今回紹介するのは、愛知県豊田市松平町赤原に位置する集落の「松平郷」にある「徳川家康公」と、松平家の始祖となる「松平親氏公」を、お祀りする神社の「松平東照宮」です。
「松平郷」は、三河国の戦国大名から江戸幕府の将軍家へとのぼり詰めた「松平氏・徳川氏」の、発祥地の郷となります。
また、平成六年に松平氏の「居館」となる「松平東照宮」の境内を「松平氏館跡」として「松平城跡」及び「大給城跡」さらに「高月院」の4か所が、初期松平氏の状況をよく伝えていることから、一括して「松平氏遺跡」として、国が指定する「史跡」となりました。
そんな中で、今回紹介する「松平東照宮」の敷地は、かつては松平氏の屋敷があったところでもあり「在原信盛」が掘ったと言われている、松平氏が代々産湯として使った「産湯の井戸跡」があるのですが、不老長寿をはじめ、安産に対する霊験あらたかな御神水として、訪れた参拝者に授与されています。
また「松平東照宮」に現存する「水濠」及び「石垣」は、松平家の九代当主「松平尚栄(まつだいら なおよし)」によって「関ケ原の合戦」のあと、築かれと言われています。
「松平東照宮」は、創建当初には「八幡宮」と称して、松平家の「屋敷神」でしたが、1617年に「徳川家康公」が「後水尾天皇」から死後に「東照大権現」と、神号の勅諡(ちよくし)を受けたことで、1619年に「久能山東照宮」より「徳川家康公」の御分霊を勧請して合祀したのですが、その後1965年になって、松平家の始祖「徳川親氏公」を合祀しました。
長きに渡り「松平の権現様」や「松平の東照宮」と、親しみを込めて呼ばれており「立身出世の神様」をはじめ「政治の守神・安産の神様・魔除けの神様」として、広く篤い崇敬を受けています。
「松平東照宮」の境内には「松平郷館」があり「松平親氏公坐像」をはじめ、徳川将軍家の祖先となる、松平家をしのぶ歴史的な資料が、数多く残されています。
近くには菩提寺となる「高月院」があり「松平東照宮」から高月院にかけての2ヘクタールが、歴史と自然の里「松平郷園地」として整備され、園地の入口には、松平八代を象徴する七対の石柱と、初代「松平親氏公」の銅像が設置されています。
そんな「松平郷」の「松平東照宮」の紹介となります。
準備が整いましたら「松平東照宮」の、散策スタートです。
松平郷・松平東照宮~見どころ紹介【アクセス・駐車場・御朱印】
今回は、愛知県豊田市松平町赤原に位置する「松平郷」に向けて車を走らせます。
「松平郷」は「松平氏・徳川氏」の、発祥地の郷となり、岡崎市と足助を結ぶ、足助街道の九久平から東にある、山々に抱かれた自然豊かな小さな集落となり「徳川家康公」と、松平家の始祖となる「松平親氏公」を、お祀りする神社の「松平東照宮」があります。
ここでは、そんな「松平東照宮」にのみ照準を合わせて、紹介したいと思います。
まず初めに「松平郷」に鎮座する「松平東照宮」への「アクセス」と「駐車場」に関して、簡単に紹介しておきます。
松平東照宮へのアクセスはマイカーがお勧めです
「松平東照宮」への「アクセス」に関しては「マイカー」が、お勧めとなりますが「公共交通機関」を利用しても、行くことはできます。
まず初めに「公共交通機関」を、利用して行く場合ですが「最寄り駅」となるのが「名鉄三河線」の「豊田市駅」となるのですが、徒歩で向かえる距離では無いので「バス」を利用することになり「とよたおいでんバス10(下山・豊田線)」に乗車して「松平郷」の、バス停留所で下車します。
あとは、徒歩で500メートルほどですので、約7分で行くことができます。
続いては「マイカー」を、利用する場合ですが「東海環状自動車道」の「豊田松平IC」を降りるのですが、降りたら「国道301号線」に入り、そのまま走り進めた先の突き当りとなる「松平橋東」の信号を右折します。
少し走り進めた先にある「九久平町築場」の信号を左折したら、約5kmぐらい道なりに走り進めた先にある「松平氏発祥の地・松平東照宮・高月院」の案内看板に従って左折したあとは、500メートルほど走り進めた先に「松平東照宮」の「駐車場」があります。
「豊田松平IC」からは、7.4kmほどですので、約15分で行くことができます。
最後に「駐車場」に関してですが「松平東照宮」には「第1駐車場」と「第2駐車場」の、2か所の「無料駐車場」が用意されています。
「第1駐車場」に関しては「松平東照宮」のすぐ横に隣接していますので、まずはそちらに向かうのが良いかと思います。
