今回紹介するのは、三重県鈴鹿市寺家にある「子安観音寺」です。
「子安観音寺」は「聖武天皇」の勅命を受けた「藤原不比等」が建立したと伝えられる、1250年以上の歴史が残る由緒ある寺院となります。
室町時代には「正親町天皇」の綸旨を賜って、勅願寺として寺領を授かり、江戸時代には、和歌山藩の庇護を受けて、伽藍なども整備されたのですが、昭和21年になって諸堂を焼失してしまいましたが、元禄十六年(1703年)に建立したと言われている仁王門だけは残ったと言います。
「子安観音寺」は、高野山真言宗の名刹で、本尊となる「白衣観世音菩薩」は、その昔、寺からほど近い鼓ヶ浦の海の中から、鼓に乗って出現したと言われ、安産・子育て・子授かりに関して霊験あらたかな古い寺院として「白子の子安観音」と崇められて、地元の方を中心に広く親しまれています。
境内には、四季を通じて花が絶えないと言う、不思議な一本桜の名桜「白子不断桜」があり、大正12年3月7日には、国の天然記念物に指定されたのですが、縁起によれば、天平宝宇年中(757~65年)に、雷火で焼失した伽藍跡に芽生えたと伝えられています。
「白子不断桜」の樹齢などを含めた詳細は不明ですが「紹巴富士見道記」によれば、推定樹齢450年以上と言われるのですが「子安観音寺」の伝承によれば、樹齢1250年とも伝わる名桜となります。
また、安産祈願に訪れると、お守り等と一緒に頂ける「不断桜の葉」は、その裏表で、生まれてくる赤ちゃんが、男の子か女の子かを占います。
そんな、天皇の勅命を受ける由緒ある「子安観音寺」の紹介となります。
準備が整いましたら「子安観音寺」の、散策スタートです!
子安観音寺(鈴鹿市)【アクセス・駐車場・御朱印】見どころ紹介
近畿圏内では、桜最盛期を迎えている本日は、朝一番より三重県を訪れており「桜の名所」としても名高い、鈴鹿市寺家にある「子安観音寺」に向けて車を走らせています。
「子安観音寺」は「聖武天皇」の勅命を受けた「藤原不比等」が建立したと伝えられる、1250年以上の歴史が残る由緒ある寺院となるのですが、本尊となる「白衣観世音菩薩」は、安産・子育て・子授かりに関して、霊験あらたかな御利益があるとして「白子の子安観音」と崇められて、地元の方を中心に広く親しまれています。
そんなことから、三重県では、安産祈願や戌の日のお参りとなると、真っ先に「白子の子安観音」が頭に浮かぶほどの人気があります。
まず初めに「子安観音寺」を訪れるための「アクセス」と「駐車場」に関する紹介を、簡単にしておきます。
子安観音寺へのアクセスは良好です!
「子安観音寺」へのアクセスに関しては「公共交通機関」を利用しても「マイカー」を利用しても、比較的簡単に行くことができます。
まず初めに「公共交通機関」で訪れる場合ですが、最寄り駅となるのは「近鉄名古屋線」の「鼓ヶ浦駅」となります。
「鼓ヶ浦駅」を出てからは、南西方面に「子安橋」を渡って、170mほど歩き進めるだけで、右手側に重厚感のある山門が見えてきますので、簡単に行くことができます。
従って、駅を出てからは、3分もあれば行くことができる気軽さです!
