今回紹介するのは、愛知県豊田市松平町寒ケ入に位置する「松平郷」にある、松平家の始祖「松平親氏公」の墓所となる「高月院」です。
「松平郷」は、三河国の戦国大名から江戸幕府の将軍家へとのぼり詰めた「松平氏・徳川氏」の、発祥地の郷となります。
また、平成六年に松平氏の「居館」となる「松平東照宮」の境内を「松平氏館跡」とし、墓所となる「高月院」及び「松平城跡」さらに「大給城跡」の4か所が、初期松平氏の状況をよく伝えていることから、一括して「松平氏遺跡」として、国が指定する「史跡」となりました。
そんな中で、今回紹介する「高月院」は、1367年に「足助重政」が、建立したと伝えられるのですが、建立当時の寺号は「寂静寺」と、称されていたのですが、 1377年に「松平親氏公」が、本尊となる阿弥陀仏をはじめ、堂塔を寄進してからは「高月院」と寺号を改め、それ以後からは、松平氏の「菩提寺」として、篤い信仰を受けています。
1602年には「徳川家康公」より、100石下賜されるなど、江戸幕府の保護を受けていたこともあり、山門と本堂に関しては「徳川家光公」の命により、1641年に建てられたものが現存しています。
「松平郷」の入口にあたる「松平東照宮」から「高月院」にかけての2ヘクタールが、歴史と自然の里「松平郷園地」として整備され、園地の入口には、松平八代を象徴する七対の石柱と、初代「松平親氏公」の銅像が設置されています。
境内の見どころとしては、初代「松平親氏公」及び、第二代「松平泰親公」の墓があるほか、第七代住職となる「存牛(ぞんぎゅう)」が「松平親忠公」の子であった関係で「親忠夫人」の墓も、並んで配されています。
そんな「高月院」の紹介となります。
準備が整いましたら「高月院」の、散策スタートです。
松平郷緑地・高月院~松平氏の墓所【アクセス・駐車場・御朱印】
今回は、愛知県豊田市松平町赤原に位置する「松平郷」に向けて車を走らせます。
「松平郷」は「松平氏・徳川氏」の、発祥地の郷となり、岡崎市と足助を結ぶ、足助街道の九久平から東にある山々に抱かれた、自然豊かな小さな集落となり「徳川家康公」と、松平家の始祖となる「松平親氏公」を、お祀りする「松平東照宮」があるのですが、その近くに「高月院」が「菩提寺」としてあります。
ここでは、そんな「高月院」を中心として、紹介を進めたいと思います。
まず初めに「高月院」への「アクセス」と「駐車場」に関して、簡単に紹介しておきます。
高月院へのアクセスはマイカーがお勧めです
「高月院」への「アクセス」に関しては「マイカー」がお勧めとなりますが「公共交通機関」を利用しても、行くことはできます。
まず初めに「公共交通機関」を、利用して行く場合ですが「最寄り駅」となるのが「名鉄三河線」の「豊田市駅」となるのですが、徒歩で向かえる距離では無いので「バス」を利用することになり「とよたおいでんバス10(下山・豊田線)」に乗車して「松平郷」の、バス停留所で下車します。
あとは、徒歩で1kmほどですので、約15分で行くことができます。
続いては「マイカー」を、利用する場合ですが「東海環状自動車道」の「豊田松平IC」を降りるのですが、降りたら「国道301号線」に入り、そのまま走り進めた先の突き当りとなる「松平橋東」の信号を右折します。
少し走り進めた先にある「九久平町築場」の信号を左折したら、約5kmぐらい道なりに走り進めた先にある「松平氏発祥の地・松平東照宮・高月院」の案内看板に従って左折したあとは、500メートルほど走り進めた先の左手側が「松平東照宮」の入口となるのですが、そこより少しだけ先に「高月院」と書かれた「案内看板」に従って右折すれば、あとは突き当りまで走り進めれば「高月院」の「駐車場」となります。
「豊田松平IC」からは、7.9kmほどですので、約15分で行くことができます。
最後に「駐車場」に関してですが「高月院」には、20台ほどの駐車スペースがある「無料駐車場」が用意されています。
直接「高月院」に行くのであれば、上記の「無料駐車場」で良いのですが、手前にある「松平東照宮」も、併せてお詣りするつもりでしたら、そちらにも「第1駐車場」と「第2駐車場」の2つの「無料駐車場」があるので、そちらに止めて歩いて行くのも良いかと思います。
「高月院」には、約20台分のスペースしかありませんが「松平東照宮」にある、2つの「駐車場」を合わせた収容台数に関しては「普通車70台」と「観光バス5台」がありますので、よほどのことが無い限り「満車」になることは無いかと思います。
今回は「マイカー」の利用をお勧めしましたが「バス」を利用しなければいけない点と、バス停から1kmほど歩かなければいけない点が、ちょっとした問題となりますが「公共交通機関」を利用しても、比較的気軽に訪れることはできるかと思います。
以上が「高月院」への「アクセス」と「駐車場」に関する紹介となります。
松平郷園地の見どころのひとつ松平親氏公の銅像!
