、駐車スペースに関しては、約20台ほどしかないので、訪れる時間帯によっては「満車」の可能性が高くなります。
しかし、訪れる方が多い時や「繁忙期」に関しては、100台分の駐車スペースがある「臨時駐車場」が開放され、今回もそうでしたが、出入口に立つ「守衛(ガードマン)」の指示にて「河川敷」にある「臨時駐車場」へと、誘導されます。
「臨時駐車場」に止めたとしても、徒歩で5分ぐらいですので、特に問題は無いかと思います。
続いては「公共交通機関」を、利用して行く場合ですが「電車」のみで行くのでしたら「JR紀勢本線」の「新宮駅」が「最寄り駅」となり、徒歩で1.3kmほどですので、約15分で行くことができます。
また「奈良方面」から、バスを利用する場合ですが「近鉄」の「大和八木駅」にある「八木駅(南)」のバス停留所から「八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)」に、乗車すれば「権現前」の停留所で下車することで、250メートル先に参道がありますので、約3分で行くことができます。
また「近鉄御所線」の「近鉄御所駅」及び「JR和歌山線」の「御所駅」さらに「JR和歌山線」の「五条駅」からでも「八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)」に乗車できますので、ご自身にあった駅を、お選びいただけます。
しかし「八木駅(南)」からでも、9時15分発が一番早い出発となり、到着が15時47分となり、微妙な時間となるほか、帰りのバスは無く「新宮駅」に向かい、電車で帰ることになるので、あまりお勧めはできません!
無難に訪れることができるのは、やはり「マイカー」を利用することになり、夜明け前の出発で走り進めるのが、一番問題が無いのではないかと思います。
と、言ったところが「熊野速玉大社」への「アクセス」と「駐車場」の紹介となりますが、いずれの「アクセス」を選んでも、それなりの時間が必要となりますので、余裕を持った時間にお出かけください!
熊野速玉大社の見どころ新宮市立佐藤春夫記念館
以前にも、ここ「熊野速玉大社」を、2度ほど訪れたことがあり、今回で3度目となるのですが、駐車場に車を駐車すると、早速にも散策を開始します。
駐車場の中には「新宮市立佐藤春夫記念館」があるのですが、故郷をこよなく愛し、明治末期から昭和にかけて活躍した、詩人で作家となる「佐藤春夫氏」の文学館があります。
「熊野速玉大社」の境内に立つ、洋館の建物となるのですが「佐藤春夫氏」が、1927年から、亡くなった1964年までのあいだ、東京都文京区で過ごした邸宅を、移築復元したものとなります。
邸宅内は、見学可能となるのですが「有料施設」となりますので、大人310円、小・中学生150円が必要となりますが、1階では太陽の暖かい光を燦々と取り込む、吹き抜けのサンルームや、応接間などの建物の特徴的な造りが見学でき、2階に上がれば「佐藤春夫氏」の書斎をはじめ、貴重な初版本などが展示公開されています。
建物をはじめ、特徴的なアーチ型の門や、ブロックと赤煉瓦で造られた塀も再現されているのですが、石畳のアプローチや、庭に植えられていた「佐藤春夫氏」が愛したと言う「ノウゼンカズラ」さらには、弟の「秋雄氏」が、留学先のウイーンからの帰り道の、パリで拾ってきた「マロニエ」までも再現されています。
早くに亡くなった弟を偲びながら、こよなく愛した「マロニエ」は、残念ながら、平成11年に開花したのを最後として「枯死」してしまい、現在では、二代目の「マロニエ」が植えられています。
そんな「新宮市立佐藤春夫記念館」ですが、見学できるのは、朝9時00分~夕方17時00分までとなり、最終入館時間に関しては、夕方16時40分までとなりますので、ご興味のある方は、駐車場内にありますので、覗いてみてください!