続いては「マイカー」を利用して行く場合ですが、まずは「愛知県方面」からですと「東名阪自動車道」の「亀山IC」を降りることになります。
料金所を出たら、左車線に移動して「国道1号線(亀山バイパス)亀山方面」へと進みます。
少し先の「新栄町」の交差点を右折して「国道306号線」に入ったら、しばらくのあいだ南下するように道なりに走り進めて行きます。
「中瀬」の交差点を左折して「国道23号線」に入ったら、少し走り進めた先にある「寺家7」の交差点を右折します。
あとは、道なりに300mほど走り進めれば、左手側に境内と隣接する「駐車場」があります。
「亀山IC」から25.5kmほどですので、約35分で行くことができます。
「奈良県方面」からですと「名阪国道」の終点となる「亀山IC」を、降りることになります。
少し走り進めた先にある「国道1号線(亀山バイパス)四日市・鈴鹿方面」の案内看板に従って走り進めて行き、その先にある「新栄町」の交差点を右折します。
右折してからは、上記と同じルートで走り進めるだけです。
「亀山IC」から27kmほどですので、こちらからでも35分で行くことができます。
「三重県方面」からですと「伊勢自動車道」の「伊勢関IC」を降りることになります。
降りたら右車線を走り「国道1号線(亀山バイパス)亀山・名古屋方面」の案内看板に従って走り進めて行き「新栄町」の交差点を右折したら、あとは上記と同じルートで走り進めるだけです。
「伊勢関IC」からでも28.4kmほどですので、約40分で行くことができます。
最後に「駐車場」に関してですが「子安観音寺」には、お寺の前にある幼稚園との共用の駐車場と、境内に隣接している駐車場、さらに300mほど離れますが、大型車なども駐車可能な駐車場が用意されています。
基本的には、幼稚園と共用の駐車場と境内にある駐車場だけで、約70台ほど駐車できるスペースがありますので、大丈夫ではないかと思いますが、繁忙期などで満車の場合には、300mほど離れた駐車場を利用すれば良いかと思います。
駐車場は、すべて「無料」となり、3ヶ所の駐車場を合わせると、合計で270台ほどは駐車可能ではないかと思います。
注意点としまして「子安観音寺」の周辺は、狭い道が多くなりますので、十分に注意して走り進めることをお勧めしておきます。
以上が「子安観音寺」を訪れるための「アクセス」と「駐車場」の紹介となります。
三重県が指定する有形文化財の仁王門
今回は、三重県にて桜のお花見を楽しむため、朝一番より「子安観音寺」に向けて車を走らせましたが、天候には恵まれず、パラパラ小雨が降っている中での訪問となります。
拝観時間前の、8時45分頃の到着となりましたが、境内に隣接する駐車場の出入口となる南門が開放されていましたので、少し早くはなりますが、車を駐車したところで、早速にも境内を散策するのですが、雨が降っていることもあり先客者の姿は一切無く、閑散とした境内となります。
まず初めに「子安観音寺」の玄関口となる「仁王門」すなわち「山門」へと移動します。
1703年(元禄16年)に建立されたと言う「子安観音寺」の山門は、江戸時代の楼門形式の典型とも言えるのですが、総高12.73mで、軒高7.14mとなり、桁行7.42mで梁間12.37mと言う、重厚感のある堂々とした構えとなります。
本瓦葺の入母屋造りで、三間一戸の柱総円柱造りの楼門となるのですが、上層及び腰組共に、三手先で尾柱を用いて、上層の中央部に桟唐戸(さんからど)を配置し、下層部の正面の両脇に金剛柵を設けて、鎌倉様式の「金剛力士像」が、2体鎮座する形となります。
「仁王像」の表情ですが「阿形像(あぎょうぞう)」は、怒りの表情を顕わにし「吽形像(うんぎょうぞう)」は、怒りを内に秘めた表情に表すものが多いのですが、こうした造形は「寺院内に仏敵が入り込むのを防ぐ守護神!」として、それぞれの性格を表していると言うことです。
そんな「仁王門」は、1972年(昭和47年)4月1日になって、楼上に掛けられている「白子山」の扁額と共に、三重県が指定する有形文化財となりました。
伊勢湾を正面に眺めるようにして建つ「子安観音寺」は、昭和21年に起きた火災によって、諸堂を焼失してしまいましたが「仁王門」だけは残ったと言います。
永年の潮風や風雪による腐朽は激しく、昭和57年5月に解体修理を行ったことで、当時の姿が甦ったと言います。
「白子山」の扁額に関しては、江戸中期に「蘊謙戒琬(うんけん かいわん)」の招きにより渡来した禅僧「黄檗悦山」が揮毫(きごう)した書となります。
「悦山」は、1705年に黄檗山の代住職となり、黄檗文化における「書」の最も有名な担い手で、その作品は、中国や日本のみならず、世界中でも高い評価を受けています。
また、山門に取り付けられている鬼瓦には、1702年(元禄15年)勢陽安芸郡野町瓦屋「藤井新左衛門」の銘が刻まれていたと言い、見どころのひとつになっています。
子安観音寺の本堂と銅灯籠
そんな「仁王門」をくぐり抜けて境内に入ると、正面には本堂があり、その手前には、精巧な作りのレリーフが施された「銅燈籠」が配置されています。