さて、今回は「松平郷」に訪れたのですが、まず手始めに「松平東照宮」への参詣を済ませ、続いては「松平家・徳川家」の「菩提寺」となる「高月院」へと向かうのですが、距離で言うと300メートルほどで、道中には「松平郷園地」がありますので「マイカー」は、そのまま「松平東照宮」の「駐車場」に止めたまま、散策しながら向かいたいと思います。
もちろん直接「高月院」に向かえば、20台ほど止められる「駐車場」がありますので、ほぼ歩く必要なく境内に入ることも可能です!
「松平東照宮」の参道に立つ「一の鳥居」を出たところより、散策のスタートとなるのですが、まずは左手側に10メートル進んだ右手側にある「松平郷園地」の入口より中に入るのですが、すぐに十段ほどの石階段があり、その先に1体の銅像が立っているのが、目に入ります。
「銅像」までは、50メートルほどの整備された遊歩道が伸びており、両側には「松平八代」を象徴する、七対の石柱が立ち並んでいるのですが、その先に、初代「松平親氏公」の銅像が、設置されています。
「松平親氏公」の銅像の後方より「松平郷園地」の散策路が伸びていますが、一旦入口に戻り、すぐ隣の道路沿いを歩き進めます。
「松平郷」には、松平氏をしのぶ歴史的な資料や史跡が、数多く残されているのですが、その中のひとつとして「松平東照宮」から「高月院」にかけての2ヘクタールが、歴史と自然の里「松平郷園地」として整備されています。
松平郷園地のお食事処「天下茶屋」
道路沿いを歩けば「高月院」に至る、約250メートルほどの道に残る「室町塀」を観賞しながら、室町期の歴史景観の雰囲気を楽しむことができます。
ちょうど中間地点には、重厚感のある「冠木門(かぶきもん)」があり、これより先は、散策路を歩き進めたいと思います。
「冠木門」をくぐり中に入ると、一軒の「天下茶屋」と称される、武家屋敷風の休息所となる「お食事処」があり、温かい「うどん・そば」を中心としたお食事をはじめ、女性が喜ぶ「アイスクリーム・天下もち」などの、甘い物も楽しむことができます。
今回管理人は、お弁当を片手に訪れましたので、中に入ることはありませんでしたが、入口に置かれた「お品書き」を、一通り見ましたが、それなりの品数で、料金も意外とリーズナブルになっていましたので「お食事処」に関しての心配はありません!
また、各種団体さまの「昼食予約」もしているそうですので、詳しく知りたい方は「電話:0565-58-3725」にて、お聞きください!
あと「天下茶屋」は、朝10時00分から夕方16時00分までとなるほか、水曜日に関しては定休日となりますので、そのあたりはお気を付けください!