2つの「駐車場」を合わせた収容台数に関しては「普通車70台」と「観光バス5台」がありますので、よほどのことが無い限り「満車」になることは無いかと思います。
今回は「マイカー」の利用をお勧めしましたが「バス」を利用しなければいけない点はありますが「公共交通機関」を利用しても、比較的気軽に訪れることができるかと思います。
以上が「松平東照宮」への「アクセス」と「駐車場」に関する紹介となります。
見初めの井戸は縁結びのパワースポット
車を駐車したところで、早速にも散策を進めたいと思いますが「第1駐車場」に隣接するように「まつり広場」があり、その一角に白く綺麗な建物があるのですが、これは「松平郷亭」と称される「無料休憩所」となっています。
見どころ満載の建物内には「トイレ」をはじめとして、各種パンフレットが置かれており、松平地区に関するものだけではなく、色々な観光パンフレットやイベントのお知らせなどが充実していますので、まずは立ち寄って「情報をGET!」するのが、良いのではないかと思います。
所狭しと置かれた見どころの中には、手書きで簡単に「松平家」の系譜が作成されたものがあり「豊臣家」を滅ぼし、天下人としての立場を確立した「徳川家康公」に関して見てみると、松平宗家の9代目となっていました。
また、手作りで「イケメン化・美少女化」された「松平親氏公」と「水姫」の「壁ドン」している「顔出しパネル」が置かれているのですが、描かれている二人の顔がかなり近いので、当然パネル裏での二人の顔も近くなり、ちょっと気まずい感じになりますが、是非お楽しみください!
さて「松平親氏公」は、松平家の始祖となるのですが「水姫は?」と言うと「後宇多天皇」に仕えた、公家の「在原信盛」の娘となります。
「松平親氏公」は当時、足利の軍勢に敗れ、その後の追捕を避けるために父「有親」と共に、相模国の時宗総本山「清浄光寺」に出家し「徳阿弥(とくあみ)」と、称していたのですが、ある日「松平東照宮」の前にある、楓の木と井戸がある場所で「徳阿弥」が、楓の木に傘をかけて、あやめの花に見とれていたと言います。
そこへ「水姫」が現われ、一輪のあやめの花を添えて、水を差し出したと言い、それが縁で「徳阿弥」は「水姫」と結婚し、還俗して「松平親氏」と名乗ったのですが、それが松平氏の起こりと言うことです。
上記写真のように「松平東照宮」の出入口より、約150メートルほど離れた場所に「井戸」があり「見初めの井戸」と称されています。
二人が結ばれることになったあと、恋愛が自由ではない時代にも拘わらず、多くの若い男女が「見初めの井戸」によって、結ばれたと言われ、今ではこの「見初めの井戸」は「恋の見初めスポット」として「縁結び」のパワースポットとして、良縁を切に願う多くの方が、霊験あらたかなご利益を授かるため訪れます。
但し、この「見初めの井戸」は「観光用」として、新たに復元したもとなり、言い伝えが残る「見初めの井戸」に関しては、昭和七年に起きた水害によって、土砂で埋まってしまったと言います。
本来は「松平東照宮」の、正面にある水路脇に「見初めの井戸」はありました。
「良縁」を求める方は、是非立ち寄ってみてください!
松平氏遺跡として国の史跡に指定!
まず初めに、境内の外の紹介になりましたが、早速にも境内に入りたいと思うのですが「松平郷亭」がある「まつり広場」より、一旦外に出て、隣接する「松平東照宮」の境内へ向かうのですが、左手側に目を向ければ「松平東照宮」の周りが、堀で囲まれているのを見ることができます。
「松平東照宮」に現存する「水濠」及び「石垣」は「松平太郎左衛門家」の、九代当主「松平尚栄(まつだいら なおよし)」によって「関ケ原の合戦」のあとの、江戸時代に築かれと言われています。
池には「錦鯉」が、たくさん泳ぐ姿があるのですが、平成5年に「全日本愛鱗会」から寄贈されたものです。
こう言った場合、手荷物の中を探り、何か「餌(えさ)」になるようなものを与えたくなるものですが「決められたエサ以外には与えないで下さい!」と言うことですので、まずは「社務所」に向かって、販売されている「餌」を買って、与えるようにして下さい。
また「鯉」は、冷血動物と言うこともあり、水温と自分の体温が同じになるので「冬期」で、水温が零度近くになると、整理活動が停止し、餌を与えても受けつけることが無いので「餌」を与えないそうですので、そんな時期に訪れた場合は「餌やり」に関しては、楽しむことができません!