下馬橋を渡り一の鳥居をくぐって境内へ
駐車場より直接、境内の中央付近に入れるのですが、今回は正面の参道より順に紹介しますので、とりあえず正面にある「下馬橋」へと移動します。
見どころのひとつとなる「下馬橋」は、太鼓の胴のように丸く反った、とても小さな「太鼓橋」となるのですが、橋の下には、川も無ければ水も無い、取って付けたような橋となるのですが、朱色が鮮やかなインパクトのある「下馬橋」となるのですが、何故作られたのか分からない形となりますが、景観としては、申し分のない架け橋となります。
「下馬橋」の「下馬(げば)」とは、地位や家柄が高い方が、社寺の境内や城内に入る前に、敬意を表すために、乗っている馬から下りることを言うのですが、同じように「駕籠(かご)」や「輿車(よしゃ )」から降りる場合などには「下乗(げじょう)」と、刻まれていることもあり、寺社ではよく見かけます。
それも昔のことで、現在となれば「馬」や「輿」に乗って訪れる方はいませんが・・・「これより先は神域なので乗り物に乗ったまま入ってはいけません!」と言う意味ですね。
「下馬橋」の右手側には「社号」となる「熊野速玉大社」の「標石」が立てられ、左手側には、熊野の神々を総称した「熊野大権現」と刻まれた「標石」も、立てられています。
さらに「下馬橋」を、渡りきったところには「石燈籠」が、左右に1基ずつ配置され「一の鳥居」と参道を覆う、緑豊かな木々を背景に従えた景色を眺めるだけでも「熊野速玉大社」の、並々ならぬパワーを感じることができます。
「マイカー」で訪れて、直接境内に入って本殿に向かうと、この景観を見逃しがちですので、駐車場より一旦外に出て、道路を歩いて正面の参道にまわってから、境内に入ることをお勧めしておきます。
一の鳥居と世界遺産を記念する石碑!
「下馬橋」を渡り、石燈籠を越えた左手側には、先ほども紹介した「佐藤春夫氏」の「句碑」が置かれているのと、右手側には、2004年の7月に、ユネスコの「世界遺産」に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の、構成資産の一部としての、あれこれが刻まれた「石碑」が置かれていますが、文字が小さくて非常に読みずらいです。
その少し先には、それほど大きくは無いのですが、朱塗りが色鮮やかで、重厚感のある「一の鳥居」があります。
句碑には「秋晴れよ 丹鶴城址 兒に見せむ」と、刻まれているのですが、先程「下馬橋」があった、正面の参道あたりから、町の方を眺めた時に、秋空に浮かぶ「丹鶴城址」とあるのですが、現在の「新宮城跡」のことで、それを指さしながら、子どもたちに思い出を語っている光景の句だそうです。
「記念館」や「句碑」さらには、境内のいたるところで「佐藤春夫氏」を、偲ぶ形の記念碑を目にするのですが、この地との関りの深さを感じられます。
さて「一の鳥居」をくぐり「本殿」に向けて、参道を歩き進めるのですが、神社などでよくあるのが「玉砂利」の敷かれた、参道なのですが、ここ「熊野本宮大社」の参道は、綺麗に敷かれた石畳の道となり「ジャッ!ジャッ!ジャッ!」と言う、一種独特の音がしないのが、とても残念な感じとなります。
歩くことのない参道の両サイドには、ところどころで「玉砂利」も敷かれていますが、結果的には「本殿」への入口となる「神門」までは、すべて石畳の参道となります。
「埃がたつから玉砂利の参道はいや!」と言う方も、少なくは無いのですが「玉砂利」を敷くには、それなりの理由があります。
一つは「砂利」を踏みしめながら、歩いて行く音が「邪念」となる気を、寄せ付けないという考え方で、昔から神聖な場所には、その地を清浄にするため、石を敷きつめたのですが、これは単なる「砂利道」ではなく「白砂(しらす)」とか「産土(うぶすな)」と呼ばれる、清らかで清浄を意味する小石がまかれています。
鳥居をくぐり、参道を歩き進めるときに、清浄な石を踏みしめることにより「身を清め」さらに「心を鎮め」て、心身共に、最高の状態となったうえで参拝が出来るように、気持ちを整えながら神聖な場所へと向かいます。