尚「松平郷」に入って、色々車で走りましたが、恐らくこの1軒しか、お食事できるお店は無かったようにも思います。
松平郷園地の見どころのひとつ見初めの井戸
さて「天下茶屋」の前には「松平郷園地」の見どころのひとつで「縁結び」のパワースポットとしても、大変人気がある「見初めの井戸」があります。
「松平親氏公」は、当時足利の軍勢に敗れ、その後の追捕を避けるために、父「有親(ありちか)」と共に、相模国の時宗総本山「清浄光寺」に出家し「徳阿弥(とくあみ)」と、称していたのですが、ある日「松平東照宮」の前にある、楓の木と井戸がある場所で「徳阿弥」が、楓の木に傘をかけて、あやめの花に見とれていたと言います。
そこへ「水姫」が現われ、一輪のあやめの花を添えて、水を差し出したと言い、それが縁で「徳阿弥」は「水姫」と結婚し、還俗して「松平親氏」と名乗ったのですが、それが松平氏の起こりと言うことです。
「水姫は?」と言うと「後宇多天皇」に仕えた、公家の「在原信盛」の娘となります。
二人が結ばれることになったあと、恋愛が自由ではない時代にも拘わらず、多くの若い男女が「見初めの井戸」によって、結ばれたと言われ、今ではこの「見初めの井戸」は「恋の見初めスポット」として「縁結び」のパワースポットとして、良縁を切に願う多くの方が、霊験あらたかなご利益を授かるため訪れます。
但し、この「見初めの井戸」は「観光用」として、新たに復元したもとなり、言い伝えが残る「見初めの井戸」に関しては、昭和七年に起きた水害によって、土砂で埋まってしまったと言います。
当時は「松平東照宮」の、正面にある水路脇に「見初めの井戸」はありました。
松平郷園地の見どころのひとつ氷池跡
「見初めの井戸」より先は、散策路を歩き進めますが、歩き進めるにあたって一部、足元の悪い場所はありますが、比較的楽に歩き進めることができます。
「松平郷園地」には、多くの方が、一気に押し寄せることはないのではないかと思われ、非常に静かで、のんびりとした空間が広がり、ゆったりとした時間を過ごすことができます。
小さな池の横を歩いたり、湿地帯に設けられた「ボードウォーク」を歩き進めたり、短い距離のあいだですが、楽しく歩くことができます。
そんな散策路の最後の見どころは「氷池跡」となるのですが、氷作りは、明治20年頃から始まり、昭和16年に起きた「太平洋戦争」の時に、中止されたと言います。
この池に、天然の氷を張らせ、1月から2月末までに、3回ほど切り取りができたと言います。
切り取った氷は、山陰の氷室に保存して、夏岡崎方面に出荷していたと言います。
そんな「氷池」が、他にも2つほどあったと言います。
「高月院」の「駐車場」に止めて、そのまま境内に入るのも良いかと思いますが、できれば300メートルほどしかない「松平郷園地」の、散策路を歩いて向かうことを、お勧めしておきます。
今回は、訪れる時期が悪かったせいか、草花に関して綺麗なものは無く、景観としてはもうひとつでしたが、訪れる時期さえ合えば、かなり優れた景観になるのではないかと思います。
そんなことを話していると「高月院」の「駐車場」に到着となり、これより先は「高月院」の境内へと、歩みを進めます。
第3代将軍「徳川家光公」により山門や本堂が建てられました。
「松平東照宮」から「高月院」にかけての約300メートルの、歴史と自然の里として整備された「松平郷園地」を抜けると、松平家の始祖「松平親氏公」をはじめとした、墓所がある「高月院」に到着となります。
まずは「駐車場」の横にある石階段を登り進めて「高月院」の入口となる「山門」へと向かいます。
「高月院」の「山門」は、見どころのひとつとなっており、江戸幕府の第2代将軍となる「徳川秀忠公」の次男ではあるが、長男が既に早世していたため、第3代将軍となった「徳川家光公」が、1641年に建てられたものと言われています。
なんてことの無い小さな「山門」ではありますが、とても味わい深い佇まいをしています。
そんな「山門」をくぐり抜け、中へと歩みを進めると、整備の行き届いた境内となり、本堂へと直線的に参道が伸びています。
本堂に向かう道中にも、いくつかの見どころがあります。
真新しいお堂があるのですが、中には所狭しと「観音様」の「石像」が立ち並んでおり「本松山三十三観音」と書かれていますが「高月院」は浄土宗で、正式には「本松山高月院」と言うところからではないでしょうか。