と、言っているあいだにも、参道へと入るのですが、しめ縄の掛けられた「一の鳥居」があり、その奥にはすぐに「本殿」があります。
「一の鳥居」の左手側には「松平氏発跡地碑」が建てられています。
平成六年に松平氏の「居館」となる「松平東照宮」の境内を「松平氏館跡」として「松平城跡」及び「大給城跡」さらに「高月院」の4か所が、初期の松平氏の状況をよく伝えていることから、一括して「松平氏遺跡」として、国の指定する「史跡」となりました。
そんな、見どころのひとつとなる「松平氏発跡地碑」を横目に見ながら「一の鳥居」をくぐり抜けると、すぐ正面に「本殿」があり、右手側に見どころのひとつ「松平郷館」があります。
「松平郷館」は「入場無料」となる資料館なのですが「松平親氏公坐像」をはじめ、徳川将軍家の祖先となる「松平家」を偲ぶ、軍配や軍扇をはじめ、具足や鞍さらには火縄銃など「松平家」から「徳川家」までの、歴史的にも貴重な品々が、展示公開されています。
「松平郷館」の営業時間は、朝の10時00分~夕方15時00分までとなり、定休日に関しては、水曜日となります。(但し年末年始は営業)
「松平東照宮」は、創建当初には「八幡宮」と称して、松平家の「屋敷神」でしたが、1617年に「徳川家康公」が「後水尾天皇」から死後に「東照大権現」と、神号の勅諡(ちよくし)を受けたことで、1619年に「久能山東照宮」より「徳川家康公」の御分霊を勧請して合祀したのですが、その後1965年になって、松平家の始祖「徳川親氏公」を合祀しました。
長きに渡り「松平の権現様」や「松平の東照宮」と、親しみを込めて呼ばれており「立身出世の神様」をはじめ「政治の守神・安産の神様・魔除けの神様」として、広く篤い崇敬を受けています。
「本殿」の前にある「拝殿」にも見どころがあり、拝観料として200円必要ですが、見事な「天井画」を見ることができるのですが、残念なことに「写真撮影禁止!」となっているので、写真の素材はありませんが、かなり見ごたえがあります。
豊田市在住の漆芸家「安藤則義氏」によって描かれ、納められた「天井画」は、徳川家康公没後400年の記念事業として進められてきたと言うことですが、55㎝四方の108枚の杉の板がはめ込まれているのですが、2年の歳月をかけて描かれた草花の絵に関しては、ここ「松平郷園地」で見られる草花が描かれています。
1つ1つが、とても味わい深い草花の絵となり、拝観料もリーズナブルですので、訪れた際は是非ご観賞ください!
松平家の代々が用いた産湯の井戸
「本殿」にて参詣を済ませると、右手側より境内の奥に進むことができるのですが「松平東照宮」の、一番の見どころとなる「産湯の井戸跡」に、向かいたいと思います。
右手側に「松平郷館」を見ながら、玉砂利の敷かれた参道を進み、少しの石階段を登った先に小さな唐門があり、中へと入ります。
緑豊かな木々に囲まれた先に「松平東照宮」の境内地として北東の方位となる鬼門に祀られているのが「氏神・産八幡の宮」と言う「奥宮」となるのですが、すぐ前に「産湯の井戸跡」があります。
元「松平家の館跡」となる「松平東照宮」には、7つの井戸が存在したのですが、そのうちで最も古く、この場所に館を築いた当初に造られたのが「産湯の井戸」となるのですが「在原信盛」によって掘られた「産湯の井戸」では「松平親氏公」の子にあたる「信広」をはじめ「泰親」の子となる「信光」の頃から、代々男子出産時の産湯に使った井戸と言われています。
天文11年となる1542年12月26日に、岡崎城で誕生した「松平元康(後の徳川家康)」の時には「松平太郎左衛門家」の7代当主「親長」が、この井戸で汲んだ清水を竹筒に詰めて、早馬にて岡崎城へ届け「元康」の産湯として、用いたと言う記録も残っていると言います。
「産湯の井戸」を石畳で囲い、石段を降りて水を汲む形となるのですが、石板の蓋のある井戸自体が、当時では大変珍しい形であると言うことです。
こんこんと湧き上がる水は、とても清らかな水となるのですが、この地を「井戸の洞」とも呼び、井戸を掘った際に尊体(石)を得て、氏神としてお祀りし「水神八幡」や「うぶの八幡」等の異名もあります。
江戸時代には、将軍御代替の際に、諸国巡検使の巡検地として、貴重な扱いをされたと言います。
そんな「産湯の井戸」の清らかな水は、御神水となり「不老長寿」または「安産」するようにとの願いから、遠くより訪れ拝受する人が多いと言い「社務所」にて販売されています。
「産湯の井戸」の御神水は「小・100円」で「大・500円」を納めることで頂けますので、霊験あらたかな御利益を授かりたい方は「社務所」にて、お買い求めください!