参拝するまでの、気持ちや姿勢のあり方が「砂利」の敷かれた参道には込められており、心身を清めるという、絶大な効果があると言うことです。
さらに参道の「中央」は「物を二等分する真ん中のところ」と言う意味で「正中(せいちゅう)」と言われており、昔から神社の参道においても「神様の通り道」とされており、昔の人たちは、真ん中を歩かないように、心がけていたと言います。
そんなことも、少しだけ意識しながら「本殿」に向かわれるのも、良いのかもしれませんね。
境内社の八咫烏神社と鑰宮・手力男神社
参道を少し歩いていると、右手側では「鳥居の取替え工事」が行われており、その前には、2つのお社が鎮座しているのですが、向かって左手側に「鑰宮(かぎのみや)・手力男神社(たぢからおじんじゃ)」があり、右手側に「八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)」が鎮座する形となっています。
左手側の「鑰宮・手力男神社」には、御祭神として「天之手力男命(あまのたぢからおのみこと)」が、お祀りされており「延喜式神名帳」にもある、由緒の古いお社となるのですが、813年に「嵯峨天皇」の勅命によって、現社地の近くへ遷(うつ)り、明治40年に「新宮神社」に合わせて、お祀りされました。
御神徳は「武運」をはじめ「健康」や「開運」と言った、御利益を授けてくれます。
並ぶように鎮座する「八咫烏神社」には「建角見命(たけつぬみのみこと)」が、お祀りされているのですが「八咫烏」は「三本足」の「神の鳥」と、呼ばれているのですが「神武東征」の時に、この「八咫烏」の先導によって「神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)」は、無事に大和の橿原の地へ移り、西暦紀元前660年2月11日に、初代天皇となる「神武天皇」として即位されたと言います。
そんなことから「八咫烏」は、より良い方向へ導く「お導きの神様」とも言われています。
そんな2つのお社の横は、広い空間があり「扇立祭舞台(おうぎたてまつりぶたい)」があり、その後方に「忠魂碑」が、立てられています。
毎年7月14日に執り行われる祭儀で、社殿に国宝の「彩絵檜扇(さいえひおうぎ)」(模写扇)を立てて、神事が行われ「国家安泰」をはじめ「無病息災」や「家内安全」が祈願されます。
「扇立祭舞台」の後方に移設された「忠魂碑」と呼ばれる塔は「日露戦争後」に、この地域で亡くなった方々を、慰霊するために建てられたものです。
見どころのひとつ熊野神宝館
「扇立祭舞台」の横に建つのは、見どころのひとつ「熊野神宝館」となり、中世以降に「天皇」をはじめ「上皇」や「将軍」さらに「大名」から、1200点以上に及ぶ奉納品があり、それらを「収蔵・展示」する施設として、戦後「第一号」の博物館となるのですが、それら多くの「古神宝類」は、1955年6月22日に、一括して「国宝」の指定を受けています。
過去には、幾度となく災害にあい、1883年に社殿自体も炎上して、その後再建されたのですが、数多くの「古神宝類」が、奇跡的にも残っていることもあり「南紀州の正倉院」とも呼ばれています。
「熊野神宝館」に収蔵されている「古神宝類」は「熊野新宮御神宝目録」により、1390年の奉納品と、後に補充されたもので構成されるのですが、中世の工芸品の基準作例としても、貴重な資料となっています。
主な「所蔵品」としては、先ほど少し紹介しましたが、扇に宿る神霊を拝む「扇立祭」の神事が行われる、檜の板に「彩色」と「金・銀箔」を施した「熊野檜扇」をはじめ、化粧具を納める器物で、内容品の整った「蒔絵手箱」が数多くあり、その中でも「沃懸地蒔絵銀螺(いかけじまきえぎんら)」と呼ばれる、最高の技法を用いて作られた絢爛豪華なものもあり、その他には、最古の「神像彫刻」などで、平安初期の傑作といわれる「熊野三山」の「熊野三所権現」となる「熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)」と「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)」と「家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)」の、古神像を中心とした十一躯が所蔵されています。