それ以外にも、七福神やお地蔵様の石仏もいくつか置かれているのですが、そんな中でひときわ目立つのが「佛足跡」です。
「佛足跡」は、お釈迦様の足跡になるのですが、インドにおける「佛足石」は、お釈迦様の代理を意味し、そこで説法されたことを示すそうです。
「佛足石」は、お釈迦様の「遊行転法論」を現し、足裏に描かれている図は、網目の形が放射状につながった紋様が、千個の輪になって並んでいる形のことで「千輻輪相(せんぷくりんそう)」と言われています。
そんな見どころを見たあとは、階段を登り本堂へと進むのですが、よくよく見れば「高月院」の本堂への階段の周りは、石垣に囲まれており、お寺と言うより、ちょっと小さめのお城のような構えが、特徴的な造りとなっています。
階段の右手側には「徳川宗家十八代・恒孝公」の御手植となる「松の木」があります。
そんな「松の木」を横目に見ながら、2つ目の「山門」をくぐり抜けると、目の前に「本堂」があります。
「高月院」は、1367年に「足助重政」が、建立したと伝えられるのですが、建立当時の寺号は「寂静寺」と、称されていたのですが 、1377年に「松平親氏公」が、本尊となる阿弥陀仏をはじめ、堂塔を寄進してからは「高月院」と寺号を改め、それ以後からは、松平氏の「菩提寺」として、篤い信仰を受けています。
1602年には「徳川家康公」より、100石下賜されるなど、江戸幕府の保護を受けていたこともあり、山門と本堂に関しては「徳川家光公」の命により、1641年に建てられたものが現存しています。
徳川家康公の御手植のシダレザクラ!
石垣に囲まれた本堂がある境内には、立派な木々が数多く植えられているのですが、そんな中でも特に見どころとなるのが「山門」をくぐって、すぐ右手側に立つ「徳川家康公」の御手植となる「シダレザクラ」です。
日当たりの良い境内にある「シダレザクラ」は、この辺りでは一番早く見ごろを向かえると言い、樹齢に関しては、およそ400年と言われ、高さが約8メートルで、根回りも4メートルあります。
本日は、ひとつの目的として、この樹齢400年の「一本桜」の観賞も、併せて楽しむために訪れたのですが、残念なことに、つぼみは付いていますが、開花を迎えるには、ほんの数日だけ早かったようです。
気を取り直して散策に戻りますが、この「シダレザクラ」をはじめとして、境内を歩いていれば「徳川家」をはじめ「皇族」の御手植の木々がたくさんあり、見どころのひとつとなっています。
先ほど、階段の右手側に「徳川宗家十八代・恒孝公」の御手植となる「松の木」がありましたが「本堂横」にも同じようなものがあり、その他には「徳川宗家十七代家正公」や「高松宮殿下」さらに「秩父宮妃殿下」あとは「徳川義久公」と、さまざまな御手植の木々がありますが、よく探せばもっとあるのかもしれません。
松平家の始祖「松平親氏公」の墓所
「高月院」の境内は、それほど広くは無く、狭い中にも見どころが点在しているのですが「本堂」の左手側より奥に歩き進めて行くと、さらに石垣が2段にかけて組まれており、最上部には石扉に「水戸三つ葵」と思われる紋が刻まれた「松平氏」の墓所があります。
とにかくこの一角には、数多くの墓が建てられているのですが、1段目の石垣上には、歴代住職の墓地が、建てられている形となっています。
最上部の墓所は、四方が石垣に囲まれているのですが、中には花崗岩製の3基の「宝篋印塔」が建てられており、中央に松平家の始祖「松平親氏公」の「宝篋印塔」があり、右に「第2代泰親」左に「第4代親忠夫人」の「宝篋印塔」が、配される形となるのですが、いずれの「宝篋印塔」も、一部が欠損しています。
「第4代親忠夫人」の「宝篋印塔」に関しては「親忠」の第四子が「超誉存牛上人(ちょうよぞんぎゅうしょうにん)」で「高月院」の、第7代住職であったため、母を祖先の陵墓の地に葬ったものと思われます。
石垣に囲まれた墓所は、50平方メートルあり、文政年間に第11代将軍となる「徳川家斉公(とくがわいえなりこう)」が、さらに明治23年に、旧大和郡山藩主となる「柳沢保申(やなぎさわやすのぶ)」が修築したことによって、現在に至っても、比較的綺麗に保たれていると言うことです。
そんな松平家の「菩提寺」となるのが「高月院」となります。
以上が「高月院」の見どころの紹介となります。
高月院の御朱印です!