さて、かつては7つの「井戸」があったと言うことですが、すぐ近くに「二の井戸」と「三の井戸」があります。
「二の井戸」と「三の井戸」は、注連縄に紙垂が張られた神域となって近づけませんが、恐らく現存するのは「産湯の井戸」と合わせて、3つの井戸であると思われるのですが、最初に紹介した「観光用」として、新たに復元された「見初めの井戸」に関しては、昭和七年に起きた水害によって土砂で埋まってしまったと言われていますので、7つ内の残りの3つの井戸に関しては、情報が無いため分かり兼ねます。
そんな「井戸」が「松平東照宮」の見どころでもありますので、お見逃しの無いように・・
以上が、境内の見どころとなるのですが「松平東照宮」は、大変にこじんまりとした神社となるので、ざっと境内を回るだけでしたら、30分もあれば十分に回れるかと思います。
松平東照宮の御朱印です!
最後に「松平東照宮」の参詣が、すべて終了した証として「御朱印」を頂きに行きたいと思いますが「本殿」の左隣にある「社務所」へと向かいます。
今回頂いた「御朱印」は「松平東照宮」の「御朱印」と、近くの「菩提寺」となる「高月院」の御朱印ですが「高月院」に関しては「松平東照宮」では頂けませんので「高月院」を、お参りして頂くことになります。
尚「御朱印」に関しては、基本的には、ひとつにつき300円を納めれば、誰でも頂くことができます。
「御朱印」に関しては、寺社で参拝しなければ頂けないと言うものではなく「仏像鑑賞」や「パワースポット巡り」など、別な楽しみも兼ねた証として頂くと言う考え方もあります。
寺社を訪ねるだけでなく「御朱印集め」は「何を書くのか?」や「どんなハンコ(朱印)を押すのか?」さらに「字の良し悪し」などを、楽しみのひとつとして収集するのも良いものですよ。
管理人は、訪れた寺社仏閣では必ず「御朱印」を頂いているので、正確に数えたことはないですが、知らず知らずの間に「1000」に手が届きそうなくらいになっています。
「御朱印集め」を、始めようとお考えの方には、是非お勧めしたいと思います。
尚、近年では「御朱印」を「スタンプラリー」のように、参拝もしないで頂きに行く方が増えていると言うことですが、最低限のマナーとしては、参拝が終了してから頂くことをお勧めしておきます。
松平郷のアクセス及び駐車場情報!
【基本情報】
*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。
「松平郷」松平東照宮
- 住所:〒444-2202愛知県豊田市松平町赤原9-1(松平郷)
- 住所:〒444-2202愛知県豊田市松平町赤原13(松平東照宮)
- 電話&FAX:0565-58-1629(松平郷ふるさとづくり委員会事務局)
- 電話&FAX:0565-58-1621(松平東照宮社務所)
- 電話:0565-58-3033
- 時間:朝9時00分~夕方17時00分まで
- 拝観料:参拝無料
- 松平郷館:入館無料(朝10時00分~夕方15時00分まで)
*料金は変更になる可能性がありますので公式サイトにてご確認ください - 定休日:
- 定休日:松平郷館は毎週水曜日(年末年始は営業)
- 駐車場:無料「第1駐車場・第2駐車場(普通車70台・観光バス5台)」
*朝9時00分~夕方17時00分まで利用できます。 - アクセス:【公共交通機関】「名鉄三河線」の「豊田市駅」を降りて「とよたおいでんバス10(下山・豊田線)」に乗車して「松平郷」のバス停留所で下車して徒歩500m(約7分)
【お車】「東海環状自動車道」の「豊田松平IC」を降りて「国道301号線」に入ったらそのまま走り進めた先の突き当りの「松平橋東」の信号を右折して少し走り進めた先にある「九久平町築場」の信号を左折したら約5kmぐらい道なりに走り進めた先にある「松平氏発祥の地・松平東照宮・高月院」の案内看板に従って左折し500m走り進めた先に「松平東照宮」の「駐車場」があります7.4km(約15分)
最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。
「松平東照宮」は、大変にこじんまりとした境内となりますが、肌で感じられるパワーが、並々ならぬほど溢れています。
「縁結び」のパワースポットとして「良縁」を切に願う方が多く訪れると言いますので、是非一度訪れて、霊験あらたかな御利益を授かってください!
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