「子安観音寺」は「聖武天皇」の勅命を受けた「藤原不比等」が建立したと伝えられる、1250年以上の歴史が残る由緒ある寺院となります。
室町時代には「正親町天皇」の綸旨を賜って、勅願寺として寺領を授かり、江戸時代には、和歌山藩の庇護を受けて、伽藍なども整備されたのですが、昭和21年になって諸堂を焼失してしまいましたが、元禄十六年(1703年)に建立したと言われている仁王門だけは残ったと言います。
「子安観音寺」は、高野山真言宗の名刹で、本尊となる「白衣観世音菩薩」は、寺伝によると「伊勢の浦に時々鼓の音あり、怪しきままに網を下しけるに、鼓に乗り、観世音の尊像上らせ給ふ」とあり、その昔、寺からほど近い鼓ヶ浦の海の中から、鼓に乗って出現したと言われ、安産・子育て・子授かりに関して霊験あらたかな古い寺院として「白子の子安観音」と崇められて、地元の方を中心に広く親しまれています。
以来、深い帰依を受け、正親町天皇からは「御本尊は殊に大悲深く、難産のうれひを救ひ、子孫長久を守らせ給ふ、ゆへに子安観音とあがむ」との綸旨も賜る、由緒ある寺院です。
境内の中心に配置されている「銅燈籠」には、1666年となる「冶工津之住前但馬守次男 辻三上衛門尉藤原玄種 寛文六年丙午暦十二月吉祥日」に造られたことを示す銘があります。
「辻越後玄種」は、津市釜屋町の鋳工として、江戸時代に名声を博した、辻越後の但馬家の祖「辻但馬守吉種」の次男で、著名な鋳物師となります
総高2.5mで、基礎幅は1.1mとなるのですが、上部の宝珠周辺の火焔を除いて、笠の頂上に載る玉ねぎ状の宝珠から、傘・火袋・中台・竿・反り花など、ほぼ完全な状態で残っています。
個別に鋳造して組み合わせた貴重な「銅灯籠」となるため、先程の「仁王門」と同じく、1972年(昭和47年)4月1日に、三重県が指定する有形文化財となります。
知性と感性を授けて頂けるように祈念して建てられた「智慧の塔」
中央に配置された「銅灯籠」より左手側に目を向けると「水屋」があり、右手側に目を向けると「子安観音寺」の見どころのひとつとなる、彩り鮮やかな「三重塔」があります。
平成10年11月に、鎌倉時代の建築様式で完成した、純木造の「三重塔」となるのですが、この塔は、観音菩薩の功徳をうけて、人々の安泰と子孫繁栄を祈念して建立されました。
塔内には、金剛界大日如来をはじめ、文殊菩薩・普賢菩薩の三尊をお祀りし、人生や子育てに大切な、知性と感性を授かることができると言うことから「智慧の塔」と称され、意願成就、学業成就などの信仰が深まっています。
四季を通じて花が絶えない一本桜の名桜「白子不断桜」
最後の見どころは、本堂の右手側の一角に植えられている「沙羅の樹」と、左手側にある、少し小高くなった石垣の上に立ち尽くす一本桜の名桜「白子不断桜」です。
「沙羅の樹」は、お釈迦様が入滅された時に、そのそばに二本の沙羅が生えていたと言う伝説から「沙羅双樹」と言われています。
平家物語の冒頭文の「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす」の句でも知られている樹です。
「沙羅双樹」の花は、朝咲いて一晩で散ってしまうと言い、それが「はかなさ」の象徴としてもてはやされてきました。
この世は無常であり、勢いの盛んな者もついには衰え滅びると言うことですが、それだけでなく、沙羅の花は無常のみではなく、与えられた一日だけの生命を、精一杯咲くことも、同時に教えてくれているようにも思います。
「沙羅双樹」は、5~7月頃になると、枝の先端に白やクリーム色の小さな花を咲かせると言いますが、寒さに非常に弱いことから、基本的には、日本で育てることはできないため、植物園などの温室でしか見ることができません。
開花すること自体がとても珍しいのですが、開花すればジャスミンのような香りがするとされています。
さて「子安観音寺」の「沙羅の樹」はどうなのでしょうか?
本日は桜のシーズンで、確認することができませんが、初夏に訪れた際は、開花しているかどうか、そっと覗いてみて下さい!
もうひとつの見どころの花は「白子不断桜」ですが、ちょっと不思議な一本桜の名桜となり、里桜の一種で「一年中、花を咲かせる!」と言います。
「子安観音寺」の縁起によれば、天平宝宇年中(757~65年)に起きた「雷火によって焼失した伽藍跡に芽生えた!」と伝えられており、本尊「白衣観世音菩薩の霊験によって咲く!」として尊ばれています。
昭和21年には、火災によって損傷しましたが、昔の株から新たな芽を出して、再び満開に花びらを咲かせているのですが、大正12年3月7日には、国の天然記念物として指定を受けています。
樹齢などを含めた、はっきりとした詳細は不明となるのですが「紹巴富士見道記」によれば、推定樹齢450年以上と言われるほか「子安観音寺」の伝承によれば、樹齢1250年とも伝わる名桜です。
今回は、紅葉した葉っぱがたくさん付いている、見頃を過ぎた「白子不断桜」ですが、一重で5弁の白い花びらを咲かせており、色のコントラストは、見ごたえ十分となります。
白子不断桜に関する記事は後ほどコチラをご覧下さい!