あと「熊野神宝館」の出入口には「武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)」の木彫りの置物があるのですが「弁慶」の生涯については「謎」が多いのですが「義経記」を、紐解けば「熊野別当」の子で、紀伊国の出身だと言われているのですが、熊野の地の伝承では「速玉大神」に仕えた、強い勢力を誇った豪族の「熊野三党」の「鈴木一族」とされ「源平の戦い」では「源義経」と共に、大いに活躍したと言いますが、その後、怒りをかって対立した「源頼朝」より追撃を受け、生まれ故郷の熊野の地で、討ち死にしたとも伝えられています。
熊野の地には「武蔵坊弁慶」に関する史跡も残っており、ここより1kmほどのところに「弁慶産家楠跡石碑」と、20kmほどのところに、旧産屋敷の地となる熊野々に「鉄甲塚」が残されています。
そんな見どころの多い「熊野神宝館」は、有料施設となり、大人500円で、高校生以下は無料となるほか、30名以上の団体になると、1割引きとなります。
開館時間は、朝の9時00分~夕方16時00分までとなりますので、ご興味のある方は、お時間に気を付けてお出かけください!
樹齢1000年の御神木「梛」
「熊野神宝館」の前には「熊野速玉大社」の見どころのひとつとなる、推定樹齢が1000年を誇る「御神木」となる「梛(なぎ)」の大樹があります。
「熊野速玉大社」の御神木の「梛」は、平安末期に「熊野三山」の、造営奉行を務めた「平清盛」の嫡男(ちゃくなん)となる「平重盛(たいらのしげもり)」の、お手植えと伝えられているのですが「梛」の木としては、日本一となり、国の「天然記念物」に指定されています。
「梛」の葉は、縦には簡単に裂けるのですが、横にはなかなかちぎれないと言うことと、他の植物の生育を制御する物質を、分泌すると言うこともあり、葉の強さから「家内安全・夫婦円満」と言った御利益が得られ、育成を制御することや「なぎ払う」などにも通じ「魔除け」として「梛」の葉を「御守り」として持つと良いとも言われています。
「熊野速玉大社」の御神木の「梛」の葉も、同じように「御守り」と考えられており「祈りの聖地」となる熊野において、絶大な人気を誇る「熊野詣」を、行なうにあたっても、この「御神木」の「梛」の葉は「熊野権現」の象徴として、昔から旅の道中の安全を祈り、この「梛」の葉を、笠などにかざすことで「魔除け」となるほか、懐中に納めて参詣することが、習わしともされていました。
1972年(昭和47年)5月15日にアメリカ合衆国より「沖縄返還」された時には、平和の象徴として知られる「梛」の苗木500本を種から育てて、本土復旧の記念として、沖縄県下の学校へ植樹されたのですが、40年以上経った現在も、沖縄の地で立派に根付く、その姿に感銘を受けた「熊野速玉大社」の宮司と共に、世界平和を願う人々が集い、平成24年の6月に「世界平和の祈り」が、捧げられたと言い、そんなことからも「熊野速玉大社」は「梛」の木を「世界平和の木」にする運動を、行なっていると言います。
1000年の時を経た「日本一」と称される「熊野速玉大社」の御神木の「梛」に、心静かに手を合わせて、世界の平和をお祈りしてみてください!
熊野速玉大社は人生の甦りの地!
「熊野速玉大社」は「熊野三山」を構成する神社となるため「境内も大変に広いのでは?」と、思われるでしょうが、結論から言いますと「とても狭い!」です。
こじんまりとした境内ではありますが、見どころが密にありますので、歩き疲れるようなことはありません!