最後に「高月院」の参拝が、すべて終了した証として「御朱印」を頂きに行きたいと思いますが「本殿」の左手側にある「朱印所」へと向かいます。
「朱印所」へ行き、呼び出すための鐘を鳴らすのですが、人の気配がありません!
日に多くの方が訪れないような寺院の場合は、このようなことがたまにあるのですが、良い寺院の場合は、書置きされた「御朱印」が置かれており、浄財を納めて1枚いただくと言う形になるのですが、不在にも関わらず、書置きの「御朱印」すら置かれていないところも、ごく稀にあります。
今回に関しては、書置きの「御朱印」がありましたので、お参りした証として頂きます。
今回は、初めに「松平東照宮」を訪れて「御朱印」頂き、そのあとに「菩提寺」となる「高月院」を、訪れたので、2種類の「御朱印」となりますが、2種類ともいただくには「高月院」と「松平東照宮」を、それぞれ訪れていただく必要があります。
尚「御朱印」に関しては、基本的には、ひとつにつき300円を納めれば、誰でも頂くことができます。
「御朱印」に関しては、寺社で参拝しなければ頂けないと言うものではなく「仏像鑑賞」や「パワースポット巡り」など、別な楽しみも兼ねた証として頂くと言う考え方もあります。
寺社を訪ねるだけでなく「御朱印集め」は「何を書くのか?」や「どんなハンコ(朱印)を押すのか?」さらに「字の良し悪し」などを、楽しみのひとつとして収集するのも良いものですよ。
管理人は、訪れた寺社仏閣では必ず「御朱印」を頂いているので、正確に数えたことはないですが、知らず知らずの間に「1000」に手が届きそうなくらいになっています。
「御朱印集め」を、始めようとお考えの方には、是非お勧めしたいと思います。
尚、近年では「御朱印」を「スタンプラリー」のように、参拝もしないで頂きに行く方が増えていると言うことですが、最低限のマナーとしては、参拝が終了してから頂くことをお勧めしておきます。
高月院のアクセス及び駐車場情報!
【基本情報】
*基本情報は、できる限り新しい情報を掲載することを心掛けていますが、すべての変化に対応できないのが現状となりますのでご了承ください。
「高月院」
- 住所:〒444-2202愛知県豊田市松平町寒ケ入44
- 電話・FAX:0565-58-1623
- 時間:朝6時00分~夕方17時00分まで
- 定休日:無休
- 拝観料:境内自由
- 駐車場:無料(20台)
- アクセス:【公共交通機関】「名鉄三河線」の「豊田市駅」を降りて「とよたおいでんバス10(下山・豊田線)」に乗車して「松平郷」のバス停留所で下車して徒歩1km(約15分)
【お車】「東海環状自動車道」の「豊田松平IC」を降りて「国道301号線」に入ったらそのまま走り進めた先の突き当りの「松平橋東」の信号を右折して少し走り進めた先にある「九久平町築場」の信号を左折したら約5kmぐらい道なりに走り進めた先にある「松平氏発祥の地・松平東照宮・高月院」の案内看板に従って左折し500m走り進めた先の左手側が「松平東照宮」の入口があり少し先に「高月院」と書かれた案内看板に従って右折し突き当りまで走り進めれば「高月院」の「駐車場」があります7.4km(約15分)
「天下茶屋」武家屋敷風休息所
- 住所:〒444-2202愛知県豊田市松平町赤原34-5
- 電話:0565-58-3725
- 時間:朝10時00分~夕方16時00分まで
- 定休日:水曜日
- 駐車場:無し(松平東照宮もしくは高月院の無料駐車場を利用)
最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。
「高月院」は、大変にこじんまりとした境内となりますが、見どころの多い寺院となっています。
「松平氏・徳川氏」の、発祥の郷として、非常に興味深い歴史が伝わる地となりますので、是非一度訪れて、歴史の一端に触れてみてください!
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