白子不断桜【アクセス・駐車場・御朱印】秋から春に咲く名桜
今回紹介するのは、三重県鈴鹿市寺家にある「子安観音寺」の境内に立ち尽くす、一本桜の名桜「白子不断桜」です。 「子安観音寺」は「聖武天皇」の勅命を受けた「藤原不比等」が建立したと伝えられる、1250年以上の歴史が残る、由緒ある寺院となります。 「子安観音寺」は、高野山真言宗の名刹で、本尊となる「白衣観 ...
時の称德帝が「ちかひあり いつも桜の花なれば みる人さへや ときはなるべし」と詠まれ、以後、深い帰依を受け、御霊木となりました。
今も厳寒の中、白く健気な花をつけ、春の満開の時期には、参拝者もひときわ多くなります。
「子安観音寺」で行う安産祈願の御守には、古くからこの桜の葉が封入されています。
受付を終えると、安産御守をはじめ、不断桜の葉、祈祷札、出産時に飲む御供米、さらに出産後に炊いて食べる加持乳米を頂くことができます。
封筒の中に入れられている「不断桜の葉」は、開けてみて、その裏表で生まれてくる赤ちゃんが、男の子か女の子かを占うことができると言い、日々多くの方が訪れると言います。
個人が、直接ご祈祷を受けることはできませんが「出産予定日まで毎日ご祈祷してくれる!」と言う方法ですので、受付を行うだけで終了となるのですが、受付時に腹帯を持っていくと「御朱印」を押して頂けると言います。
以上で「子安観音寺」の散策が、全て終了となります。
子安観音寺の御朱印です!
一通り境内の参拝が終わりましたので、最後に「子安観音寺」の「御朱印」を頂くため「納経所」へと向かいます。
尚「御朱印」に関しては、基本的には、ひとつにつき300円を納めれば、誰でも頂くことができます。
「御朱印」に関しては、寺社で参拝しなければ頂けないと言うものではなく「仏像鑑賞」や「パワースポット巡り」など、別な楽しみも兼ねた証として頂くと言う考え方もあります。
寺社を訪ねるだけでなく「御朱印集め」は「何を書くのか?」や「どんなハンコ(朱印)を押すのか?」さらに「字の良し悪し」などを、楽しみのひとつとして収集するのも良いものですよ。
管理人は、訪れた寺社仏閣では必ず「御朱印」を頂いているので、正確に数えたことはないですが、知らず知らずの間に「1000」に手が届きそうなくらいになっています。
「御朱印集め」を、始めようとお考えの方には、是非お勧めしたいと思います。
尚、近年では「御朱印」を「スタンプラリー」のように、参拝もしないで頂きに行く方が増えていると言うことですが、最低限のマナーとしては、参拝が終了してから頂くことをお勧めしておきます。
子安観音寺のアクセス及び駐車場情報!
【基本情報】
*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。
「子安観音寺」
- 住所:〒510-0254三重県鈴鹿市寺家3-2-12
- 電話:059-386-0046・FAX:059-386-4167
- 時間:朝の9時00分~夕方の17時00分
- 定休日:年中無休
- 拝観料:境内散策無料
*歴史資料館は無料ですが事前予約が必要となります。 - 駐車場:無料(270台)
- アクセス:【公共交通機関】「近鉄名古屋線」の「鼓ヶ浦駅」から徒歩170m(約3分)
【お車】「愛知県方面」からは「東名阪自動車道」の「亀山IC」の料金所を出てから左車線の「亀山方面」を進み「国道1号線(亀山バイパス)」に入り少し先の「新栄町」の交差点を右折して「国道306号線」に入り南下するように道なりに走り進めて行き「中瀬」の交差点を左折して「国道23号線」に入りしばらく走り進めた先にある「寺家7」の交差点を右折してあとは道なりに300mほど走れば左手側に境内と隣接する「駐車場」があります25.5km(約35分)
「奈良県方面」からは「名阪国道」の「亀山IC」を降りて少し走り進めた先を「国道1号線(亀山バイパス)四日市・鈴鹿方面」へと進みしばらく走り進めた先にある「新栄町」の交差点を右折したらあとは上記と同じルートで走り進めるだけです27km(約35分)
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
「子安観音寺」は、1250年以上の歴史が残る由緒ある寺院で、安産・子育て・子授かりに関する、霊験あらたかな御利益を祈願することとができる「白子の子安観音」と崇められて、地元の方を中心に広く親しまれています。
県内屈指の「お花見スポット!」で、四季を通じて花が絶えないと言う、不思議な一本桜の名桜「白子不断桜」も見どころのひとつとなります。
アクセス面に関しても、非常に良くなっていますので、是非一度訪れてみて下さい!
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