出入口の「下馬橋」から「神門」までは100メートル足らずで、ほぼ、参道沿いの両側に、見どころがありますので、とても楽に歩き進めることができます。
「梛」の御神木より、数十メートル進むと「神門」があり、右手側に「手水舎」があるので、身を清めて「神門」をくぐり、境内へと入って行きます。
「神門」をくぐると、ここに来て初めて、玉砂利が一面に敷かれた「神域」となり、少し空気感が変わります。
右手側には、2004年7月に、ユネスコの「世界遺産」に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の、構成資産の一部となったことを記念する「石碑」が「ド~ン!」と置かれ、凄みを増しています。
「熊野速玉大社」の神殿は、五つの社殿からなり、いずれも朱塗りの「瑞垣」の中にありますが、左手側から「第一殿・若宮」と「第二殿・速玉宮」の社殿が並び、三つ目の小さな社殿は、摂社となる「奥御前・三神殿」となり、その横に「第三殿・第四殿・神倉宮」の、三社相殿の「上三社」の社殿があり、最後は「第五殿~第十二殿」までの、八社相殿の「八社殿」が、横一列に並ぶ形となっているのですが、熊野の神々を総称する「熊野十二所権現」が、お祀りされる形となります。
一番左手側の社殿は「結宮」で「第一殿」となり「熊野速玉大社」の主祭神となる「熊野結大神(くまのむすびのおおかみ)」が、お祀りされているのですが「熊野三山」のひとつ「熊野那智大社」の主祭神「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)」と、同じなのですが、本来は「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」となり、本名を明かさないために、何故か、いずれも無理につけたような、名前になっています。
そのあたりを、言いだすと少し長くなるので、以下は本名は省略します。
「速玉宮」は「第二殿」となり、同じく「熊野速玉大社」の、主祭神となる「熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)」が、お祀りされているのですが「第一殿」の「熊野結大神」とは、夫婦神となります。
もともとは、1つの「社殿」に、お祀りされていたと言いますが、現在は「拝殿」のある、後方の2つの「社殿」に、それぞれ、お祀りされています。
さて、小さな摂社の「奥御前・三神殿」には「天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神」の3神が、お祀りされていますが「熊野十二所権現」ではありません。
その隣の「上三殿」は、三社相殿となり「第三殿」の「証誠殿(しょうじょうでん)」には「熊野三山」のひとつ「熊野本宮大社」の主祭神となる「家都美御子命(けつみみこのみこと)」と「国常立尊(くにとこたちのみこと)」が、お祀りされ「第四殿」の「若宮」には「天照大神」さらに「神倉宮」の「高倉下命(たかくらじのみこと)」が、お祀りされています。
「国常立尊(くにとこたちのみこと)」と「高倉下命(たかくらじのみこと)」は「熊野十二所権現」ではないのですが「神倉宮」は「新宮」の「旧宮」となる、神倉山の御祭神が、お祀りされています。
最後の「八社殿」には「中四社・下四社」の「第五殿~第十二殿」までの、熊野の神々がお祀りされ「熊野十二所権現」のすべてが、この「瑞垣」の中に鎮座しています。
もともと「熊野速玉大社」では、主祭神となる「熊野結大神」と「熊野速玉大神」のみを、お祀りしていたのですが、平安時代の中期頃より「熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社」が「熊野三山」として、連係を結ぶことで「家都美御子命」を勧請して「熊野三所権現」として「熊野三山」で、共通の神々をお祀りするようになりました。
平安末期には「熊野三山」のそれぞれが「十二社殿」にお祀りした、熊野の神々を「熊野十二社権現」と呼び、すべての本体は、仏や菩薩であると考えられたと言います。
南北朝から室町時代になると、皇族や貴族だけではなく、武士や庶民の間に「熊野信仰」が広がり、身分の違いや、老若男女を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、熊野の地に、大勢の人々が連なって参詣し「蟻の熊野詣」と、言われるほどの賑わいだったと言います。
「熊野古道」を行く「熊野詣」では、過去に犯した罪を消し、救いを求めて、きわめて苦しい修行を続ける人々が、つけた命の道と考えられています。
険しい山路を越え、やっとの思いで辿り着いた人々は、目に涙を浮かべたと言います。
たとえ、参詣者のわらじが雨で濡れていても、そのまま温かく拝殿に迎え入れたと言うのですが、これを「濡れわら沓の入堂」と言い、現在でも「熊野速玉大社」の社訓になっていると言います。
涙で心が洗われ、自分本来の姿を取り戻す旅となる「熊野詣」は、生きる力をもう一度、受け取りに来る場所でもあります。
命がけで行った「熊野詣」は、生まれた時に持っていた純真な心と、本来の姿を取り戻すための、試練の旅でもあったのでしょう。
「熊野速玉大社」が「甦りの地」と言われるのは、迷わず人生の再出発を踏み出すための勇気と、覚悟を与えてくれるからではないでしょうか。
と、言ったところで「熊野速玉大社」の散策が、すべて終了となります。
熊野三山に関する記事はコチラをご覧下さい!
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熊野三山めぐり~1日で熊野詣を完全攻略【アクセス・駐車場】
今回紹介するのは、古くから神々が鎮座する、特別な地域として崇められた、紀伊山地にある「熊野三山」です。 熊野周辺は、日本書紀にも登場する、自然崇拝の地であり、まだ社殿と言うものがない「神話時代」にさかのぼっての、古くからの伝承があり、熊野の地に、神々が降臨したことが始まりで、その後「神武天皇(じんむ ...
熊野速玉大社の御朱印!
最後にすべて参詣した証として「御朱印」を頂きに・・と、言いたいところですが、かなり昔にも、二度訪れており、その時に頂いた「御朱印」がありますので、今回は改めて「御朱印」を頂きませんが、恐らく「御朱印」自体が、変わったと言うことは無いので、紹介しておきます。
「熊野速玉大社」で頂ける「御朱印」は「神仏霊場巡拝の道(和歌山1番)」となる「熊野速玉大社」と「旧社地」となる「神倉神社」の「御朱印」の2種類です。
「熊野速玉大社」の御朱印は「神仏霊場巡拝の道(和歌山1番)」の札所となり「専用の御朱印帳」を、お持ちの場合は、それに書いてもらえば良いのですが、お持ちでない方は、ご自身の「御朱印帳」に、書いてもらえば良いかと思います。
「御朱印」の右手側が「熊野速玉大社」のものとなり、左手側が「旧社地」となる「神倉神社」の「御朱印」となるのですが「神倉神社」へも、この後すぐに訪れるのですが、現在では「神倉神社」には、常駐する神職がいないので「御朱印」に関しては「熊野速玉大社」の「授与所」で、同時にいただく形となりますので「御朱印集め」をしている方は、忘れずにいただくようにして下さい!
「熊野速玉大社」の、オリジナルの「御朱印帳」を、購入したのですが、表紙には「拝殿」が描かれており、裏表紙には「速玉祭り」の「御船祭」の様子が描かれています。
尚「御朱印」に関しては、基本的には、ひとつにつき300円を納めれば、誰でも頂くことができます。
「御朱印」に関しては、寺社で参拝しなければ頂けないと言うものではなく「仏像鑑賞」や「パワースポット巡り」など、別な楽しみも兼ねた証として頂くと言う考え方もあります。
寺社を訪ねるだけでなく「御朱印集め」は「何を書くのか?」や「どんなハンコ(朱印)を押すのか?」さらに「字の良し悪し」などを、楽しみのひとつとして収集するのも良いものですよ。
管理人は、訪れた寺社仏閣では必ず「御朱印」を頂いているので、正確に数えたことはないですが、知らず知らずの間に「1000」に手が届きそうなくらいになっています。
「御朱印集め」を、始めようとお考えの方には、是非お勧めしたいと思います。
尚、近年では「御朱印」を「スタンプラリー」のように、参拝もしないで頂きに行く方が増えていると言うことですが、最低限のマナーとしては、参拝が終了してから頂くことをお勧めしておきます。
熊野速玉大社のアクセス及び駐車場情報!
【基本情報】
*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。
「熊野速玉大社」
- 住所:〒647-0003和歌山県新宮市新宮1番地
- 電話:0735-22-2533・FAX:0735-23-1560
- 時間:境内自由・参拝は朝6時00分~夕方18時00分(日の出から日没まで)
*但し授与所に関しては朝8時00分~夕方17時00分 - 定休日:無休
- 参拝料:無料
- 神宝館拝観 :有料(大人500円・高校生以下無料)*団体割引有(団体30名以上は1割引)
- 拝観時間:朝の9時00分~夕方16時00分まで
- 休館日:不定休(要確認)
- 駐車場:無料(乗用車約20台・大型バス2台)・年末年始などは河川敷に「臨時駐車場100台あり」
- アクセス:【公共交通機関】「JR紀勢本線」の「新宮駅」より徒歩1.3km(約15分)
「近鉄」の「大和八木駅」にある「八木駅(南)」バス停留所から「八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)」に乗車して「権現前」の停留所で下車して250m(約3分)
「近鉄御所線」の「近鉄御所駅」及び「JR和歌山線」の「御所駅」から「八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)」に乗車して「権現前」の停留所で下車して250m(約3分)
「JR和歌山線」の「五条駅」から「八木新宮特急バス(特急301系統新宮行き)」に乗車して「権現前」の停留所で下車して250m(約3分)
【お車】「奈良県方面」からですと「南阪奈道路」の「葛城IC」を降りてそのまま「国道24号線(大和高田バイパス)」を走り「新堂ランプ出口」を降りて右車線を走り「新堂ランプ」の交差点を右折したあとまた右車線を走り「京奈和自動車道(無料区間)」を走り進め「五條IC」を降りてすぐある「五條インターチェンジ前」の交差点を右折して「国道310号線」に入り「国道168号線」を経由して約126kmほど走り進めた先の「橋本」の交差点を左折して「国道42号線(熊野街道)」に入り少し走り進めた先の「速玉大社前」の交差点を左折して走り進めると右手側に「朱色下馬橋」があり「駐車場」の看板に従って右斜めの道を進めば右手側に「熊野速玉大社」の「駐車場」があります147km(3時間)
「愛知県方面」からですと「名阪国道」を走り進めて「天理IC」より「西名阪自動車道」に入りその先の「郡山下ッ道JCT」の出口より「京奈和自動車道(無料区間)」に入りそのまま走り進めて「五條IC」を降りてすぐある「五條インターチェンジ前」の交差点を右折して「国道310号線」に入ってからは先程と同じです「郡山下ッ道JCT」からは158km(約3時間15分)
「三重県方面」からですと「熊野尾鷲道路」の「熊野大泊IC」から「国道42号線(熊野街道)」の七里御浜沿いを新宮方面へ走り「速玉大社前」の交差点を右折してからは先程と同じです23.4km(約30分)
「和歌山方面」からですと「紀勢自動車道(無料区間)」の「上富田IC」を降りてすぐの信号を右折して「国道42号線(熊野街道)」をしばらく走り「岩崎」の信号を左折して「国道311号線」となる「朝来街道」から「熊野街道」を経由し突き当りとなる「本宮」の信号を右折して「国道168号線」に入り道なりに少し走り進めた先の「橋本」の交差点を左折して「国道42号線(熊野街道)」に入ってからは先程と同じです84km(約1時間45分)
最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。
「熊野速玉大社」は「世界遺産」に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつとなるのですが、創建2000年の歴史が伝わつており、全国に約4000社ある「熊野神社」の総本宮となります。
境内の御神木の「梛」も見ごたえ十分です。
「甦りの地」となる「熊野速玉大社」を一度訪れて、ご自身の目で、由緒ある歴史をご堪能下さい!
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